いじめる側,いじめられる側の関係を多くの人は固定的に捉え勝ちです。もちろんそういう面もあります。しかし僕は両方を経験し立場は常に変転すると感じます。また、子ども同士だけと考えるのは早計とも感じます。親と子、先生と生徒いろいろです。何がいじめかという線引きもきわめて難しい。そして僕にとってのいじめ観も近年随分,変化しました。
 小さい頃はいじめたほうを得々と喋っていましたが,今はいじめられた方を語る事が多いです。それは時代の風潮を現しているかもしれません。なんと言っても昔は「いじめられるくらいなら男の子はいじめたほうが良い」という気風や「いじめられるほうに問題がある」という関係で語られる事が多かったから。そして最近は文部省の見解などは石頭で「いじめる側が悪い」と言いきります。こうなると中々にいじめた経験を語るのは勇気がいります。半面いじめられた方を語るのは、僕は被害者だという風に語るだけで非難よりも、簡単に同情や共感を得ることができるでしょう。本当はこんなに簡単に割り切る事は出来ませんが。
 とにかくインターネットには取りあえず僕のいじめられた経験の一部をこれから少しづつ載せようと思います。また読んで下さいな。一部当時の言葉を共通語に直したりします。
99/9/10

 いじめについて(僕のささやかな経験より)
 
いじめと言う原因から始まった僕の登校拒否体験(厳密には一部分でしかないが)について、まとめてみたいと思います。しかし、これは僕だけの経験で他の人に当てはまるとは限りません。僕の場合として見て欲しいと願います。
 僕は22歳で(これは当時です。今は25)9年前の中学一年生の時、登校拒否しました。詳しい日付は覚えていませんが、10月か11月頃でした。その原因はいろいろあるんですが、その一つはいじめです。
 いじめとは、やられてもはっきり言って、先生に言えるものではありません。言えたとしても言いづらい。今の生徒も多分そうだと思います。どこからがいじめで、どこからがいじめでないか、その線引きも難しいと思います(主観の問題では簡単としても)。その思いは中学の頃から既にありました。
 中学時代、生活ノートと言うものがありました。これは一日の予定と、出来事を書いて一々先生に提出するものです。居残りしてでも毎日提出させられました。まずは中学一年生と,三年生の生活ノートから抜粋した僕の当時の思いを一寸,書きます。まず最初は一年生の時のものです。
 「今日は良いことがなかった。数学が分からなかったし,帰り,誰か言わないけれど画鋲がイスに置いてあり、後からわかったことだけど血が出ていたし赤くなっていた。そしてうずいている(まわりに)部活帰ろうかと思ったけれど、やったらガラスが割れ、少々怪我をしたし、ほかにもあった。いいことはない。とんだ一日だった」
 「今日音楽を忘れた。ちゃんと中にいれたはずなのに入ってなくて,楽器の本が無くなっていた」
 次は三年生の時のものです。
「別に平穏な一日だった。少々帰りが遅くなって寒かった」
「何も無い一日だった。少々だやい(注:だるい、心身ともに疲れた様子)。作文を仕上げた。つかれた」
 一年生の時の画鋲が置いてあったことなど、よほど鈍感な先生でなければ、いじめがあったことを気がつくと思うのですが。このような事の他に集団でからかわれるとか,授業中にちょっかいを出されるとか、軽く叩かれるとかいろいろあるんですが、省略します。そういうことをされて自分はどう思うかと言うとやっぱり嫌だった。でもいじめとは思えなかった。
 生活ノートに何故名指しをしなかったかというと、小学校の時の体験で,自分達も椅子に画鋲を置いたりして遊びとしてやったり、やられたりという過去がありました。画鋲を椅子にしかけるとか,物を隠すとか、落書きするとかいうことは当たり前と言うか、日常的な状態だったのです。もちろん画鋲などの遊びは小学校の時に収まった事なのですが。だからこそ中学校になってから同じ゛事が再発してからも遊びではないかと,いやでしたが、そう思った面もあります。
 何故,名指ししなかったかについて話しを進めて行こうと思います。まず小学校のころから、先生が信頼できなかったと言う事があります。というのも、僕の生活ノートを機会があれば見てもらえれば分かるのですが、「だやい」と書くと必ず注意される言葉が書かれ、がんばった事を書くとそういう時は丸なんです。そうでないと,僕から見たら生活ノートに文句を,先生からすれば注意書きなんでしょうけれど,書かれるので言いたい事が言えない状況になっているんです。
 先生は「困った事があれば何でも言いに来て」と言われますが,生活ノートでさえこれですから,言えば小学校の時は叩かれる事もあったし,また犯人捜しをして正直に言えば怒らないと言っておきながら,自首した人は散々に説教されたり叩かれたりしました。こういう大人の嘘がありました。これは小学校から積み重ねられたもので不信感は一日で出来たものではありません。
 それから9年ぐらい前ですと、いじめられる方が悪いという考え方がありました。また強かった。「いじめられている」とは言えなかったのです。話せば「お前の方が悪い」と言われそうでしたから。ですからはっきりと生活ノートに書かず、ぼかして思いを伝えるしかありませんでした。
 また家庭での対応の問題もあるのですが、「男は泣き言は言わないものだ」とか「やられたらやり返せ、いじめられたらいじめ返せ」と言うのが家の気風でしたので、家でもいじめられたことを言いにくかったのです。そんな感じの家庭ですから,思いを受け止めてくれないと思っていました。また,家族に心配を掛けたくないと思っていたし、その裏返しで家族では頼りにならないとも感じていました。また僕には弟がいます。男は強くあらねばならない。だから僕がいじめられたことを弟に知られるとしたら、恥は大きい。普段から偉ぶっているから,僕の面子に関わります。
また僕には同級生60人ほどのお互いの性格、顔がわかる小学校から、同級生300人以上の大きな中学校という急激な環境の変化です。ついでに中学校と小学校ではシステムも違います。そのためか?今までの友達でさえも気が合わなくなっていたのだから。もちろんそれは,僕の友達の大半とクラスが別れたということや、友達が大人っぽく格好をつけ始めたというのもあるのだけれど。しかし、それは僕にとっては信じられないような出来事でした。
 そんな中学には新しい生徒の力関係というのもあって、僕をいじめた生徒はたまたま先生の覚えめでたい生徒、表面上はクラスを引っ張って行くような良い生徒でした。そんな彼らのちよっかいや無視は嫌だった。だからけんかして,彼らを力で黙らせる事も考えましたが出来ませんでした。それはけんかなどして騒ぎを引き起こすと内申に響くということは先生も脅すし生徒なら誰でも知っている事でした。高校へ行かないと言う事は、バブルの時代また当時の僕の価値観ではまともな仕事につけないということになります。そう言う考えの人がまだ多いのは今も当時も同じでしょう。僕もその時は強く捕らわれていましたから。高校へ行く前にけんかでもして、先生の評判を落としたら…。と言うことを考えると、ちょっとできなかった。また、相手は相手は話の合うグーループを組んでいる生徒でしたので,一対一でけんかをしても、相手は多人数なのでリンチ状態になりやすいのです。僕には一寸した小競り合いでもそうなってしまうのでした。相手が悪くても,ほとんどの生徒が相手方だと,先生は多人数の方を信じると思いました。僕をかばってくれる友達グループはついぞ出来なかったのだし。ましてその生徒さえ先生が押さえておけばクラス運営は上手く行くという感じの生徒です。このようなちょっかいをかける側と僕の圧倒的に離れた力関係。成績が良く,先生の受けも良く、しかも多人数を相手に先生に訴えてもたぶん分かってもらえない。もしも僕が遺恨積る相手を殴ったとしても,誰も僕の思いを代弁してはくれないでしょう。となると暴力を行う事では状況は悪くなるばかりです。例え,一対多数で万が一にも勝ったとしても。だから暴力で解決する事はできなかったのです。やり返した方がいじめは無くなったとしても。

  

8/8日  

 また、彼らの行動を遊びではないかと思ったからということもあります。先生に名指しでもしょうものなら。またそれを先生が取り上げてくれたとしても,「だれがやったんだ」というへたな話を先生がクラス全員の前でしてしまう事が当時はよくありました。しかもその時、相手がいじめではなく,本心から僕と遊んでいると言う思いならば・…。どうして、チクったんだ何故,俺を貶めるような事をしたんだと責められる事になるでしょう。もし彼らが小学校のように画鋲を置く行為が遊びであり,友人として付き合っているつもりならば。それは僕が彼らにし返すことをしないで勝手にいじめられたと思いこんで忌めのではないか。それが彼らの僕に対する友情だったのかもしれない。また、そうであったとしたら彼らの心に僕に対する本当のいじめ心を与えるかもしれない。そう言う理由からでした。




以下,来週以降に続く






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