| 不登校というのは、随分変わったように思う。80年代は精神的病気、90年代はぼちぼち認められてきたかなという感じ(もちろん大変だったが) そして2000年代は、色々なチョイスが増えてきている(でも、もちろん個々人の大変さを否定はしない) ある意味では、本当にデーターを知ったりすれば、フォロー団体を探せば悩む必要がかなり無いというレベルまでになってきている都道府県も一部ある。もちろん、最初はみんな狙って不登校になる人は少ないから、20年前と同じように悩む家庭も多いけれど・・・。今は、気づいたら、色々と、動きやすい時代だと思う。情報も多くなっている。 ただ、昔と違って大変な所は、不登校はともかく、その後の仕事が大変なのだろうと思う。日本自体が豊かでなくなってきているので・・・バイトなどを探すのは色々と、昔と違って大変かもしれない。 時代が変われば言葉は同じでも、中身は徐々に変容する。そんな事もあるのかもしれない。 僕も、振り返れば、不登校をしてから今年で20年たった。なんとも速く、そして、長い時間だったと思う。 7/27日 最近、人に間違っているというのが辛い。また、ミスであっても、指摘するのは心苦しくなっている自分がいる。 というのは、自分には、ありとあらゆる汚い気持ちがあるのだという事が分かったからだ。意外な事だけど、自分は色々な否定的なひどい気持ちが心の中では渦巻いているという事が、最近分かった。もちろん、そのような感情と同居しているという事を認めるのは気持ちの良いものではない。というか、正直は辛い。汚い自分も自分であって、離れようがないから。 当然、この感覚を感じるようになってから、今までは、強烈に、こんなやつと僕は違うからと、強固に相手を否定、攻撃していた僕が、そういう気持ちも自分の中にある。似たようなものだと思うと、強固に否定できなくなった。また、立場が同じなら、同じ事をしたのではないか。そう思うようになった。みんな、色々な事情を抱えて、いろいろな事をしているから。やむをえない場合もあるやなぁと。 といって、気持ちが分かるという感じで、なぁなぁにしても良くない。だから言わなければとも思う。だけど、以前ほど切れがない。それを言うのも嘘を言っているようで、自分も傷つけているようで、辛い。言う資格がないのに、自分だけ正しいように言っているという感覚になるから。偽善ぽく感じるのだ。 本当に不思議な気持ちではある。一体どうやって、折り合いを付けるべきなのか。はたまた、妥協するのが良いのか、割り切ってしまえば良いのか。客観視して、強く相手を糾弾したほうが良いのか、ケースバイケースなのか・・・。最近、答えが出ない。あるいは良い落としどころが見えない。また、それが苦しい。丁度良い感覚を見つけるのは、時間のかかる事だとは思うのだけれど・・・。一体、みんなは、自分が知らない自分を知っていて、生きているのだろうか、それとも気づかずに生きているのだろうか。あるいは、知っていて、うまく調整しているのか、仮面を付けているのか。どうやったら、客観視できるのだろうか。興味が尽きない。 7/17日 更新は2年ぶりになってしまった。正直、誰も見ていないかも知れないなとも思う。本当に、いろいろとこの間あった。仕事漬けの日々だったので、今思うと、本当に、ゆとりを愛する僕としては、朝から夜遅くまで、休日なしで本当に良く頑張ったなと思う。よく過労死をしなかったと感心する。そして、4年近く働いた仕事を辞めた。本当はやめたくは無かったが、いろいろと複雑な事情があり、辞めざるを得なかった。自由に生きれないならば、相手にも失礼だからだ。身体にも無理の連続だったようで、しばし寝込んでもいた。今思うと、多大な迷惑もかけたが、何万分の一程度は、地域に還元できたとも思う。 ただ、振り返って多くの方に迷惑をかけたのではないかと、それは気がかりです。本当に、無茶をしていた気がするから。ゆっくり休んでみて、初めて、いろいろとみんな良く、温かく受け入れてくれていたと感謝してしまう。もっと、冷静に考えれば最善を尽くせた事もあっただろうし。いやそれよりも、もっとできることがあったはずだと思ってはいる。ベストを尽くしたつもりがベストではなかった気がする。それが何よりも、申し訳ないことだと思っている。 これから、僕ができる事は、精一杯、自分の周りでできることをすることだと思っている。それと同時に、しばし、自分の生き方を考えてみよう・・・・。そう思う。また、この場にアップできるものは、以後のせていこうと思う。以後もゆとりがあれば・・・。 7/5日 更新が一ヶ月に一度程度になっている。 正直いけないなと思いつつ、体調もずっと優れない。おかしい。 僕は正直言うと、日々多くの失敗をしている。反省することが大きい。酒も体調不良ももちろんだが、それもあって辞めた。ストレスとの付き合いが下手だったという感じだ。今思い返しておおくの人に迷惑をかけただろうと思うといたたまれない気持ちでもある。 何せ、素面で酔っ払っている人を見ると、自分もきっとあれ以上の普段だったのだろうと強く反省する。と同時に今までの自分がいやになる。人間渦中にいるときは気付かないものだと心から反省する。誰に迷惑をかけたか今となっては具体的に分からないほど多いだろうけれど、多くの方にごめんなさいです。心から。 ここしばらくは、素面のまま飲み会に行くと、自分が今の仕事を続ける価値があるのか相当悩んだ。正直、物心ついたときから飲んでいたから、酔っ払いがこんなに酷いとは知らなかった。とにかく、飲み会に人を誘ったりしたり、議論(かなりよってる人を見ると口論だったのかと今になって思う)したことも心苦しい。何かあったら誠心誠意謝ろうと思う。というか、言われたものには色々、謝っている。多くの人は良くある話とは言うものの、酔いからさめた世界では常に酔い続けていたに等しい僕には過去がとても辛い。 とにかく、今の僕に出来ることは、せめて、現在の仕事に、酒を飲み過ぎたと言う失敗を繰り返さず、教訓を生かすことと、誠心誠意仕事にかけることだと心から思っている。というわけで、僕は全く、失敗が多くとんでもない奴ですが、とんでもない故に、せめて精一杯やりたいと考えている。 9/14日 2005 久々に更新する。といっても、書く事が出てこない。日々忙しいという感じ。まぁ、書くほどのない私事だが・・・。 最近は死ぬのが怖くなってしまった。つい先ごろまでは何時しんでもかまうものかと思っていたけれど、死んだら本当のところどうなるのだろうなどと、考え出すと怖い。まるで5歳の頃に戻ったみたいだ。とても怖いのだ。 ただ、この感覚があるというのは、それはそれで今までより暮らしが、平和で穏やかなのかもしれない。学生時代、常に死を考えていた頃というのは、とても心が苦しかった。多少年を食って、何時死んでもいいなと思っていた時は、めちゃめちゃ忙しかったし。 そう考えると、今がいいのかもしれない。あるいは体が不調なためなのだろうか。しかし、この恐怖感のお陰で、無茶もしないし、あと数十年は生きようという気になっている。というか、体を労わるつもり。良いに悪いはつくものだ。 ともかくも、こうは書いているが、何時死んでもいいというのは、死ぬとしても悔いがないという感じです毎日生きてきたという感じ。。誤解ない様に。 これらを読まれる方は決して自殺などをして欲しくないなと思う。人間どん底と思っても、必ず良いことが来るし、何より、悲しむ人は必ずいる。僕の経験からそう思うのだ。それに、ゆとりが出来たからかもしれないが、たまに自殺したという話を聞くと、さほど親しくなくても、一月ほど落ち込むし、顔をあわせていると、ショックがひどい。結構、こんなことなら死ぬ前に言って欲しかったと心から悔やんだりする。親しい人も自殺したが、今もって落ち込むくらいだし、半年くらいはあれまくっていた。それも身内ではないので身内だったらどんなだろうかと思ったりもする。つまり命はかけがえがないほど大切で重いということが言えると思う。 ついでに、自殺は死に際がとても見苦しい。あまり楽には死ねないものだし、死に切れなかった連中はとても言葉にならない苦しみだったという。僕もそう思う。死んだあとに膨大なお金も遺族にかかってしまう。 だから死にたいして、計画的であるならば、その勇気があるなら、誰かに打ち明けて欲しいし、せめて10人くらいには打ち明けて欲しいものだ。恥でもなんでもないのだから。激痛に比べれば何ほどのことでもないと思う。 一人くらいはきちんと受け止める人は絶対にいると思う。もっとも、曖昧に言うのでは伝わらないのではっきり、悩みは行って欲しいなと思う。 よく人に冷たいといわれる僕ですら、こうであるから優しい人では必ず受け止めてくれるだろうし、僕のような冷たいものでも縁の薄い人間の死でもショックを受けるのであるから、必ず大切に思っている人がどこかにいるといえると思う。 なんだか、生と死を考えるこのごろである。 7/27日 最近、体調が優れない。吐き気と、ムカつきと貧血のような症状が続いている。年かも知んない。ということで体力なく更新が全く出来ていない。 僕は、色々と失敗をしている。正直、何でこんなことをしてしまったのだ・・・・と悔いる失敗は多い。物凄く恥じ入ることも多い。取り返しがつかず、死にたいと言うほどの気分にさせるものもある。 このような出来事は自分のことだが、突然に襲ってくる。後々になって考えると、そうならざるを得なかった必然に気付くものの・・・。その時は自分でも気付かないということがある。後後愕然とすることがある。 相手に対して、とても申し訳なく、恥ずかしいと言う思いが強い。 相談に関わっている立場で、他人のことにあてはめると、善悪を超えて責められなくなるなぁという事がある。昔は、何も失敗しなかった頃は善悪で、悪は悪だと言い切れた。しかし、この立場になり、失敗を重ねる。また意図せず人を傷つけたりすると・・・人というものは、元から狙って悪を起こすと言うことはなく、魔がさしたとか、突発的とか、そんな気がないのに・・・傷つけたそんなことが多いのではないかと感じた。 というのは、僕の場合は今はおくとして、全国へいったりして色々話を聞くととんでもなく、凶悪な話や、悲惨な話がある。ひどいものはそれは犯罪だと言う話の類もある。しかし裏には、加害者と言えども、物凄い、体罰やいじめ、虐待を受けている例がままある。そして、全く、これでもかと言う具合に救われていない場合すらある。よく、生きていたと言うるものであることが多い。そんなのを聞くと罪は責めるとしても、人は責められない状況というものが確かにある。また、本当によい人間で何故と思う場合がある。 それらをみるにつけて、どの人でも環境や状況がちょっと、違えば加害者にもなっている可能性はあるのだ。そう思うと、単純な善悪の判断では人を見られなくなってしまう。 もちろん、完璧ではなく失敗する自分、こんな自分が関わっていいのだろうかと、常に悩みつつという感じが僕にある。また、自分がやった失敗はとても恥ずかしい、申し訳ないものである。それもものは違うけれど、多い。ここでは情けなくてとてもかけない。以後気をつけて二度と起こさないとしか言いようがない。また、その失敗を生かすとしたら、このように人に対してほんの少し理解ができつつあるかもしれないと言うところだろうか・・・。 6/15日 そろそろ何か、新聞にでも載ったコラムでも付け足そうと思っている。久しく、この欄くらいしか更新していなかったから。ごく少数と言えど、見てもらっている方に申し訳なく思う。 畑に凝っている。正直晩年の趣味だと思う。しかし、田舎に引っ越すとやることがない。髀肉之嘆の生活である。だが畑もやると中々面白い。 教育と似通っている気がする。同じような種でも、土壌によって芽が出たり出なかったり。わざと、肥料をやるところや水を与えたり与えないものも同一種の種で実験している(残酷とは思うものの、育て方が人に聞いても違いすぎて分からない面もある。そういういみでは沢山殺してしまった。罪悪感も感じている) 肥料をやっても、それが元で枯れるものあり、やらなくて 死ぬものあり・・・。水にしても同じことが言える。同じように育てているつもりなのだが・・。衰えるものと伸び伸びと伸びるものがある。比べ物にならないが、あえて例えるなら非常に子育てと同じで難しい。 だが同じ条件でも、成長がトップと比べ一ヶ月近く遅いという、種もいる。もちろん、芽が出ない間は、僕も毎日畑に顔を出すほど気にかけた。しかし、何も出来ぬ。些少その間心配であった。 考えても見て2か3ヶ月で収穫できるのが野菜である。植物を人で例えればどうだろう。30年遅れ・・・くらいかも知んない。 しかし、まだ夏前。まだ成長に間にあうのに、いらだっ者がいるとするなら、種ではなかろう。一斉に収穫できず、非効率を嘆く僕がいるだけである。しかし、植物にとって、そんなことは馬耳東風だ。遅いと言って、ひねくれる風もない。 ただ、僕が芽を摘まぬ限り、切りもしないのですくすくと育っている。育ちの違いはあっても、野菜であるから、あとは適度に手をかければ遅くとも立派に育つであろう。 ひきこもりならば僕の植えた種は、一番最初に芽を出したものと比べて、いうなら最後のものは30半ばから40才くらいででやっと芽が出ると言う感じ・・・。 だが、まだ、季節は冬でなく充分育つに間にあう。ひきこもりも、野菜を見ていると、間にあう気がする。 もちろん、人間を植物とは同格には出来ない・・・。ただ40は、古墳時代の晩年であっても、現代の晩年ではない。まだ盛りでやり直しは聞く。僕は、畑をしていて、人間も似たような面があるなと思えた。遅咲きの野菜の芽がたまらなく、いとおしい。 5/20日 もう、30になる。不登校から、未だに不登校関係の居場所をしている。しかし、恥じ入るような失敗が本当に多い。もう駄目だと思うときもある。だから人生に慣れると言う事は全くない。しかしその都度、何とか助けがある。もちろん、そんな時は不登校しているときと同じで、先なんて見えないほど辛い。甘い期待も抱けないときがあ。。しかし、無事生きている。時には失うものは大きいけれど、それ以前より、幸せになっている場合も多い。 で、つくづく思うのは、幸福も突然訪れるときがあるし、トラブルも突然訪れるときがあるということ。まぁ、年とともにトラブルは、予見できて避けることが出来るようになる。(多分年とともに、トラブルが来るのが分かるようになるんだと思う。但、しっていても避けられない理由が出来るんだと思う。それさえ避ける勇気があるなら、殆どトラブルないんじゃないかと最近思う)幸福は知らず知らず訪れている気がする。 今、連休明けで、不登校に突然なって辛い人もいるだろう。けれど、必ず何とかなるものだと思う。確かに、人によっては、苦痛が一ヶ月で解決する人もいれば、数年苦しむこともあるだろうけれど・・・。でも、気付かないうちに、苦しみは減ったり、幸せが気付かないうちにやってくる。無理と思わず、希望や夢を見つけて欲しいと思う。思うことから、始まると思うから。 もちろん、これはあくまで僕の体験、それも主観に満ちた体験でしかないのだけれど。死にさえしなければ、ほぼ全ては何とかなる気がする。 5/13日 またまた5ヶ月ぶりの更新だ。最近は体調が優れない。体調が悪いと、心まで落ち込むのは、本当のことらしい。不登校のときもそうだったなと思い出す。心か体、どちらか一つが低調すぎると、つられて悪くなる傾向がある。その意味では、不調もいいところかもしれない。 そんな時は、劇的に物事を変えるしかない。もう体が言うことを利かないのは意外だった。というか今までの自分が自分でないと言うのは、ショックだ。 でも、酒・タバコなど辞めることにより、きっと余剰金がでるだろう。健康にもなるかもしれない。趣味を開発したりもいいかなと思っている。失敗もしなくなる。自分を変えることが出来ると考えている。 もっとも、早速、畑を楽しんだりしている。意外に面白い。田舎暮らしを悲しんでいたが、いい面もあるということに気がついた。 今年は、のんびりと生きていこうと思っている。そうすればもう少し、ここもまめに手入れできるかもしれない。 2005/5/1日 一ヶ月近くまたしても時間が経ってしまった。正直最近ここもそんなに手を入れていない。見に来られる方に申し訳ないと思っている。しかし、それでも来てくださっている方にはありがとう。 僕は、最近なんでもうまく言っている。思い通りの人生になっているといっていい。毎日そこそこ楽しいし。夢もかなう。ここ一番という勝負のときも必ず勝つという。まぁ幸運だと思う。 こうかくと無論、反論もあるだろう。もてていないし、金も無いじゃないか・・と、僕の友達なら言うだろう。でもね、それは当然。死ぬほど追い求めてはいないし、死んでもいいとは今は思えない。あったら助かるし、ありがたいし、よいなって程度でしかないから。ふられてもそんな思いじゃ仕方ないなと思ってる。だから、好機を逃がしているだけなんだろうと思っている。一番の目標じゃないから。 そういういみで言うと、何か、毎日が面白いけど、思いのままになるけど面白くないというか・・。そんな気分にとらわれている。 一体、本当は何を,真剣に命懸けでやりたかったのだろうか。と、最近は自分に問い続けているという感じだ。何か、ただ毎日楽しければいいというだけで生きてきたわけではなく、何か違うという気がする。一体なんなんだろうか・・・。また自分探しが始まりそうな感じの今日この頃です。 10/23日 実験動物かい!!。そう思えるときがある。数々の論文を読んでる時だ。みていると不登校児への取り組みと反応とか、回復の事例とか・・。とても複雑だ。僕達は別に、ただ学校へ行かないというだけだ。なのに、深刻な問題でもあるかのように対処されるのは、読んでいて辛い。世間一般の人が、人と付き合っていて、その暖かいまなざしが実は研究されていると思ったらきっといい気はしないだろう。正直な話し、いろいろ調べれば調べるほどそう言う立場が一面では強い気がする。なんでだろうなぁと思ってしまう。一部の研究者や教育者といわれる人達の視線がこうであるなら、ある意味では心を開きにくい人もいるんじゃないかって思ったりする。僕は無理だッたなぁ昔。 研究したくない。そのような思いが常にあるから・…。出きれば講義は人任せが好きだ。と言うのは自分の体験で語れる事といえば精々一こま。2コマと言う程度だと思うからだ。もちろん、研究とか本の引用とかすれば100コマでも話せそうな気がする。だが・・・どうも仲間を売り渡すような後ろめたさを感じて、どうしてもできない・・・。僕は元々、酒でも飲んで仲間達と戯れているというのが一番しょうにあっているのかもしれない。金さえあればだが…。と言うわけで下手な講義になるのは御了承いただきたい・・・・。 5/6日 体とシステムどちらが大切なんだろうか。体が大切で社会が悪いからといっている人達の言い分も分かる気がする。体に合わせるなら、夜型の生活が体によい訳がない。成長期の子どもには特に。大人でも苦しい場合がある。そう言う意味では社会システムも悪いのかも。とはいえ社会その者が夜もあり、何でもありな生活パターンになっている。また便利であり、今後新しい生活の可能性もある。最早、変え様のない一つの生活スタイルなのかもしれない。 今の社会を変えようとしても、無理な事である。というのは少数では変え難い。自分たち自身も社会を作っている面がある。結局はマクロ的に自分で判断する。また自衛して行くしかないのではないだろうか。というのもコンビニなどのシステムも無ければないで、対した事はない。だが社会的な失業問題になるだろう。それに対する解決策がなければ、体を守って命を無くす事になったりするかもしれない。子ども自身も、親自身もテレビが悪いといいつつ夜遅く見ている。 もっと大局的に見てみよう。江戸時代の人達は大量の重量を一人で持ち、また、持たずとも何十キロも当然のように歩いた。今は、それが無理だ。出きる人はごく僅かだろう。 体も変わったが、社会も変わったからだ。仮に出来たところで、効率が悪すぎて意味がない。逆に江戸時代の人にとって今の規則正しい生活でも、体を駄目にしているととるかもしれない。そう考えると、何が有害で有用か、応えの出せる物もあるが、一概に社会が悪いとばかりも言えない物も多いのではないだろうか。また、体の為にと言うものも、案外その社会がその社会に求める体やシステムを求めているのではないだろうか。本当に体にいい事は・・・。良くわかんないけれど体の欲求を聞き、適度に楽しむ楽しめるという事が一番言いのではないだろうか。無論、道徳とかはここでは述べていないが。4/29 |
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時代が変わった。と言うか、変わらざるをえない時代だ。経済がそれを示している。とは言え、しばらくは古いやりかたのまま突き進むんだろうなぁって思う。経済も、まだ大量生産をして高い物を売りつけたりしている。それでは、買われる訳がない。それはわかるのだが、突き進むやり方しか思い浮かばない人が多いだろうなぁ。頑張ればなんとかなる時代じゃない。それはつまり、方向の間違ったほうへ突き進むのだから犠牲の大きさが予想される。 そんな時代だから、不登校と言うものもがらりと、性質を変えて行く事だろう。経済が不登校を生んだ面もあるのだから、それは避けがたい。というか、10年後には問題になっていないと感じる。別の意味では問題でありつづけるかもしれないけれど。とらわれている人達だけが、古い不登校の考えと共に淘汰されて行く気がする。なんといっても、この世界は考えが古すぎるから・…(^_^;)もちろん、若い人達の考えは柔軟だから、それを取り上げているんじゃない。僕らや僕の上の世代の人達、まぁ子にたかっている連中の話しだ。特にたかりまくっている連中はどうしょうもないだろうなぁ。 4/15日 |
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今年も終わる。振りかえると激動の年だった。色々暇人なのに,帰りが午前様か帰れない事も多かった。でも、まぁなんとか生きてこられたし,それを考えると良い年だったと思う。色んな不良債権も一部清算したし,清算中でもある。来年にかける種を色々まいといたから,来年は飛躍できるだろうと思う。と言うか,そうしないとしんじまうからなァ…。貧困死だけは御免被りたい。金持ちか死かという年になりそうな予感である。 価値観は急速に僕の中で変わっているし,僕以外に不登校と言うものも変わっていくことだろうと思う。そうしないと生き残れない。多分に面白くもあるし,辛くもあるだろう年だろうな。来年も、今ごろ暖かい部屋で飯を食ってのんびりと過ごしたいものだ。 最後に今年も飽きず読んでくださった皆さん。有り難うございました。色々助けられました。良いお年を! 12/30 |
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「剣はどんなに学んでも一人を倒すのみ。万人を倒す方法(兵法)を戦争するなら学びたい」と、中国のある英雄は言っている。日本の戦国時代の武将も「槍を使った戦場の働きは、雑兵の仕事で大将がする事ではない」と片付けている。重要な示唆のような気がする。 顧みて最近はカウンセリングとかを学びたい人が多い。もちろん,食えると言う事はあるだろうけれど…。それを抜かしても人付き合いの基本は一対一。多数を相手にしては人の気持ちなどわかるはずも無い。人間関係の希薄な現在、個と個のカウンセリングの必要性は僕も分かる。僕も基本としては顔の見える個人との関係が好きだ。 でも一対一の関係では、カウンセリングみたいなのでは限界があるのだ。多くても精々1度に同時に話出来るのは5人くらいだ。しかし、苦しんでいる人は同時に5人というのはちと苦しいかもしれない。また苦しんでいる人も加速度的に増えている。どんな優れたカウンセラーとて500人の人は見る事は出来ない。見たとしても薬漬けしかならない。 となると、これから必要なのは,そういう人達の存在もそうであるが,万人の人がすべからく,辛くない生きかたシステムも考えないといけなくなるだろう。また,万人に対する事をもう少し学ぶ人が増えてもいいのではないかと考えたりする。その一つとして僕は経世済民の学を学びに旅をしょうかと考えている。失業する事だし…(^_^;) 11/25日 |
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東京へ財団の報告会と結婚式を兼ねて行って来た。財団については先進的な会長と知り合えたのはとても良い事だった。まだお礼のメールすら出せてないが…。結婚式も良かった。最近は暗い話が多いので、幸せな人達を見ているとこちらまで幸せになるから。とても嬉しい。僕も叶うなら楽しい華やかで金になる職業が向いている気がする。というか、そう言うものは誰でもするか。 ただ、東京は圧倒的に人材が多い。面白い。昔の例えじゃないけれど、弱国は1つ作戦が失敗しただけで滅亡するが、強国は10回失敗しても痛手にもならない。という例えは不登校ではその通りというきがする。ほんまに都会は層が厚いし、人材がいる。あれだけの人材が富山にいれば…と思うがそれは無理な話だろうなァ…。みんな都会に出て行くから。こちらは企画を建てるのも宣伝も運営も何もかもほぼ一人でしなきゃ行けないし…。とても何か出来る状態ではない。もちろん手伝ってくれる人がいるからまだなんとか、死に体でも維持しているけれど(^_^;)。僕自身どうしょうもない無力感を感じてしまう。というのも週に4日はボランティァみたいなもの。それ以外の日で僕は僕を食わせなきゃ行けないし。休む時間が極端にない。ネットワークをどう築くかが課題かもしれない。 ただ、腕には憶えがある。田舎で色々やっているから、多分都会の業界人と同じ条件だったら絶対人後に落ちない自信がある。せめて後5年時間があったらと思うが、もうそんなに時間がないのが残念な所だ。 11/7日 |
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最近冗談抜きで酒が飲めなくなった。あんまり美味いとも感じなくなった。案外,楽しみ尽くしたのかもしれない。もちろん体が衰えてきつつあると言うのもあるだろうけれど。それよりも、少し飲みながらはなす会話が楽しい。そこで思うのは,遊びとか、放埓さについてだ。 案外遊んでばっかりいる人間は,若い時は怒られる。またどうしょうもない人間に見える人も多い。だけど,ある程度遊び尽くしたと思ったら きっぱり辞める。更正して立派になっている人も大人では多い。逆に年取ってから,遊ぶ人は歯止めが効いていない。金も力もあるようになるから傷も大きい。馬鹿みたいな飲み方とかしているし…(^_^;)。ケンカでも小さい時にしていたら、リンチで殺すくらいまでにはならないだろうし。小さい時は、まだ比較的力が無いから傷が浅いと言い易いかもしれない。(まぁ,更正しない人もいるにはいるが。) と言う訳なので大人はあんまり子どもに規制をかけるべきではないのではないかと言う気が最近している。ただ、物事の危険性は伝えるべきだろうけれど。色々経験する事で子の幅も広がる。学校の勉強などはくだらないものでしかない。規制をかければ親や大人自分が安心するだけだが,やりたいものは子は年をとってから遊ぶ気がする。あるいは抑圧する側になってしまう。そういうきがする。自由に生きた方が,いざとなると歯止めがかかるのではないかと言う気が最近している。また,スマートに遊べる気がする。そう言う意味では僕は,おねぇさんには気をつけないと行けないかもしれない・・・(^_^;)モラリストだから。 10/7日 |
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富山県の不登校に関わる人達。そのインタビューを主にまとめたものが本になった。巨椋おさむ編・きんのくわがた社(名前を見たときはふざけているのかと思った)で「不登校の真実」(名前負けだけどね)と言う本だ。9/6日発売だったそう。 本を読んでいると,口調が少しだけど上品になっていた。うーん・・。汚い言葉のほうが伝わるんだけどなぁ・・。と,読んでいて丁度深夜に2時ごろだったが扉をどんどん叩きベルを乱打するものがいる。丁度,ナイフのくだりを読んでいて,昔を回想していた。昔の復讐?それにしては早い! と思って咄嗟に臆病なので自然と料理用の出刃包丁を握っていた。いゃあ・・・恐かったなぁ。僕は巨椋せんせーや他のインタビュー受けた奴と違ってケンカは大嫌いだからね。今も昔もだけど・・女子高生にだって居場所で口ですら負けている。どうしょうもなく,弱い。 恐る恐るドアを空けると、居場所に来ている連中だった。突入してきて驚いたけれど。ほんまに・・・こいつ等は約束もせずに突然来て,ドアを乱打するからきがきでないじゃないか!!それも、「暇だから邪魔しにきた」おいおい・・・勘弁して呉よな。そんなに暇じゃないんだょ。 しかし、包丁を持ってしまったのは反省だ。昔頭になってたんだろうなぁ。別に相手には見えなかったからよかったものの・・・。今後はというか、しょっちゅう人は深夜来るけれど,気をつけよう。ただ,みんなもベルの乱打と,ドアをけったり叩いたりと、唸るのは止めてくれ!怖いじゃないか。近所にも迷惑がかかるし,住めなくなってしまう。せっかく安いアパートなんだから。 しかし、富山県と石川県の人は出来たら本は読んで欲しくないなぁ。なんせ、多少言葉足らずで事実に微妙な誤差があるけれど真実。僕が今まで築き挙げた真面目で誠実で有能?という信頼が崩れそうで(^_^;)。買わない事をオススメします。図書館でも立ち読みもなし! とこんなことかいていたら、逆に陽明門から刺客が送られたりして(^_^;)まぁ、過ぎた話しだし,願わくはベストセラーにならず、人間違いでとばっちりを受けなければなァと思っている。僕は本当に弱いので、お礼参りとかこないでくださいね。皆さんm(__)m 9/9 |
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熟慮と即行動と言うことを考える。長期的な展望はともかく、短期決戦であれば・…。じっくり考える以前に、勢いで勝負がつくことのほうが多い。と言う気がしてきた。 と、考えていると僕の知り合いの若い人達のことを思い出した。彼らははっきり言って馬鹿か無謀と思えるような、僕の経験則から言うと宜しくない行為をする。例えば偉い人達にいきなり「飯を食わせろ」とか・・・。とんでもない口の聞き方をしている。 しかし、意外に「面白い奴だ」と知遇を得ている事がある。あるいはもてていたりする。 熟慮して動くことのほうが、却って損をするというか、時が逃げている場合がある。そう言う時、体験にとらわれている自分が馬鹿だと感じる時がある。しかし、長期的展望を考えると・…などと思ったりして、どっちが良いのかまだ答えが出ていない。なんせ、長期的展望を経てるにしても今が、ないと何もはじまんないから。僕も彼らに見習って、全て素の状態からスタートした方が良いのだろうか? あるいはどうでも良い些事だからこそなんだろうか?? 8/19 |