学校へ行かなかった僕から
学校へ行かなかった僕から1 2 3 4へ
NO108
人と交わるのが少し苦手です。集団からはいまだに浮くことも間々あります。そうならないために「
学校へ行き、集団行動を学ばねばならない」という人がいます。確かに、地域社会で子どもが外
で連れ立って遊ぶことがほとんど無い今、その言は説得力があるように思えます。
けれど考えると少しおかしい面もあると思うのです。と言うのは、学校集団は指導する先生を除
けば、同世代の塊です。本来の社会集団のような様々な年代や価値観で構成されている訳では
ないのです。どうしても狭い価値観で、偏った集まりになりやすいのではないでしょうか。だからそ
んな学校へ行けないからと言っても、社会に出て集団になじめないということはないと思います。
社会の方が集団のル−ルがより厳しかったり、懐が広かったりするから。また、人との関係を自ら
選べる可能性も大きい。
まだ学校へ行くより、いんな人と付き合う方が、社交性や集団性が身につくと思います。
NO109
人様に迷惑をかけてはいけない。そう僕は教えられてきました。それは今もって正しいと思います。
でも不登校状態では本人が望まずとも家族や、時に他人の迷惑である場合もあります。僕自身、
無条件で人に迷惑をかけ続けていると思っていました。だからせめて、迷惑をかけるかもしれない
場や人は努めて避けるようにしました。それは閉じこもりという状態にもなります。やむを得ず会う
場合も、意見を言うのを極度に控えます。何が不快にさせるか分からないから。しかし人への迷惑
を考え続けるとどこへも出られません。また、何も語らず、受け身の対応では、人は「疲れる」とか
「暗い」と言い僕から遠ざかりました。ますます僕は自分が他人に邪魔な存在だと思います。 しか
し見方を変え、生まれてからこの方、人の世話にならない人はいません。また迷惑はお互い様の
ことです。別に人を傷付けたり損害を与えたわけでもありません。だとしてもいっか恩として返せる
時が来ます。他人のことばかり考えるのは、かえって一番結果として人に迷惑をかけるのかも知れ
ません。
NO110
不登校の理由をずいぶん昔から執拗に問われました。尋問のようで嫌
なことです。昔は混乱の最中で語れませんでした。今は「いじめ」や「校
則」と語り、言えば大人は満足します。でも僕がそう語るのは単なる説明
のための理屈でしかありません。とても不本意です。
何故なら僕の場合、一つの理由が決定的な問題で休んだのではあり
ません。学校の他に家庭の問題。地域との関係。また僕自身の性格が
学校に合わなかったのも事実でしょう。理由は複数で絡まっているので
す。それらのことも十年たってやっと言えることですが。
大人は心の問題でもすぐ答えを求めます。だけど例えば突然襲う恋
に理屈なんてないし、理由を述べよと言われても、好きだとしか言えない
のではないでしょうか。それをあえて根掘り葉掘り問うのは野暮では。不
登校も大人が体験した恋のように、理由を語れないからと言って責めな
いでほしいのです。
NO112
自身の登校拒否体験がもう、どうでもいいような事柄に今、思えます。き
っかけになった出来事は沢山あります。僕の場合その一つに、家庭や
学校、人生が嫌になって逃げたドヤ街の放浪という経験も大きい事でし
た。もっとも全部合わせても、二週間ほどくらいしか滞在しませんでした
が。(それ以外は飯場にいたりした)
そこではだれも世間のように僕の学歴や身分をせんさくしません。娑
婆のプライドを捨て縄張りの問題さえ解決すれば、金や経済主体の考
えにとらわれない生き方も出来ます。誰にも強制されないし、何のしがら
みもありません。肩書きもなく、年齢を超えて人と人との付き合いも出来
ました。
無論、誤解してほしくないのは限りなく自由だけど、責任は全て自分に
かかってきます。世間の偏見。野外だから冬は厳しい。やくざも来ます。
それでも、僕には学校や肩書きがどうでもよく、通用しない事が新鮮だ
ったのです。(念のため、望んで来る人は少なく、一所懸命、若いときか
ら働いてもどうにもならず、年を取り体を壊している人も多い。人生の不
条理を感じたりします。)
NO113 1998/10/27日(日付はめったに付けませんが1週おきなので計算してください)
子どもをしつけることは、学校ではなく親がすることです。本来、学校は知識を教えるだけの場
でしょう。なのに多くの親は学校に基本的な道徳やしつけまでも今、求めています。これはある意
味で育児の放棄になり、危険だと僕は思います。
と、言うのは責任が曖昧になるからです。何と言っても僕が学校にいたころから、勉強のために
道徳の時間はありませんでした。あったのは手っ取り早い体罰か、放課後、延々と続く説教。夏
休みの生活調査です。これが、親が望むしつけでしょうか?万が一もしそうであって、校内暴力で
子が怪我でもした場合、しつけを任せて「家でやる」と言わなかった親にも責任が発生するので
はないでしょうか。
親にはきつい言い方ですが、子どもを守るのは誰でもない、最後は親自身だと僕は思うからで
す。結局、子どもの一生まで学校は面倒を見てくれないのだから。
NO114
地域の必要性が問われています。確かに僕が二十歳代になった今、子をサポートするおじさ
ん、おばさんはまず見かけません。半面、教育の責任が学校と親に、ますます重い比重でのしか
かっています。問題が何か起きれば、親と子、学校など限られた関係で抱え込むから、問題が深
刻化するというのも事実でしょう。
だったら今言われている「地域の再生」や現存の地域が必ずしも有効かと言えば僕はそうとば
かりも言えないと思うのです。と言うのは、地域を再生しょうにも人口の流動が昔とは比べものにな
らないはずです。人が定着し易い地域ばかりとは限りません。逆に古くからの地域では考えが保
守的です。登校拒否においては病気と阻害される恐れも強い。
むしろこれからは交通や情報の発展があるから地域という狭い空間に関わらず、多くの他の地
方の人とつながり合うことが「あたらしい地域」にならないでしょうか。」
NO115
中学校は家から歩いて五分とかかりませんでした。そのためか、僕が休んでから先生が家に迎
えに来るようになりました。何の前触れもなく、いきなり部屋に踏み込んでくるのです。
それまで、先生は僕にとって君主のような者です。突然の来訪に「まさか」と混乱するし、当初は
家まで足労させてしまった恐怖も有ります。家人の申し分けなさそうな表情も、僕に罪悪感を抱か
せるに十分でした。無理矢理先生に手を引っ張られては学校へ行かざるを得ません。
しかし学校へ行っても、内心は力で連行されたとしか思えません。先生は僕の状態を「私が家
に来ないと学校へも来れない」と言います。そんな先生は僕の気持ちなんて分かってくれないと思
いました。
今も、一部の先生は家に行くことを有効と思っています。それは力で服従させるから効果はあり
ます。でも、子の心はますます不信に固まるのではないでしょうか。
NO116
僕はいきなり学校を休んだのではありません。遅刻や、時に休みながらも学校へ行って
いました。二ヶ月くらい続いたでしょうか。
今もそのような不登校は珍しくないと聞きます。そして先生が家に迎えに行ったり、
自主的に遅刻しても登校した子は、普段どおり友人と遊んだり明るく学校で過ごす子も
多いと言います。だから学校に来さえすれば子どもは大丈夫で、家で甘えさせるから行
き渋るのだという論調も有ります。
僕も学校へ行けば努めて不登校以前と変わらず、授業を受け友人と語りました。それ
は学校へ行けば楽し勝ったからではありません。明るく振る舞わねばいじめの対象にな
ります。大勢の中の孤独も、行くからには避けたいのです。また、先生に楽しいかと言
われて「そうでない」と語れるくらいなら、登校はしません。僕の場合、生存のための
止むを得ぬ擬態だったのです。
NO117
問題山積の学校に対し、行政側や一般市民、身分を問わずさまざまな分野の人が多様
な提言や対策を語っています。実行もされてきました。その対策案はもはや、出尽くし
た感があります。
なのに学校の問題は現実には全く解決されていません。それどころか事件は増え、全
国的に深刻化しています。その事実だけを見ると、学校というシステムに、すべての子
が合う時代ではないと言えるのではないでしょうか。もちろんこれからも、学校が学び
易い環境を創り続けていくのは大切です。
でも今後、重要なのは学校改革だけではないと思います。学校と違う学びの場や、知
識中心以外の複数の進学システムを考える脱学校の論議がもっと大切では。それがつく
られれば、学校が問題とする不登校を他の機関(放任という意味ではなく)に任せられる
選択性も出ます。
それは学校にとって問題の軽減になり、建設的な対策にも時間を割けることになると
思います。
NO118
部屋に閉じこもった僕は扉の前にバリケードを築きました。空気銃や銃剣を作り武装もしまし
た。近づく親や先生に対して銃口を向け撃ってないとも言い切れません。
とは言え僕も忠孝や恩、命の大切さは痛感し知っています。だからこそこれまで嫌な学校へ
行くという奉公を十分にし、争いを避けるための指示を守りました。精神や体の動く限界まで
は。
しかし、登校が当たり前の世の中では、休めば先生が僕の部屋に自室のように踏み込みま
す。親だって僕の休みたい願いを聞き入れてはくれない。むしろ学校の助言ばかりを取り入
れます。それでは親にとって僕は学校以下の存在なの、と思ってしまいます。世間の価値観
はどうあれ、僕は苦しいのに。
自分がホッとできる空間は部屋のみ。それを死守するには、もう言葉は無力です。残るは
力しかありません。やむを得ず恩人に銃口を向けるしかなかったのです。
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