関係ないけど

 最近10/24日に富山県の教研集会へ行ってきました。道中、鳥の糞が僕に当たったので天運我にありと喜んでいったのですが。集会場は相変わらず。頭が固いと言うか、変革できない(個人の力量では妻子を養わないと行けないから、度胸が無いとかなり難しいはず)のを理屈を捏ねて先生達が正当化していると言おうか、まぁそこらへんの微妙なもどかしさは全然昔とほとんど変化していません。ただ昔よりは心情を吐露してくれる先生が増えたのは良い事だとは思います。
 だけど聞いただけで僕自身が、確認していないからなんとも言えませんが、学校に導入されるカウンセラーの時給の高さに怒り心頭でした。どうして僕ら現実に学校をドロップアウトした人間が現場で安い金で血を流して働いているのに、訳知り顔で経験した事も無い知らない人間が(もちろんカウンセラーにも素晴らしい人がいるし、多い。としても金が高すぎる。僕の時給の7倍ある。これは不登校経験者で一文も儲けてない僕には納得できない)人の話を聞くだけで金もうけするのかと。あまりに下らないので途中で帰って友達に誕生日を祝ってもらっていました。貧乏な仲間と酒を酌み交わす。利害関係の無い会話。下らない教育論を語っているより、余程生きている気がしました。もし今の学校に生きていると言う実感があれば不登校もほぼないだろうに。カウンセラーに金を掛けるくらいなら、僕と同じくらいの時給で使い捨てのような若い臨時の、すぐ首を切れる先生を増やせばいいのに。まぁ愚痴かな。
 
 ともかくこれから始まる文は、二年くらい前かな、かって大勢の先生の前で語った僕の文です。若かったので実状を知らず「そんなこといっても無理だよ。馬鹿」と今の僕も言いたくなる内容です。要求ばかりだし。先生の苦悩や、家族などの為に勇気を押さえねばならない事を知らなかったから。しかし基本は間違っていないと今でも僕は思います。文は当時のままで話し言葉を文章語にのみ直します。ついでに今僕の考えもかなり変化しました。付け足したりもしたいのですが、まあ過去に忠実に。

スピーチ

 これから語るのは僕個人の体験です。八万人以上いる登校拒否の人には当てはまるものではありません。また、僕が語る先生像もたまたま僕から見てそう思えたに過ぎません。あくまで僕だけの話、僕だけに通用する事です。それと僕の経験はもう十年前の話です。今にそぐわない面もあるでしょう。最後に僕の表現が不適当でもケンカを売っているのではないのです。単なる口下手なのです。喋るのが職業ではないのだから。そのことを事前に承知しておいて下さい。
 僕は登校拒否問題やいじめを語る世間の風潮は下らないと思います。また僕自身、何度となく自らの経験を話すたびにうんざりするし、無力感に襲われます。正直な話、語る自分か゛馬鹿でしょうがないという自己嫌悪にさえ陥ります。
 何故、世間の風潮が下らないか。それは「いじめは絶対いけない」とか「いじめを無くそう」と声高く叫びます。でも現実問題として、誰でもそれは知っているはずです。そんな事言って解決しないのも分かっているはずでしょう。ただただ世間は責任を「学校が」 「親が」 「生徒が悪い」という対立論でしか語らないように思います。行政だって「いじめる方が悪い」というような場当たり的な事を対策にしていますから。大切なのはどうしていじめが起きるのかとか、また「死なないで」と言ってもどうして子どもが自殺するのかということでは。でもそこは責任追及よりは真剣に考えられていないと僕は思う。
 また僕がどうして自己嫌悪に陥るかというと自身の体験を語り終わった後、人は「登校拒否の深刻な事態を痛感した」などと言います。でも僕のたった一回の話で思いが分かるでしょうか。また分かるならばどうしていじめに具体的な対策を建てないのか。そうでなくても、ささやかでも行動を起こそうとしないのか。また僕と何度も語ろうとしないのか。疑問です。僕は腹を割って話しても何の反応も続かないのだから。空しくもなるし、毎回嫌な思いを話すのだからうんざりするのです。
 だから僕にとって教育に携わっている人は、僕をネタにして、登校拒否問題を真剣に考えていると言う、いい格好をしたいのではないかと思ったりします。それとも思いを本心から語ってくれる登校拒否児が先生の前では多いのでしょうか。それなら僕の先生にもてない、やきもちなんでしょうけれど。
 でも少なくても僕の一部の体験を元に(資料があったらしい。僕は何でも人にあげるので残ってない。)言えば、また僅かですが学生や登校拒否児からの話を聞くと、とても先生や専門家は当事者の話を聞こうとしていないのではないかと思います。
 もちろん先生にとって「いや違う語ってくれない」と言われるかもしれません。でも僕も先生に無視されたし、僕の知り合いで、はっきりいじめられたと言ったのに無視された生徒もいます。どんな些細な事にしろ思いを学校内で伝える生徒は必ずいるはず。一々肩書きのある偉い専門家に聞くよりも、生徒の方が当事者で知っているはず。もっと生徒の話を聞いてほしいのです。専門家の登場は最後でいい。
 僕の経験から言えば一部の先生は、生徒の話を聞く前に会議が忙しいとか、様々な問題で忙しいと言います。そして聞くのを断ろうとします。でも、もし先生の見る目が生徒の立場。生徒が学校の主人公。という見方があれば、どんな会議があるかは先生はいつも答えてくれないから分かりませんが、それに遅れても、断っても生徒の話を親身に聞く事が必要ではないでしょうか。仮に生徒の素行が荒れたからと言って校則強化の会議をするくらいなら、どうして荒れたかを生徒に聞いて改善すればいい事ではないのでしょうか。そのほうが生徒を信じる事にもなるし、生徒も先生を信用できるようになるでしょう。会議云々を断るのが難しい事は、社会で仕事をしている僕には痛いほど分かります。が、人の命が大切と言うならば断ってもやれるはずです。もしかするとその時、その子が死ぬほどの気持ちで先生に「話を聞いてほしい」と言っている事もあるだろうから。登校拒否や、いじめで苦しむのは先生よりも当事者の生徒なのだから。勉強の方法論の追求より生徒の話を聞くと言うちよっとした心配りが必要ではないでしょうか。
それがもし「駄目だ。生徒の立場より、お上の、行政の方が大切」というならば。せめて先生もプライドを捨てて生徒に「先生にもできないことがある」というべきだうし、「だからこそ一緒に生徒と考えて解決していこう」と言ってほしいのです。またそれ以上に 生徒とその場で決めたことを実行してほしい のですが。それが出来ないならはっきり「困ったことがあれば相談しろ」とか「平和。人権。人の心の痛み」等の言葉は言うだけ現実として生徒には建前と空しいウソだらけだから言わない方が良いのではないでしょうか。また僕は言ってほしくありません。どんな美辞麗句も守れねば嘘です。嘘つきには相談は誰だってしないのはわかるはずですから。
もしいじめがあるいは生徒の抱える問題が学校や先生個人の手でお手上げなら、せめて「根性で登校しろ」などと言わず登校拒否を進めてほしい。もちん先生はそれで責任を放棄するのではなく地域や家庭で学べる状態を作るのに協力してほしいですが。
最後に先生はいじめは生徒同士の問題と考えている人がいるかも知れないので、僕の体験の一部で締めくくりたいと思います。だって先生がいじめの原因を作っている場合があるのだから。
僕が小学校のとき。朝、職員室に先生を迎えに言ったとき。あるいは朝礼をするとき、先生の表情で今日は殴られるか、叱られるかが分かったものです。先生の顔が吊り上っているのだから。そして先生が廊下を走っているのに、僕らが同じように走れば、叱ります。真似ているに過ぎないのに。なのにあだ名をつけられたり、クラス全員の前で叱られれば。これは規制という建前上の弱いものいじめし、叱られた奴は悪い奴だから自分たちも先生と同じように注意して(いじめて)良いという考えがあったのです。
生徒だって弱いものいじめはいけない。それはみんな知っています。でも一番力のある先生が忘れ物や規則で生徒を締め上げれば、生徒だって変わった奴は外れ者だからいじめたっていいと思うはずです。先生が生徒をいじめても誰も怒らないのと同じように。いじめられる生徒は孤立して反抗できない場合が多いのだから。
だから飛躍するかもしれませんが、いじめた方が悪いとか言って殴ったり、先生も忙しいと言うならいじめは解決しないでしょう。また、建前でいじめはいけないと言っても。もちろんそんな学校に失望して生徒が陸続と登校拒否を起こしたって不思議ないのではないでしょうか。
先生もプライドを捨ててどう忙しいのか、なぜ生徒の立場に立てないのか。自らの嫌な体験を含めて語るべきではないでしょうか。生徒、親、様々な職種の人と語り合って一緒に考えるべきではないか。
僕らに腹を割って語らせてばかりで「わかりました」といって先生、学校が何も変わらないなら、僕はもう話さない方がましです。僕も過去を話すのは辛いのだから。先生方も辛いかも知れない。が、自分の立場を言ったりすることで、民間と学校が融和でき、解決策を考えられるこれからの一歩ではないか。嫌なことをさらけ出し、語り合うことで問題も明らかになるでしょう。僕もそのためには協力は惜しまないつもりです。嫌なことでも僕は語るし実行もしましょう。だからせめて今回からは僕をいつも語ることで空しくさせないでほしいのです。






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