レポート



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 僕が人前で話した事を後々、人がテープ起こししてくれたり、僕が肉付けした物です。なんせ僕がしゃべると漫才のように変な話にずれ込む事も多いので。文章にしないとまとまりません。むろん話した事柄その多くは既に散逸して僕の手元にはありません。残っている物だけをここに載せます。
 
教研集会

 この文は2年前くらい(だったと思う)前に兵庫の全国教研集会という所にレポートとして出したものの一部です。だから時代的に僕の考えも今と違います。まあ勘弁して下さいな。この集会、開催元が左系の先生達の組合(先生の組織の事は良く分からない。それに飯と風呂で釣られたから)でした。だから右翼の車がバンバン来てました。中学生の時、同じく飯や服で右翼にスカウトされた僕はその時ふと考えました。もし右翼に入っていれば開場をきっと邪魔しに行ったに違いありません。何といっても兵庫県でスカウトされたのだから。でも不思議なもんです。学校に恋していた時は学校が推奨しない右翼が僕の所に来、学校に愛想を尽かしてから先生らの前でしゃべる。お互い僕を飯で釣った所も少し滑稽です。まぁしかし、僕はこの会議で一人の面白い酒好きの元(余計かな?)ハンサムなおっさんと、同世代の二人の好青年と友人になれました。それを記念してこれを載せます。

 レポート

 僕は何らかの提言を提出したいと思いました。何度もレポートを書きましたが、満足の行く物を書く事が出来ませんでした。そこで僕の思いだけでも読んでもらえればと思い書きます。
 僕はいじめがあるのは当然だと思います。また、それで毎年何人か死ぬのも当然だし、仕方ないと感じます。またいじめが深刻化するのもやむを得ないと思うのです。いじめは個々人の意識が変化しないと無くならないとも。だって人より素早く、自分さえ良ければという競争社会だし、すべてに細かく規則がある管理社会なのだから。その価値観に捕らわれていては、いじめがあって自然という気もします。
 また、学校にいじめの原因を追求しなくても、どこにでもいじめもどきは見出せるのだから。子どもについて特に考えなくても、珍しい事ではないはずです。そう思えば今のような考えやシステムを用いる限りいじめは大人にも、子どもにも永遠になくならないと言って良い気もします。
 もちろんだからと言っていじめや自殺する人の死を僕は喜ぶ訳ではありません。何か出来たらと思う。でも今の僕が死のうとする当人に直接出来る事は無いのです。「死なないで」と言ったところで死ぬ人は死にます。それは却って死に行く人には、ただ白々しいだけでしょう。だって「いじめはいけない」とか「平等」や「みんな仲良く」という実の無い言葉は巷にあふれているから。それでいじめが解決しているかといえば、現実にしていないのだから。
 そう考えれば所詮僕は一介の市民です。いじめや不登校の対策を言った所で実現しません。また、自分では言うだけ言って何も実現出来ないのが分かっています。
精々出来て自分が人をいじめていないか見つめる事くらいしか。それにいじめに対して偉い先生や文部省が提言し対策を打つ場合も自殺が減らないのは現実(偉すぎて、高いとこからしか物が見えないから?)のとおりですから。 
 今のままではいじめはなくならないと僕は思います。でも、そんな現状で少しでもいじめを和らげられるとしたら、日頃からのいじめ、いじめられ当事者との個人的な信頼関係だと思います。親。先生。友人。地域の人。そんな人々が彼らとの間に認め、
助け合い協力できる人間関係があれば。それが一つでもあれば。いじめがあっても傷はまだ浅いかもしれない。解決への糸口も一人で悩むよりまだ、見つかり易いは
ず。一人で抱え込み何の対策も無く死の淵まで追い込まれる事も減るでしょう。。
 それは僕自身の体験からでも断言できます。もし、認めてくれる人が一人いるだけでも生きる意欲が出ます。同じ体験を共有した事がある人がいればなお、辛い事でも耐えられます。僕は初めて同じような登校拒否児が伸び伸びと生きているのを見た時のうれしさは忘れる事が出来ませんから。僕も狂っていないんだと思えて。生きる気力が出たものです。
 そんな僕は中学時代、誰とも会わずひとり部屋に閉じこもっていた時がありました。その時の絶望感は例えようもありません。周りはみんな登校が正しいと信じています。そんな人には語彙の少ない当時のぼくでは、思いは尚更うまく伝わりません。却って精神の病気や怠けにしか捉えられなかった。だから余計に理解されず、精神的にも状況的にも僕は閉じこもります。けれど閉じこもれば僕だけしかそこにはいません。反面、世間のみんなは同じように閉じこもっている訳ではありません。むしろ学校に行っています。自分だけが世間に合わないと思う。また現実に閉じこもっても親や周りの圧力が消える訳でもない。当然、このままだと歳月は過ぎ、大人になってしまう。わかっていてもでも現況では外には出れない。そうなれば将来閉じこもったままでは生きていけないとも感じる。そんな自分を悪いと思ってばかりだったから一寸の事で落ち込みます。自殺もすぐ考えたり。そんな閉じこもった状態を明るい希望ある状況と感じる事は出来ませんでした。 いじめも閉じこもりとは一面違いますが、思いを伝えられない事のほうが多いと思います。プライドもあります。思いを伝える事によって、相手が受け入れてくれなければ更に傷口が深くなるという恐れだってある。僕はそうでした。
 変な事を書いたかもしれません。このように無為無策な僕です。この会場でだったら僕は何が出来るか。今の僕ではくどいですが自殺を考えている人には何も出来ません。ただこの場にいる方に僕の体験を語る事は出来ます。そしてもし僕の体験を通しての話で、先生や親、当事者自身が立場や利害を超えて問題を話せるなら。繋がる機会になれば。そこから協力していじめ問題にいろんな見方で見つめられる契機にならないでしょうか。それが一番、いじめに今、必要な事なのだと僕は感じます。

 
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