これは不登校新聞という不登校、登校拒否専門新聞に載った文章です。全部で二作ありま
す。一作目は僕の体験や僕の生きた時代背景。二作目はそこから得た僕の考えです。そして不
登校新聞には載せていませんが三作めは僕が体験から得た生き方を書きます。まぁ所により時
代錯誤な文章かもしれません。が、まだまだ田舎ではこのような出来事もあるかと思います。後、
履歴などは面倒くさいかも知れませんが、「履歴」を調べてやって下さいな。
不登校新聞一号より
僕が登校拒否をしたのは十年以上前の話です。今の現実からはかけ離れてしまっていると思
います。また十万人以上いる経験者の一つの体験でしかありません。それで、今にそぐわない面
や特殊な感じがするかもしれません。でもそこから何らかの参考を見付けて貰えればと思い書き
ます。
今の僕にとって登校拒否は肯定的な出来事だったと思えます。そのことでいろんな生き方や可
能性を知る事が出来ました。様々な情報を得るのにも登校拒否経験がとても役立っているので
す。友人関係も学校や会社だけの友達ではなく、幅広い世代や職種の人と付き合って貰ってい
ます。毎日が楽しいと言うのが今の僕の生活です。
しかし、中学一年生だった僕にとって登校拒否になった事は絶望でした。登校拒否してをして
明るい未来があるとは思えませんでした。何故なら、それまで僕の頭にあったのは戦中の軍隊の
「生きて虜囚の辱めを受けず」程の重さで「生きて学校を休むべからず」というような金科玉条が
ありました。そんな考えに僕が捕らわれていたのは、富山と言う保守的な土地柄があるのかもし
れません。つまり先生も親も周りも誰一人学校を休む事が「義務教育に反していない」とは教えて
くれません。友人も学校へ行くのが当然と思っているし、現に学校を病気でもないのに休む人は
いませんでした。むしろ「義務教育だからどんなに辛くとも学校は行かねばならない」という人ば
かりです。更にその真偽を様々な人に会って確かめたくてもたくさんの障害がありました。内申を
恐れ、部活に入っていた僕にとって帰りは八時、九時です。それでは校則を守れば校下(城下
みたいですが、田舎だからこう言います)を越えた移動が出来ません。富山では夜、中学生が街
を歩くだけで警察にも捕まります。それ以前に疲れて殆ど人と付き合う気力もありませんでした
が。必然、僕が手にする事の出来る情報は狭い地域の大人や、学校かテレビやマスコミの偏っ
た情報だけです。その頃はマスコミは真実のみを流すと信じてもいました。時代もバブル経済の
絶頂で大学生なら良い職(あくまで当時の僕にとって)が向こうから転がり込んでくる世相でした。
反面、中卒や高卒で就く仕事は3Kと忌み嫌われるような暗い話しか流れません。学歴が全てを
決するとしか受け取れませんでした。
それで僕は多様な世界を知らなかったのです。だから天皇のために死ぬ軍国少年のように僕
は、与えられた情報から学校を行き抜き、良い高校、大学、企業へ行くこと。やがては企業社会
のために忠実に過労死する企業少年になることに疑い(書くと長くなる)もありません。それが僕の
夢でした。だからこそ、学校は行くのが当然と思っていました。行かない人生は義務にも背き、企
業社会の歯医者としか思えなかったのです。現に世間の見解として、登校拒否は『病気』と報道
されていたのだから。確かに登校中の僕にも学校を怠けたい気持ちはありました。でもずる休み
を許さない風潮が生徒同士にも濃厚にあったのです。一日でも休み、再度登校すればその時
仲間外れになるかもしれない。それ以上に学校へ行かないことは致命的でした。僕にとり夢や学
生と言う社会的身分保証。取り敢えずいた友人関係の断絶。また学歴を信じていた親の期待に
背き逆らうことになります。養われざるを得ない僕にはそれは致命的と認識したのです。
そんな学校や社会の狭い現実しか知らなかった僕が、学校へ行けなくなったのです。それまで
の体験で登校拒否のデメリットを知り尽くしているのに。そんな事が分かりすぎているのに、理屈
なしに行けない。それに対して僕は解決策もなく、精神は深刻な混乱状態でした。無理に登校し
ても体が深刻な疲労感で付いて行かないのです。全てがどうでも良くなるほどに。行きたいけど
行けない内面の葛藤、矛盾は気が狂うほどの苦しみでした。
もし中一当時の僕に学校が一つの選択しであると教えてくれたなら、学校へ行かないことに絶
望することはなかったでしょう。また、登校拒否をして生き生きしている人や学校の価値観を越え
た人がいれば悩みは薄かったでしょう。これから大切なのは僕も含めてですが、OBや年配者は
今を楽しく生き、また学校以外の選択肢を作って行くことだと思います。それが、今苦しんでいる
子へのささやかなエールにならないでしょうか。
トップページに戻る。