文部省へ行く

去年の12/15日に文部省へ行きました。麦の根の福澤君と。まずは鈴木 賀津彦という中日新聞の高岡支局長で僕の友人のおじさんが新聞に書いた分を載せます。僕らの訪問記はその次に載せます。他人が僕をどうみているかというのも面白いと思って。

北陸中日新聞 1999/2/8日  越中春秋より 鈴木 賀津彦

 「ちょっと文部省へ行ってきます」。毎週火曜日掲載の「学校へいかなかった僕から」の執筆者、本郷武さん(僕のこと)が昨年暮れ、支局に来てボソッと言う。「何しに?」と聞くと、「生涯学習振興課長の寺脇研さんに会って話がしたいんです。周りの人からは会えるわけないだろっていわれるんだけど」。
 元不登校児の友人と二人で出かけた本郷さんからの報告は「一時間も話し込んできた。最後に、富山に来てもらえないかとお願いしたら、来てくれるって」。握手をして別れたことをうれしそうに話す。さっそく、寺脇さんを呼んで教育を語り合う集いを七月末に開く準備を始めたという。
 中央官庁の「高級官僚」にお願いごとをするのに、県庁や教育委員会の人たちなら、「官官接待」を含め役所を挙げて取り組むのかもしれない。でも、一市民として、気楽に訪ねて話して見るのが一番いい。


99/2/24付け 中日新聞より

昨年末に友人と二人で文部省へ行きました。
 目的は全国の不登校関係の活動を知る事。僕ら若者が作っている、インターネットで情報発信をする居場所『麦の
根』の活動を伝える事。可能ならば生涯学習局 生涯学習振興課課長の寺脇研さん(現在99/7月現在は大臣官房の政策課課長)に会い、さらに富山に講演に呼ぶ事を夢見て。
 でも僕たちは肩書きも身分も無い、元不登校児です。文部省につてなぞありません。どうせ駄目でもともと、一分か二分でも寺脇さんに会えれば上等。そう思い上京の数日前、電話したのです。同課の鈴木忍さんに取り次いでもらい、返答は「会っても良い」と、一時間も時間を取ってもらえるという「破格の厚遇」を得る事ができました。
 なぜ文部官僚の寺脇さんに会いたかったか。それは寺脇さんが広島の教育長時代から「いじめや登校拒否は文部省に一番責任がある。学校に来ない権利は保障されていい」とか、「いじめや」不登校が増える責任は教育長の私にある」
という発言、類する関連の著作など。知るにつれ話せる人だと思ったからです。
 文部省へ行くと寺脇さんは会議中で、まず生涯学習振興課課長補佐の小山竜司さんと同係長の田村卓也さんの二人が相手をしてくれました。僕がまず「不登校の小、中学生が学校以外に学ぶ場は適応指導教室以外にあるのか」と聞きました。小山さんの答えは「今の所は民間のフリースクールがあるのみ」と。「しかし大検や全国の放送大学がある」と言われ「放送大学は中学さえ出てなくても、18歳以上になるとだれでも入学できるし、十六単位以上取れば高卒と同程度になり、さらに百二十四単位を取ると大学も卒業できる制度がある」とのことです。
 「現在、学校に来ない子の学ぶ権利が守られていないのではないか」と言うと、「何か良い案でもありませんか」と小山さんが逆に訪いかけてきました。僕はこのように親や先生からは今まで問われたことが無く、感動し驚きました。
 間もなく、会議から戻った寺脇さんが参加しました。話は居場所の話に戻り、「文部省としては2002年から子ども向けにインターネットを備えた情報センターを、人口十万人に一ヶ所の割合で全国に備える」とのこと。話がパソコンになったので、僕らが作っている居場所についても語りました。
 寺脇さんは「文部省も精一杯努力しているが、すぐにはできないこともある。君たちも行政に何かしてもらうのを待つのではなく、今のように自分達でできることはやっていってほしい」。そう話すうちに時間は予定を過ぎてしまいました。最後に「富山に来てもらえないか」と言うと、「緊急事件でもない限りは大丈夫だろう」とあっさり決定。決断の早さに驚きまし
た。そして和やかに握手を交わし別れました。
 今思うのは、僕たちはこれまで行政を批判するか、何もせず、声を届けるのすら身分が違うと諦めていたのではないかということです。富山のように殊更、学歴や学校を信仰するのでは、寺脇さんの言うように「文部省が変えようと思っても、現場の親や先生の意識が変わらないと変えられない」と思います。
 僕らでも行動すれば行政に声が届くのです。もっと市民が行動し声を届ける事が、やがて行政と協力し教育を変えて行く一歩にならないでしょうか。


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