学校へ行かなかった僕から
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 NO 98
 僕のいた保育園では友人同士、絵がうまいとか、折り紙が得意とかそんな自分が得意ではない様々な一芸をまだ認め合っていました。だから個々人に優劣の付けようがありません。僕にも誇りや技があり、認められる居場所がありました。
 けれど小学校になると、価値観が統一されたのです。点数が取れれば良い子です。先生の多くはそう判断します。地域でも「頭の良い子」と言われます。当然、僕ら子どもも、点の善し悪しで人の内面まで判断します。そうなるとそれまでの価値観は邪魔です。時には一人それを貫くと目立ち、仲間外れの原因にもなりました。
 僕はでも、頑張っても勉強が出来ません。それで友人から「馬鹿」と呼ばれつづけました。そんな世論では、少しの疑念を残しながらも僕は自らばかなんだと信じました。だから文句を言われても腹も立ちませんでした。僕は自身を持って生きる事が学校では出来なかったのです。

NO99
生徒同士の間でも、いじめられる側が悪い、という論調がありました。これは親や先生の上下関係からの発言ではなく、対等な立場での指摘です。生徒同士の関係においては、、いじめられる生徒にも問題があると言うのは事実でしょう。
 僕の経験でも例外はあっても、いじめられる人はのろまだったり、おとなしかったり、転校生だったりしました。のろまだと、みんな連帯責任で被害を受けます。おとなしければ本人が嫌がっているかどうか分からない事もあります。転校生だって学校のルールが違うと秩序を乱す者になりかねません。
 けれどいじめっ子も、明るい良い子という学校の枠に沿わねばなりません。それはストレスにもなるでしょう。彼らが学校の価値観に合わぬ、少数者をいじめるのは必然かもしれません。いじめても気付かず当然と言う意識は、その子本来のありのままが、学校で認められていないからではないでしょうか。

NO100
 僕は今、当たり前かも知れませんが、親の援助を受けず一人暮らしをしています。もう四年になります。
 暮らし始めた当初、何でも自力でやって行こうと、朝から夜まで金を稼ぐため働きました。そんな僕に暇もゆとりもありません。ちょっとのことでキレて大切な友人を何人か失いました。
 だから今は最低限、食べるだけ働き本当に困った時は人に相談や援助を求めます。プライドを棄てて。お陰で時間的な余裕が出来、キレることもなく、やりたい事が出来ます。
 学校の先生も、生徒が多く忙しい事でしょう。なのに新たな問題がクラスから出るので、パニック状態になるかもしれません。気付くと体罰をしていたりということも有り得るでしょう。
 ならば先生も一国一城の主のプライドを捨てて、他の先生に相談したり、互いに助け合う事も必要ではないでしょうか。一人で抱え込むのはとても辛いから。

NO101
 「服装の乱れは心の乱れだ」という人がいます。確かに学校を休んでからの僕は、目立つ服装をしていました。汚い言葉も使っています。目付きも悪かったらしく、よく不良少年や警察、たちの悪いおじさんに声を掛けられました。何度かは思い出すのも嫌な体験もありま
す。それでも僕は服装や言葉づかいを改めませんでした。
 でも目僕は立ちたいのでもなく、行動に信念が有った訳でも有りません。ただ胸中を理解してくれる人を探していただけなのです。何故なら、僕は当時、不登校と言う状態、辛さから一刻も早く逃げ出したかったのです。しかし心中の思いを軽々しく相談して、余計差別されたくありません。どんな立派な肩書きや評判を持つ人でも、たった一度の服や言葉遣い程度で僕を判断する人に心を語りたくはないのだから。
 僕は、僕の裏切りや外見を心から許す人が現れるまで、外見や言葉遣いを変えられなかったのです。

NO102
  中学に入る前後から僕はあまり感動しなくなりました。表情が無いともよく言われました。声にも抑揚が無く、今は目を背けるホラー映画や(本当に苦手。悪友は知っていて誘う)学校で友人が殴られていても何とも思いません。でもそれは長年、感情を表に出せなかったからです。
 しかられた時、笑っていなくとも顔がゆがんでいると笑っていて、反省していないと取られる時もあります。声だって説教される時、抑揚があれば場合によっては先生のかんに障ります。それに他人が殴られているのを見ていちいち気に病んでいては、僕の精紳が持ちません。救える訳が無いのだから。能面のように感情を消し去るのが一番楽に生きられます。
 子ども心がわからないと今、言われています。でも、子どもの感情を大人が狭い『常識』で測っているからではないでしょうか。今は昔と違い子どもにストレスを発散する遊び場もあまりありません。子どもは押しつぶされないために心を隠すのではないでしょうか。

NO103
登校拒否をしてからの数年間、僕はいつも将来の事か、過去ばかりを考えていました。過去を顧みると、全てが後悔や不運に満ちた人生としか思えませんでした。そこから未来を思っても、出るのはため息ばかり。当然、自信はありません。夢も無く、不安に駆られて動くから行動も失敗ばかりです。しばらくはその「拡大悪循環」でした。でも、だれも未来なんて分かりはしません。失敗も悔いてばかりいても過ぎた事です。どうしょうもありません。
 登校拒否が起きると親も先生も過去に原因を求め、未来を憂慮します。でも、昔の僕と同じく、子が「今この時を生きる」ということを、あまり考えてないように思います。今を見つめ、足を地に付ける事で、やがて輝かしい夢も描け、過去の失敗も成功のもとになったと後々見方を昇華できると僕は思うのです。

NO104
 登校拒否中、多くの人の所に相談に行きました。なんとか現状を変えたいと思って。だから聞きに行って言われた事はおおよそ実行してみました。それが良いか、悪いかなんて考えている間はありません。困っているから一刻も早く楽になりたかったのです。
 しかし、相談する人を僕が心から信頼している訳でもなく、人が違えば正反対の意見が返ってくる事も多々有りました。どっちを取って良いか分からず、かえって悩みが深まった事もあります。また助言を実行に移しても長続きするものはそうありませんでした。
 結局どんなに相談しても、一番自分が楽に実行できる事で、自分の心中、密かに決定していたことしか続きませんでした。相談は確かに自分を客観見視し、他の視点も得られます。けれど、辛い時ほど、人の意見に踊る事になり、操り人形のように右往左往します。やはり最後に大切なのは、自分の意見は自分で決める事だと思います。

NO105
 お前はいつも逃げてばかり。勇気を持って困難に立ち向かうんだ。そう二十歳近くまで言われました。確かに学校へは行かず、部屋に閉じこもり高校も中退。仕事も日替わり定職です。社会人から逃げていると取られてもおかしくありません。
 しかし思うのです。自殺したり、心や体に変調をきたしてまで、困難に耐え抜く必要があるのでしょうか。まして学校や仕事に。学校も仕事も生きていくための一つの手段でしかないはずです。
 生きてさえいれば、必ず、機会や何をして本当に行きたいか、見つかるはずです。それをわずか十年や二十年の人生で決められるでしょうか。また、それで幸せなのでしょうか。
 無論、耐える事は人生に必要です。けれど理不尽な状況なら回避したり、変革していく事も大切ではないでしょうか。心からやりたい夢だけ耐えた方が、余程いいと僕は思うのですが。


NO 106
 今、多少は言葉で論理的に思いを伝える事が出来ます。でも幼い時ほど、僕は思いを言葉では伝えられませんでした。
 だからどうしても体、行動で表現するしかありません。友人間ですら些細なことから、殴り合いのけんかに発展することも日常でした。けれど、それで関係が壊れる事もなく、かえって思いを率直に出し合う事で仲良くやっていけた面もありました。大人の命懸けの銃や刀の決闘ではないのだから。
 しかし小学校になると殴り合いは野蛮。みんな仲良くと、一方的に表現の手段を奪われてしまいました。それでも先生の面前で殴り合えば、大人の力でかえってひどくやられます。そうなると先生の前ではみんな仲良く、裏でばれないよう陰湿ないじめに発展してゆきました。
 余程でない限り、大人は子に任せほっておけば良いのです。けんかだけでも時に大人の常識と、子どもの常識は違うのだから。


NO107
 学校で受けた教育は、親切にいちいち細かいところまで教えてもらう教育でした。
 初めて僕が職人をした時、だれも何も教えてはくれません。自ら考え、技も「見て覚えろ」でした。プロの早業を僕がそう簡単に出来はしません。失敗し怒られてばかりでした。その時はさすがに戸惑い、学校流に教えてくれればと思ったものです。職人は非合理的だと思いもしました。
 けれど振り返って、学校の放課後、仲間を道連れに嫌々学んだ事や、親や先生に無理やり教えてもらった公式や問いは何一つ覚えていないのです。逆に僕が人から盗んだり、必要性に応じて手にした技術はいまだに忘れようがありません。
 学校もただ教えるというのは親切なようで、その人の自らやる力をそいでいると思います。もっと生徒が自ら学び、好きな学問が出来ればいいと思います。そこでどうしても分からない時だけ、先生は教えればいいのではないでしょうか。

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