幸せな生活
僕の人生に不登校などどうでもいいことです。これから僕の人生をどう楽しく生きていくかです。今一人暮らしをして五年になりますが現実に幸せに生きています。しかし今の生き方は僕だけ幸せになるだけで、周りまで幸せになる生き方ではありません。むしろ負担をかけるのみ。何か大事を為したい時にも動きにくいし。今は周りも幸せに生きれるような生き方を考えています。何があるんだろう。
まず読む前に注意書き!!
これから書く文は今の社会で学歴も、腕も奇抜なアイディアもない長時間労働もしたくないという。なんの取り柄もない(現代社会的に)僕が見つけた幸せな生き方です。読む人に新しい生き方の提案になればと思って。ただ読む前に注意してもらいたいのはこの生活を実行に移すと(いないと思うけれど)おねぇさんにもてなくなるというハイリスクがあります。もてないから実行可能とも言われますが。とにかく、もてたい人は読まないことをオススメします。また、この生活を真似して起きる一切ののトラブルに関して僕は責任を負いかねるのをご了承くださいな。
幸せな生活
僕は今、数年前から一人暮らしをしています。親からは経済援助を受けていません。こう書くと、世間的には当たり前に聞こえるかもしれません。でも内実は収入は入って月十万前後。資格は身分保証の原付だけ。学歴も中卒です。貯金もまず、十万もあれば良い方です。年齢の割に日替わり定職で、手に職もありません。今は、六万くらいで以前より優雅に暮らしていますが。収入もほぼないので健康保険(何故か130万以下の年収に親の扶養とはお役所が認めない)にも入っていません。国民年金は払う気もありません。そんな生活を三年以上やってます。世間の常識で考えると僕は自分の安全保障も、国民の義務も果たしていないかも。これだけを読む人には行く
末、登校拒否の哀れな末路を感じさせるかもしれません。
でも僕は今の生活が限りなく楽しく、ありがたく感じられます。それ以前に定職を持った時より、はるかに幸せなのです。
何故幸せに暮らせるかというとそれはバイトで週三、四日しか働かないからです。バイトで保証はないから解雇や病気になっても文句の言えないのは覚悟の上です。けれど、働かないと疲れません。わずらわしい人間関係やストレスにも余り悩まされなくて済みます。生活にも金をかけません。あまり遠い将来も考えません。そのことで先のリスクを考え、貯蓄のために働かずに済みます。だから自分が使える時間や体力を持つことが出来るので
す。また問題が起きても、見栄やプライドで力んで全て一人で解決しょうとしません。困った時は人の助けを借ります。
こうして余った時を平安に、家では時間に束縛されずぼーっともします。本を読んだり、文を書いたり、考える時間もあるのです。外ではただ雲をみたり、山、海と自然の中に身を一日中さらすことも出来ます。人ともじっくり、ゆっくりと付き合えます。子どもと遊ぶ時もあります。旅にも費やせるのです。
本を読み、旅をしいろんな人々と会うことで、学校や会社以外の知らない世界を知り、価値観も広がります。そうすると一件、平和にみえる社会の問題も見えるのです。その問題に取り組む時間があります。僕の場合、イベントをしかけたり、自身の体験を語ることもあります。それで疲れても、自然の中にいることで心を落ち着ける事も出来ます。
読む人には、こんな生活は刹那的で無計画だと言われるかもしれません。でも僕には登校拒否時代から放浪中の今まで出会った様々な職業、階層の友人がいます。その中には家族ぐるみで付き合ってくれる家が何軒かあります。ありがたいことに時には、食事を一緒に食べさせてもらうこともあります。子どものお古や旦那さんの使わない服も頂きます。また、医者や看護婦さんの知人、友人がいます。僕の調子がおかしいと診てくれるし助言してくれます。もちろん僕自身も食品関係でなるべく働き、廃棄食品を休憩中食べます。人がいらない物ももらいます。だから衣食に金がかからないのです。払えばいいのは下宿の家賃と光熱費程度です。
それで僕は過労死する程金を稼ぎ働く必要がありません。そしてわずかながら金を貯え、夢に投資できます。
働かない分の時間をやりたいことや、人生の充実に当てられるのです。健康で文化的な生活も出来るのです。
でも僕がうれしいのは、物を貰うことではありません。人に誘ってもらえることや、気にしてもらえることがうれしいのです。自分の存在が認めたと思えるから。孤独でもないから。その積み重ねで自分も人間不信を吹っ切る事が出来たのですから。人にも少しは優しくなれました。
それに僕は今の経済社会になんの取り柄もありません。ふつうに生きれば底辺のままでしょう。こんな僕は経済主体とは違う、他の生き方。金でなく、人との関係を大切にした生き方しか浮かび上がりませんでした。無論、今の僕が多くの人に助けられているのは事実です。けれど老人に伝え聞くちょっと昔の日本も、地域で、一人で何でも抱え込まず、互いに助け合っていたはずです。郷村で子弟を育てたとも聞きます。子弟もだからこそ恩ある郷土や、その更に下の後輩のために利害抜きで尽力したのではないでしょうか。将来、僕に何が出来るか分からないけれど、僕も貰った人に返せなくても、必ず若い人に返したいと思う。そんな気持ちなのです。
僕の体験
流石にでも初めて一人暮らしをした時は、僕も様子が違いました。親の援助の無い暮らしをするのです。そんな生活を知らない僕は年配者の言うやり方をしました。定職に就いたのです。誰にも頼らず独りで暮らしてゆくた
め。お陰で月収も手取り、二十万前後ありました。保険にも入り、納税もします。僕はそこで初めて大人に完全に文句を言われない身分になりました。登校拒否以来、いやそれ以前から常に憧れていた立場です。
しかしその立場に立つと全く幸せとは感じれませんでした。生活するためだけに毎日、肉体労働で長時間働いていましたから。最も忙しい時は一月に二、三日しか休めません。下手をすると昼食抜きで朝六時から、夜の十一時くらいまで働いていました。それでも月の生活費は浪費せずとも十万以上消えてゆきました。口に出るのはおやじたちのように社会の厳しさや、愚痴ばかり。中卒の自分を悔いてばかりです。だって食うためだけに、ただ働いて寝るだけ。休日も疲れて、寝てるだけ。働いても豊かにはなれません。自分の時間が無く、会いたい人にも会えない。僕の望む夢とは正反対の生き方。疲れと不満ばかりが目に付きました。
体験からの疑問
そんな少ない職場経験で見て、思ったことがあります。今は経済的な自立、自活をほめます。それさえ出来れば人に文句を言われません。そのために感じたり、考えたり、人や物を思いやったりと言う精神的な自活がなおざりにされている気がするのです。今は不況といっても餓死者が出る時代ではありません。(ドヤは抜く)なのに多くの人が経済的自立の為に無理に働いて、後は寝るだけの生活が大半でしょう。そのため、疲れ考えられず、ただ時勢に流される生き方は幸福なのでしょうか。(ある意味楽だけど)お上や企業が作った理不尽な生き方を強制されて、その動静に一喜一憂して生きるのは楽しいのでしょうか。老後の安定と家族が飯を食うためだけに。また金だけのために。また、そんな生活しか無いと思うことも。
でも本来誰も将来なんて分かりはしません。わからない未来の安全保障に必要以上(日本の貯金率や保険に掛ける金は他国と比べて異常に高い。しかも大銀行が潰れる時勢なのに)に汲々と働いて、今を生きていると言えるのでしょうか。企業や国が破産すればそれで終わりなのだし。そんなことで働き時間に追われ束縛される。それで会いたい人や、やりたい夢も出来ず幸せなのでしょうか。一人で家計を背負い賄って生きることも。過労死や自殺も増えていると聞きます。飲み屋にいて聞こえるサラリーマンの愚痴も多い。だから立派に経済的に自活している人の多くは幸せではないのでは?と僕は思うのです。もし、多くの人が今の社会で幸せでないとしたら。物が余る現代、今を生きず、精神的な幸せを追求していないからではないでしようか。
幸せに生きるには
幸せを手に入れるのは案外簡単なことだと思います。使い古されていますが日本人が余り働かず、暇を持つことではないでしょうか。そうなれば、物質的にはそう変わらなくても、精神的にもっと豊かな生き方を探せるはずです。
もちろん個人が楽に生きられないのは利権政治や消費経済の社会制度に多くの大人が捕らわれ、悪くても仕方ない選択だと思っているから。また働かざるを得ない状況に追い込まれているからでしょう。でも今が奴隷制の時代ならば、一部の暇人を作るために産業機械として働きづめる話もわかります。が、飢餓が絶滅し機械化が進んだ現代、過労死してまで働く必要性があるのでしょうか。
技術の進歩した分、効率が上がる分、金儲けに走らず全ての国民が余った時間をゆっくり生きれば良いはずです。それに数十年昔は今より非生産、非効率でも十分生きてゆけたのだから。今、無ければ「不便」であっても生活に困る「物」はそうないのだし。昔と比べ物質的に豊かな今、昔よりも楽な生き方が出来ない訳がありません。それに人間だけの「経済の現実」ではなく、僕らが住む「地球の現実」は過大な経済活動で崩壊寸前に近づいています。
単純に語れば、僕らが働かないことは自分たちにも地球の環境にも優しいことになります。余暇を増し経済競争を落とす事になるから。そうでなくとも余り働かず競争するなら、今までの労働力を他から確保せざるを得ません。不況対策にはなります。でもそれを実行に移す大人はすごく少ないのです。
幸せに一番近い人々?
だけど現実に暇を持つ生き方は出来ない訳ではありません。社会的な体制に逆らうからリスクは大きいかも知れない。けど、それを覚悟でやりたい事をする。おかしい事は変えてゆく。今を楽しむ。そんな理想に一番近い生き方をしているのが、一部の不登校やフリーターの人々ではないかと思います。経済的には親の扶養になったり、一部は納税もしないなど、国や企業の役にはたたないかもしれません。でも国や企業の考えにも、しっかりとした意識を持つなら、比較的左右されない立場なのです。しかも過酷な経済競争に本格的に介入しないので疲弊はしません。フリーターに至っては、誰かに養われているという弱みすらありません。そのお陰で自分たちのやりたい夢や生き方も探し易くなります。社会人が気付かない社会の矛盾に目を向けられます。変えられる時間もあります。そんな彼らが増えるなら。その個性的な生き方が紹介され、その生き方が今の社会でも人が真似て生きて行けるものであるなら。いろんな生き方をより多くの人が模索できるのでは。またその流れが拡大すれば、自分たちの生き方は、自分たちで切り開く。国や社会のおかしな所は改善してゆく。また全て国任せではなく、市民らが助け合うところは自ら助け合う。責任を持つ。それによって必要以上に国や企業に依存しない大人の関係になるのでは。(一部の悪い政治家や官僚、企業家はそれが怖いのだろうけれど)そんな人間が増え団結すれば企業、国本位制から、地域、個人の意志を大切にする個人本意の生き方が出来るのではないでしょうか。生き方も楽になり、社会も良くなるでしょう。内面の豊かさも追求できる時が来るはずです。今は前にも述べたように変えられる時代情勢なのです。でも大人は変えれないし、変えようとしない。ならば不登校やフリーターはそれを変える時代の先鋒になれるのではないだろうか。そんな個々人の今を生き楽しむ、輝かしい生き方はこれから、このインターネットやあなたの地域でますます起きていくでしょう。時代の先駆けとして。