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つれづれ2
学生はお客様だと考える。小なりといえど、僕はお金をもらっているから。当然、満足していただける講義をしなければ行けないと考えている。そこで考えるのだが、とても今のシステムは、今の学生に合っていない。そもそも、価値観がある面で狭く、ある面で多様化している現在に、講義を大多数で効率よく行おうというのが、間違いだ。今のシステムは時代が貧しく、ごくエリートが学んだときの講義スタイルだと考える。少なくても、今は多様な講習を小人数でやるほうが良いのではないか。予算の関係とかになったら、ネットがある。遠隔授業でも良いはずだ。これは多分、学生にも面白い授業が増え、理解しやすくなるきっかけにならないか。ここにあげただけでなく、いろんなやり方が考えられる。また、小人数で学んで貰う方が、楽で教える側も張り合いがつくのではないか?
今のやり方なら、時代なら・・。興味のあるものを学ばなければ、寝ていたり、私語をするのもやむを得ないだろう。僕でも朝や、昼時は寝ていると思う(^_^;)というか、不登校だな(^_^;)
むろん、大学は遊びだからこそ僕も楽しい授業になる努力はしなければ行けない。だけど、今のやり方で大多数の人間に満足してもらう講義をするのは、余程飛びぬけた性質の教員でないと難しいのではないだろうか。サンピンの僕には不可能だ。今は。全国に10万人以上いる大学の教員でも多分そんなにいないと思う。もちろん、こう言う人はいる。「一人か、二人だけでもよいと思ってくれれば良い」と。だけどこれは違うと思う。大多数の人がくだらない思いをしていて言いのかというと、タダならそれは当然かもしれない。が、金を貰っている以上は詐欺かもしんない。まして、これからはタダ、大学へ行くだけだとなんにも社会で通用しないだろう。それを思うにつれて、役に立ち、多様で理解できるシステムを作らないといけないのではないかと考える。もう、昔の様に教えてやるという時代は終わっただろうし、それができる時代でもないのだから。授業が下らないから、役立たないと言う事で学校が詐欺罪で訴えられる日もそう遠くないのかもしれない。無論、個人の教官の努力でも限界があるだろう。早急なシステム改善が必要だが・…。きっと、大多数は滅亡寸前まで変わらないという確信もある。(^_^;)
5/9
僕は何をするにも、明と暗。リスクとリターンはあると思っている。どんな大成功と思われるものの中にも、もしかしたら当人が望まない人生と言うこともある。また、慢心してしまったら次は失敗だ。リスクと言ったところで、それを克服すると成功に繋がるものはとても多いのではないだろうか・・・・。
顧みて、最近はリスクを避けようとするそんな風潮が強い。教育上良くないとか、危ないとか・・・。正直うんざりとする。もちろん、危険はほっとけば良いとは思っていない。でも、そんなに、世の中が危険だろうか???そんな事が子どもにいつも当たり前のように降りかかっているんだろうか・・・。この日本で、家にすめる程度の生活が出来る人たちが。別に後ろから刺されると言う立場の人はごく少なかろうし、車に轢かれ死ぬなどというのも一万前後と多いとはいえ昔に比べ少ない確率だ。本当に世の中危険というのは、下手したら身近に死があるアフガンならともかく、あるんだろうか。あっても一生になんどあるんだろう?それとも、危険と言う人たちはもっと、貴重な人生の生き方についての危険なことだろうか???しかし僕はそんなことを大人から教えてもらったことは今もって極めて少ない。大人は今の子達に危険と言いつつ、人生の危地を具体的に教えているのだろうか?
もちろん、肉体的生き死にに関わりそうなことは止めなければいけないが・・・。たいていほとんど10歳を超えていたら子どもは、正常な状態であるならば判断出来るのではないだろうか。精神的な死については・・・・・僕は上手くいえない。 教育上良くないからという配慮で、何でも子どもから隠したり、教えない(例えば携帯が出会い系サイトに使われるから使わせない)と言うのもおかしいと思う。もちろん、リスクはある。だが、それ以上のメリットもある。兵器と違って、便利に生きることを目的に作っている道具の方が多いはずだから。むしろどう危険か教えもしないで、大きくなって彼らが興味半分で使ってしまったら、もっと被害は大きいのではないか・・・。 なにか、大人たちが勝手に作っているのがこの社会で、これがある意味現実とするなら、禁止だけじゃなくて・・・生き方を狭めるだけじゃなくて・・・そんなに心配ならこの世界なりの生き方案内を提示した方がよほど良いのではないだろうか。また、危ない方向にはしるからというのは、保護という思想もあるだろうが、子どもを信じていないと言う面もあるのではないだろうか・・・。
なんていうか・・・ただ、紙切れに答案を書く程度の人生だけならば・・・いろんな人生ヲ知ったり、いろんなリスクを承知で、活動する。失敗したら、次に活かせば良いんじゃないかなぁと思う。どうせ死ぬほどの危険というのは後、数年ていど、日本では少ないのだから。失敗した後はそのときに考えれば良いのではないかとか思ったりする。ただ、人に迷惑を無理やりかけるのはどうかとは思うけど・・・。
今年も、為す所なくして、終わる。というか、さほど自分では動いたという気がしない。空振りが多い一年だったと思う。もちろん、人から見たら動きすぎだとかいうだろう。けど、あくまで僕の中身の思いと、他人の評価は違う。もう少し、動けばよかったのではないかとか色々思うことは多い。もっとも、色々来年への仕掛けは少しは作れたかもしんない。
とはいえ、今年は色々皆様にはこの場に来て見ていただいている方から、このページの存在すら知らない友人までお世話になりました。かなりご迷惑をかけながら、親しくしていただいた方には感謝します。反面、僕の不徳から付きあえなくなった方々には、ごめんなさい。また、時間があって、どこかで出会えたら、そしてそのときたまたま気があったなら、またよろしくという感じです。
来年はどうなるんだろうか。今、実は僕が仲間と作っている映画も完成するし、新しい居場所も出来ることだろう。色々激変していく。経済も、経営常識、全ての事が急展開に変わっていく。生きているか、死んでいるかは来年のことは分からないけど、これからも、どうかよろしくお願いいたします。皆様よいお年を。 12/29
正直、完全に学歴という時代は終わったなぁと思う。景気が悪い現在、「大学生でも働けないから、あんたなんか、やすんでいてどうすんの」という親の話もまだ聞く。あるいみ、気持ちは分かるのだが・・・・。むしろ、無意味に学校へ行くことの方がこれから危険かもしれない。(意義とかあるなら別だけど)学歴きという実体のないものが、完全に実力社会な世界では通用しなくなったと思う。(東京もそろそろ本当の不況になるだろうし、富山もそろそろ残念ながらなるだろう)というのは無為無策で大学に行っていた者は、もう企業に雇ってもらえない。あるいは習ってきた事が大学などの責任もあるが実戦の役に立っていない。また企業も若者を育てながらという体力がないということだからだ。今までは大学生なら80年や90年の頭はよほどじゃないと、何処かが雇ってくれたのだが・・・。(もちろん現在でも才能あってうからない大学生はいるだろうけど、きっと自己宣伝が下手だと思う) 偉そうなことをいえる親自身、リストラされるかもしれない。(僕はもう、社会的観点からみたら、ドロップアウトしてイレギュラーな生き方をしているからあんまり関係ないかもしんない。もちろん、それなりのハイリスクを抱えてだけど)そうなった場合、最早、大学を出たとか、一流企業より、どういう実績をあげて、今も何が出来るか、という事が求められるし、プレゼンする能力も大切になっていくだろう。子どもどころの話じゃなくて、自分をいかに磨くかという、時代だと思う。じゃないと、子どもに偉そうなことを言う前に、失業してしまっては意味がない。苦しんでいるわが子すら守れなくなる。 悲しい話しだし、不運も大いにあったのだと思うけど、親子連れの浮浪者がいる時代だ。親自身、絶対そうならないと言い切れる人はどれだけいるだろう???大会社すら潰れれば、役員だろうがなんだろうが、捨て去られるだけなのだから。
逆を言えば、不登校とか引きこもっているからといっても、落ち込むことはない。やりたいことや、夢を実現するチャンスかもしれない。既存のやり方が、駄目ならイレギュラーな生き方にまだ、光明も見られる可能性もある。ある意味では、もう、出自の差別は終わって、(まだ一部あるけどね)今度は学歴の差別が終わるのかもしれない。ある意味ではチャンスの時代、維新だなぁと今の時代に対して(悲観的な面もあるけど)僕は思っている。
12/19日
ここに更新するのも久しぶりだ。居場所について考えると、今後大切になっていくのは、居場所そのものが子どもからお金を取らず、不況になり親からも取れないとしたら。
1サービスを増やす2新規の事業を起こし、その利益で居場所を運営すると言う手しかないと言う気がする。それ以外ではどうしても、居場所のような民間の手厚い人員も予算もなく、おざなりにしかならないサービスしか出来ない居場所は淘汰されていくだろう。サービスを増やせば必然労力も増えると言う矛盾を抱えるのだが・・・
もっとも、あまりいろいろ書きすぎても意味がないので、今日はここらへんでやめておく。
2002/11/26日
今年も宜しく御願いいたます。今年は年始早々、波乱含みの展開でした。一年の計は元旦にありというけれど、特に立てた目標はない。あえてあるとしたら、今年も一年死なないように行きぬくことだけかもしんないな。
不登校については色々な動きが起こると思う。明るい情報も今まで以上に多い年になるだろうし、暗い情報もそれに比例して増える一年になるだろう。もっとも、不登校という名前自体、僕も好きじゃないし、いろんな生き方が誰でも選べて、食う為に意志を曲げなくてもいい世界に一刻も早くなって欲しいと願っている。あと20年くらいかかるかもしんないし、もっと、かかるかもしんないけど生きていたら、その実現に努めたいとは思う。 1/8日
不登校の新しい居場所を現在、仲間と作っている。もっとも、仲間はともかく、僕には全く自信がない。恐ろしいくらいに恐くすらある。子どもに負担をかけず、得になると思われる場を作りれるか・・・。そのために経営というか経済的に回転できるシステムを作っていく才能に僕が疎いからだ。たの仲間にその才が天才的にあるとは悪いけど、今の段階では感じられない。
もちろん、実践的才能はみな充分あるのは認めているし、その点に不安はない。あるとしたら、僕にのみある。何せ、まともな居場所なんてつくれやしないというか・・・・僕が一番、変かもしんないから・・・・。
誰も経営能力がないとしても、とはいえ絶対、経営観念は大切だ。当たり前だが、理念や理想だけでは、食っていけないから・・・・。理念や理想は食えてこそ、実現できる。理念理想が食えない為に歪むのを多く見てきた。そうなってしまっては居場所など最初から作らない方が、子どもたちの利益に一番合致するだろう。また僕もやらないほうが生活が安定するだろう。もちろん、理念理想を全く否定しはしないが・・・・・。それだけでは害悪ではなかろうかと思うのだ。居場所を運営できなければ・・・。もっとも、そう思うのは心配性の僕だけかもしんないが・・・・。 1/15日