更新を最近、怠っていた。というか、多忙で時間も心のゆとりもなかったからだ。本当に激動の年始という感じで、いまだ落ち着いていない。更新も久方ぶりで、なので誰も見ていないとは思う。
 まず、3月末で居場所を閉めることにした。これは、とても10年も続けてきたものであり、現在も利用してくれていた人がいたので断腸の思いであった。本当に申し訳なく思っている。
 理由は、自分が勉強しなおしたかったので、大学院に進学したからだ(僕は中卒ではあるが、大学院へ進学している)。不登校という物も、あるいは最早、学びたいと思えば、あるいは僅かな可能性としても学ぶ事ができる時代なのかも。僕の場合は人に恵まれただけだが。とにかく、だがそのために閉める事になった。
 居場所の事などを考えると自分が利己的にも思えてしまう。事実はそうなのだが。せめてできうる限り、何時の日かまた教育関連で、再び関われる日が来ればとは思っている。そのための投資と思って今は学ぶ事にしている。
 4/29/2008


 今年はいろいろ波乱含みの年だった。子どもの権利に関する事で色々とあった。人生が変わってしまった。もちろん、悔いはないし、人はどう思うか知らないが、職責に合った義務を果たせたと思う。満足だ。
 子どもの権利とはあるがままの、生まれながらにして認められたものである。であるので生きているので、こうしなけりゃいけないという義務という物はない。科すのがおかしいのである。
 だが、中々、権利の前に義務というような論調も合って、(生まれる子にどんな義務があるのだろう。責任能力が育ってから、「権=権力」ができてから、義務が出るのではないだろうか。まずは安心して生きて、守られないことには駄目である。赤ん坊などは最初は精神的な、幸福を抜けば本当に手間隙をまわりにかけるだけの存在なのだから。)悩ましい。
 ただ、フランス革命この方、権利では多く、血が流れたり、犠牲も多い。近代に作られた概念だから仕方がないのかもしれない。定義も、日本では他の解釈の余地のないほどでも、ない。色々な観念がある。元々は確かに140年程前には日本になかったものだから。
 もちろん、大人の権利も確かに、人によって今はない時代だけれど。少しでも、来年が、どの人にとっても良い年であるようにと思っています。
 
 来年はどんな年になるのだろうか。僕にとっては、生き死にを賭けた年になるだろう。ただ、全力を尽くすしかない。けれど、世間的には少しでも幸せであってほしいと心より願っている。

2007/12/28



 先週だったか、佐賀から大阪へ行った。正直、富山人の僕にはやはり南国の方が暖かい。土地の人が「寒い」といっても、僕には温かいくらいだった。日本というのは、細長い国だから、いろいろと違いがあるなと思った。感じ方も様々である。
 また、詳しく書かないが地域によっても教育にはある基準で計測したら格差がある。不登校でも、内申書をあまり重視しない県や、重視しても、高校が多様にあって卒業しようと思えば高校は卒業できる地域もある。本当に不思議だ。不登校以外でも、学力でも格差はある。
 学歴というのは、今はお金があれば、一部地域ではお金で買える所もあり、また能力があっても受からない土地もあり。選り好みしない中学浪人も聴く。本当に様々な格差が出てきたと思う。今、やっと90年代から続く経済格差が白日になってきた。
 という事は、教育の格差が、地域格差が明白になるのは、後何年経つ頃だろうか。正直、時代は変化している。でも、簡単にはかわらないのだ。経済は情報革命で、激変しているが、まだ、新しい時代に対応した経済に対応し切れていない。教育は更に経済より遅れる傾向が歴史ではある。それを思うと、何十年も時代に適応できない痛みが、これからしばらく社会問題として、知られずにしかし痛みを伴って続くのかもしれない。本当に恐ろしい事だと思う。また、罪な事だとも思うが・・・。改革は個人のなしうる所ではないのもまた事実である。 12/10日

人は自分で生きているようで、大きな枠組みの中で生かされているように最近思ったりする。好きに生きることは誰かの世話になっている事だし(養われているとかではなくて助けられているとか)好きな事をする場合は、意図せず誰かを傷つけてしまったり、あるいは傷つけないでは出来ない場合がある。そう考えると、好きに生きてきたつもりだが、多くの人の支えがあり、また多くを傷つけてきたことに慄然とさせられる。そして、傷つけたと知ると、枠組みの中だけで動きたくなり、何もしたくなくなるのだ。助けられている事には、ただ感謝しかない。
 知らなければ何事にも「僕は正しい」と切り進められるけれど、色々と相手の立場その他を知り、考えると、できない場合もある。自由に生きると言うのは、素封家でもない限りは相手を傷つけてしまうこともあろうから。
 だけど、相手の立場(強い立場の人をここでは想定)より、より大きな社会的利益を考えた場合、相手の逆鱗に触れてもやるしかないかなと思っている。 もちろん、そうすれば生きづらくなるし、下手をすると我が身を損なう。自分自身、一部の人を傷つけると分かるのだから辛い。また、たいていの場合は、相手は親しい人だったりする。本当に、矛盾を感じるこのごろである。
 本当は誰しもが損をしないシステムを考えられれば良いのだが・・・。まだ思い浮かばない。日々、限界を感じつつ日々を送っている。 12/11
 
11/1 

 学歴は崩れたとはいえ、厳然とある。確かに事実ではある。実際中卒の僕は多くの仕事に、落ち続けてきた。ある面では、書類だけで落とされることもあった。学歴はあるといえる。確かに悔しい思いもした。面接すらたどり着けない。
 ただ、じゃあ、厳密厳然かと言うと、そうでもない。やはり崩れつつある面もある。僕は、学歴を抜いて、一流企業に受かった人を何人か見て入る。もちろん、数は少ないが。
 でも、これからは、こんな腕があるとか、こういう技能があるという人間にはますます学歴は崩れて行くと思う。
 だから、僕は皆に遊んで好きな事をしろと言っている。というのは、学歴で取る所に、例えば僕のような15年以上、ブランクのある人間は履歴でやり取りしても敵うわけが、一般人と比べてないから。遊んだり、好きな事をして磨いた芸で誰にも負けないもので勝負したほうが、よほども良いと思うから。もちろん、もしかしたら7年程度の遅れなら、簡単に取り戻せることは、今の時代色々システムを調べたら、可能かもしれない。だから、ゆっくりしても良いとは思う。もちろん、色々と調べるのも才能なのかもしれないが。
 あるいは、よほどに学歴とかがいやなら、自分で起業するのも悪くないのかもしれない。鯛の尾よりはいわしの頭と言うのは事実でもある。責任はひどいが、他人の命令で動かなくて良い分、気が楽である。
 何にせよ、無理に社会システムに自分を合わせて生きる必要はないような気もする。合わせて生きたところで、生きづらいなら、人生を楽しむ事を必死で探しても良いのかもしれない。最近はそんな気がする。それがつまり、学歴も崩す事になって行くような気がしているのだ。
 とにかく、あまり僕には時間が残されていないが、ゆっくりと残された時間を楽しみたいと思う。 9/29

今日、久方ぶりの更新。今日石川、津幡で自分の23歳からの体験を話してきました。正直、良い機会与えていただいた事は感謝。ありがたいことです。これで思い残す事はないほど、肩の荷が下りたような感じです。
 言いづらい、正直はなしたくない話で、みつめる事すら辛かったけれど、皆さん真摯に聴いてくださって、ただ、ただありがたい気持ちです。
 良い機会を与えていただいたと思うのと、話を出来るというのは、よい聴き手があってこそだし、場の雰囲気あってこそだと思う。本当なら、糾弾されても仕方ない話を、真摯に聴いていただいてただありがたかった。
 技術論その他なら、何も悩む事もないのだけれど。自分の生き方のマイナス的なことを伝えるのは苦しいなと思った。
 僕は、ともすると、ふとうこうをした後の生き方がエリート的な人生に思われてしまうけれど、そうではないという事を伝える事が出来た。本当にドロドロとしたものを、みつめる機会を与えてくれた事に、感謝しています。ありがとうございました。
 関係者は誰も見ていないと思うからこそ、お礼の気持ちをここに書き込んでみた。
  9/22日



宮川トップに戻る