何年振りかで、書く事にしました。といっても、昔の記録のアップですが・・・・。良ければどうぞ読んでください。
学校へ行かなかった僕からは、145回あります。もっとも、それでも書き尽くしたとは言えませんが,面倒くさくなったので辞めました。まぁ、たいした内容じやなかったというのもありますが。そんなわけで,余りにも多いのでネット上では分けて書いた次第です。NO2はだから新聞上で連載が再開したというわけではないのです。
適当にネット上では気分で載せて行きます。なんせ面倒臭がりな者でして。たの文も書きたいこのごろだし。
学校へ行かなかった僕からNO2
NO134 2002年4/8日
「何十年も教職をやっていたが、悪く書く先生は見た事がない」
僕の知り合いの先生は、内申書についてこう語ります。それを確かめる事は、今も容易ではありません。でも複数の先生が言う所をみると、一面の真実なのでしょう。
しかし、現実の学校では、何かあるたびに先生は「内申に響くぞ」と脅した物です。内申書は、高校へ行くには、良い方がいいに決まっています。でも、不透明で生徒は知る事が出来ません。脅されても対処の術は無く、泣き寝入りです。
しかし、わかっている事があります。それは都道府県によって微妙に違いますが、学校へ来ない子どもの内申は、出席日数順に最低の評価になるようです。(現在、評価基準が変わったのでどうかわかんない。2002年4月現在)
学校へ来ないと、評価は確かに出来ません。だけど、例え学校に子どもが来なくても、先生が良く評価してくれても、秘密裏に評価する必要はないはずです。民主教育を理想にする学校うには。
NO130 2000/1/10日
幼い頃から僕には,親に食べさせてもらっているという負い目がありました。それは一面,かんしやでもるし恩だったかもしれません。だから僕は親の言い付けを、ただやみくもに守りました。気づくと自分では何も出来ない少年になっていました。中学の時,学校が嫌で働きたいと思いました。でも堂々と働く事を親も許しません。僕はどんな仕事があるのか知らず、ただ大人の言う社会の厳しい話を頭で想像するしかないのです。
親に無理に逆らい,社会に逆らって仕事を探す気概にも僕は欠けました。学校に行かず,寄る辺無い身には家に閉じこもるしか方法はありません。
そんなとき「たべさせてやっている」と言われると何も言えません。
保護されるのは必要な事でしょう。けど過保護になると、いざ出たいと感じたとき、その網からどう出てよいかすらわかりません。逆に支配されている窮屈さのみ感じます。親から脱出できない無力感が漂ったものです。
NO132 2000/3/4
「大人になれば分かる体を張って働けばお前にも分かるだろう」。そんなふうに子ども時代,よく言われました。内心「そうやってごまかす気か、大人は卑怯だ」とよく感じたものです。だって聞く側には全く説明になっていないし,高いところから見下されているふうに感じて面白くありませんから。
だけど僕も二十歳を超えて、いろんな仕事やさまざまな立場の人と語るうちに理屈より体験で分かる事もあることに気づきました。それに僕自身子ども時代の経験があるから,若い人には努めて分かりやすく説明を心がけます。けれど、知らない人にはやはり伝える限界があります(自分の能力ももちろん関係あるけれど)。
そんな時、言葉は必要無いと感じます。実際に子がやりたければ働かせたり,車なら安全な場所運転させれば良いと気づきました。無論「駄目」と言葉で禁止する方が責任も無く楽です。僕だって大抵はそう言うでしょう。でもいざという時の子どもの行動の始末まで取れるのが「大人」なのかもしれません。
NO133
8/17
僕は週に3〜4日しか働きません。それでも一人で暮らせ、旅にも年に七回程も行きます。やりたいことも、バイトで制限があるにしても、かなりできています。おかげで今、自分で自分がかなり幸せ者だと感じます。
そんな僕は,企業に勤めている友人から見ても「楽しそうでうらやましいな」と言われます。だけど僕だって,学校へバリバリ登校していた時は,企業戦士が夢でした。また、いかに終身雇用が崩壊しつつあるとはいえ,定職の持つ各種の保証は今の僕にさえ魅力的です。
僕は不登校以来、多くの夢や待遇を捨ててきました。それは恐れ,不安、挫折を伴いました。今の生活にしても,万一の時は保証が無い。覚悟もいります。けど主流から外れることで、幸せを手に入れたのです。
どんな仕事や生きかたにしても,リスクや楽しさはあると思います。優劣はつけられません。はた目はどうでも言いのです。本人が幸せなら一番良い。と僕は思います。
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