鋭い洞察力 戸田有一さん -------------------------------------------------------------------------------- 鳥取大学で、宮川さんに2度目の講義をしてもらった。学部生だけでなく、教員、院生も聴講し、活発な質疑があった。 その中に、化粧と服装が目立つ学生が一人いた。宮川さんを気に入ったらしい。講義終了後に、自分が働いているラウン ジのライターを宮川さんに渡して、「よかったら来て」と誘っていた。 後日、宮川さんをそこまで気に入った理由が気になり、研究室で彼女の話を聞いた。宮川さんの講義の内容が、中学生の き、そして大学生になってからも不登校をしていた自分と重なった、と話してくれた。 「19で人生を終わろうとした」「大阪を放浪した」「(自分の)キャラを消されていた気がする」「今でも不登校を乗 り越えたわけじゃない」などと、時間をかけて言葉を紡いでくれた。 不登校の子は人間関係が不器用なのかなと、私は思っていた。しかし、より正確には、人間関係のもつれを、自分の責任 として引き受けすぎなのかもしれない。たとえば、店の客についての彼女の語りからは、相手のこころの微妙な動きへの鋭 い洞察力を感じた。その洞察力で、友達や自分自身のこころを見つめ、自分を責めては、あまりにつらいだろう。 最近、彼女はカウンセリングの講習会などに参加しているという。参加の動機はわからないが、少しでも楽になり、希望 がもてるきっかけになればと願う。 彼女は「私、教師になれるかな」と言う。なれたら、救われる子がいっぱいいるだろう。彼女はしんどいだろうけど。宮 川さんのおかげで、こんな出会いもあった。 (大阪教育大学助教授) (3/21)
3/21
友人N君 高橋翼さん
-------------------------------------------------------------------------------- 不登校を経験してきた人に、「どうやって、つらい時代を生き延びてきたのか」と尋ねたら、百人に百通りの答えがあるに違いない。 いや、あって欲しいものだ。 学校とちがう不登校という場で、生き抜こうとする若者に多様性がないとしたら、あまりにもつらい。 僕がどのように生き抜いてきたかと聞かれたら、答えはただ一つ。N君というかけがえのない友人を得て、日常的な絶望感から脱する ことができた。 N君と出会ったのは、不登校を始めて一年くらいたったときだった。そのころの僕は、学校に通わずに生きることを選択したものの、 様々な差別にあい、憤る力も徐々に奪われていた。 ある日、CDを買いに行ったときに、同級生と一緒に買い物に来ていた一つ年下の彼に会った。言葉を交わしたのは初めてだった。そ の出会いを機に、彼は毎週日曜ごとに遊びに来るようになった。 それまでの一年間、仲良しだった友人からでさえ、排除され始めていた僕は、彼が定期的に訪れるのを、心の中で非常に待ち遠しく、 うれしく思っていた。 だが、信じて裏切られるかもしれないという恐怖で、僕は「帰れ」「来るな」など、ののしりの言葉を浴びせた。彼はそれを全く意に 介さず、ついには不登校をして、僕と居る時間を選んだ。 「学校を休んだ」と言って僕の部屋に来た彼に、自分が学校に行っていないにもかかわらず、「学校どうしたんだ」と、思わず詰め寄 っている僕がいた。 今から思えば、学校の枠組みにはまらない自由さ、気ままさを持っていた彼にとっても、学校は決して居心地のいい場でなかったのだ ろう。しかし、彼が不登校をはじめた気持ちは、一度も語られることはなかった。 それからの2年間、彼が突然海でおぼれて亡くなるまで、喜びに満ちた日々があった。海辺の水遊び、自転車の遠乗りなど、2人でひ たすら遊び続けた。 友人や地域から排除された孤独をうち破り、人間への絶望と不信を解いてくれた彼の友情と愛は、僕に新たな命と人生をくれたとさえ 思っている。 (介助者) (2/21
3/13 ネットワーク 西海 巡さん -------------------------------------------------------------------------------- 「富山と横浜のホットラインを作りませんか」。一昨年11月、医療アドバイスのホームページを作ったとき、「麦の 根」代表宮川正文さんに、相互リンクのお願いをした。 「不登校の若者の居場所」にアクセスするのは初めての試みだった。「麦の根」も、私の勤務する「横浜アカデミー高 等部」のような通信制高校技能連携校(学校教育法45条の2に基づく)の存在を、その時初めて知ったようだ。 宮川さんと会い、「麦の根」の関係者と話をする中で、「持ち場」と「ネットワーク」ということについて考えはじめ た。 私の持ち場は「過去にこだわらない」学校にある。自信のもてない子どもたちを、適性に裏づけられた自信をもって、 難しい社会に送り出す。 持ち場の地域性や性質、それにかかわる個人のビジョンは様々だ。しかし、それぞれの持ち場には得手不得手というも のがある。 私ができること、「麦の根」ができること、宮川さんができること。それをお互い協力して助け合う「ネットワーク」 づくりが必要ではないかと思うようになった。 ネットワークづくりの一つとして、宮川さんが中心になって、ホームページの相談掲示板の共有化を進めている。 今、私たちと「麦の根」のホームページは、「相談掲示板」の相談に、相互から迅速かつ適切な回答ができるようにし ている。 2団体だけではなく、多くの人に共有してもらうことで、いつ、どこからでも、専門性やキャリアのある者が回答でき るようにする。子どもたちの相談が多く寄せられる新年度までには、試験運転ができるよう作業を進めている。 「麦の根」のお誘いを受け、初めて富山に赴いたときは、「持ち場」から離れて、「なぜ、富山に?」という問いにう まく答えられなかった。今は違う。「麦の根」とのネットワークを通じて、子どもに手をさしのべるためと、自信を持っ て言える。 (横浜アカデミー高等部学務長(にしうみ・めぐる)) 常識・非常識 宮川正文さん -------------------------------------------------------------------------------- 麦の根には「非常識」といわれる若者が多く来る。彼ら自身、ときに「自分は常識がない」と嘆く。だがよくよく話すと、学校へ行っ ていなかったという経歴から言われるということが、私の経験や仲間の話からわかる。 「学校へ行くことだけが常識なのだろうか」と、麦の根を運営していて考えることがある。学校へ行くことは、もちろん選択の一つだ。 だが、行きたくない子に押し付けることは非常識な場合もある。 アジアやアフリカの一部の国では、家庭が貧しく学校へ行くことが特別だ。米国では家で勉強することも権利で、学校へ行っていない 子もたくさんいる。 学校へすべての子どもが行くということは、良かれ悪しかれ世界の常識ではない。 日本と事情が違うといわれる方がいるだろう。「義務教育」なので、子どもは学校へ行く義務がある。多くの人はそれを、学校へ行く という常識のよりどころとしている。 私が中学生のころは、先生も周りもそう言った。だから学校へ行かなくなった自分は、義務を守れない惨めな存在に思えて悩んだのだ。 多くの人が抱くその常識ですら、正確には違う。日本国憲法26条は、親が教育を子に受けさせる義務を定めているにすぎない。子ど もは登校の義務でなく、教育を受ける権利を有するだけなのである。 「常識」は、だれもが知っている約束事とされる。だがたいていの場合、常識は、人によってまったく違う。言葉だけ独り歩きしてい るものもある。 世間をあまり知ることのできない子どもたちにとって、大人に「常識が無い」と言われることはしっ責に近い。私たち大人がするべきこ とは、まず自分の見聞や心の幅を広げることではないだろうか。 (「麦の根」代表) (1/24) [扉を開けて] 2/16 相談掲示板 二木克明さん -------------------------------------------------------------------------------- 私は、弁護士会の子どもの権利委員会を通じて、「麦の根」と知り合った。 麦の根の活動で、大いに威力を発揮しているのが、ホームページの相談掲示板ではないか、と思う。 ここでは不登校、いじめなどの悩みを自由に受けつけ、関係者が自分の思いや激励の言葉を述べるなど、ボランティアで相談に応じて いる。 私も時々アクセスし、40年間生きてきて得られた経験と知識に基づき、回答することがある。手前みそになるが、その結果、悩みが 解消した例も相当あるだろうと思う。 見ている限り、そこでかわされているのは、まじめな相談と良心的な答えである。運営者が本気で取り組んでいることが、信頼を呼ん でいるようだ。 実際、毎日のように、悩みを持つ現役の小・中学生や高校生、大学生、あるいはその親などから質問が寄せられている。ホームページ を荒らすような発言がないのは、適切な管理と運営のたまもののように思われる。それがまた、信頼を呼んでいるようだ。 この掲示板に巡り合ったある大人が、「昔はいじめにあっても、相談する人もなく悩んでいた。今はこのような相談する場があって、 恵まれている」とうらやむことさえある。 通信技術の発達には功罪があるようだが、少なくともこの相談掲示板では、インターネットの長所がフルに活用されていると言える。 学校生活などで悩みを持つ人やその親御さんには、ぜひアクセスをお勧めする。 HPアドレスは〈http://www.muginone.com/〉 (金沢弁護士会 弁護士) 1/5 オフ会 戸田有一さん -------------------------------------------------------------------------------- 今年7月、大学の仕事で富山県に出張した。その後、「麦の根」代表の宮川正文さんらに会った。ふだんインターネットを通じて交流 している仲間が集まる「オフ会」の雰囲気だ。 夜7時ごろから約10人で飲みはじめ、深夜に一度解散。その後4時まで、宮川さんら3人で飲んだ。富山の酒はおいしかったが、思 いを語り、熱く議論した時間がほとんどだった。 話の主な内容は、不登校の子どもを支える団体の財政基盤の問題、運営する人材の不足、電子掲示板や電子メールを使って行う相談の メリットと危険性など。 簡単に結論の出ない難しいテーマで、いずれも一部の人に負担が偏ることや、「無償」であることを期待されるしんどさが難問。その 場のすべての人が、なんらかの形で当事者なので、切実だった。 今後の本の出版計画も話題にのぼり、宮川さんらの意気込みが感じられて、さわやかな思いで帰路についた。その感覚は大学生のころ にはよく経験したが、最近はあまりないことだった。 大学関係の方々や、飲んだお店での出会いもとても楽しく、またいつか富山で仕事がないものかと願っている。私が長野県出身である ことを割り引いても、強く親近感を感じる。「麦の根」とのつながりのためだけではなく、居心地のよさで、富山が私にとっても特別な 場所になった。 (大阪教育大学 助教授) (11/29 12/30 若衆宿 巨椋修さん -------------------------------------------------------------------------------- 「家庭」「社会」「学校」が崩壊しつつある今、苦しんでいる当事者たち、あるいは昔苦しんだ経験者たちの活動が、不登校の問題解 決の助けになるのでは、と希望をもっている。 親も教師も地域の人々も、いざ自分の子どもが不登校やイジメにあっとき、どのように対処したらいいのかわからなくなる。 子どもは学校へ行くものという自分の常識が通用せず、嘆き、怒り、悲しむ。親や教師は世間体や自分の立場を考え、子どものこと は二の次になってしまっている例があまりにも多い。 そして、子どもは孤独になってゆく。学校にも家庭にも、自分が安心できる場所がなくなるのだ。孤独になった子どもたちに、一条の 光を与えるのが、同じような経験をした仲間たちでないか。 富山で「麦の根」のような「居場所」が、子どもたちの社会の窓になって いる。 学校がまだなかったころ、各村に「若衆宿」があった。若者は、寺子屋で教えてもらえない村のルールやケンカの仕方、異性へのアピ ールの方法を先輩から学んだ。 「麦の根」は、社会から隔絶してしまった子どもにとって、「若衆宿」のような効果が期待できるのではないか。 学校だけでなく、そこから巣立っていくのもいい。そう思っている。 (小説家(おぐら・おさむ)) (11/15) 12/24 不登校 巨椋修さん -------------------------------------------------------------------------------- 不登校の体験や、その両親の思いなどを「不登校の真実−学校から逃れる子どもたち」(きんのくわがた社)という本でまとめた。 この本の取材で不登校に悩んだ人や教師、親に会い、話を聞くことができた。正直いって、絶望と希望の混とんとした思いがある。 絶望とは、教育は「家庭」「社会」「学校」の三つから成り立っているが、「家庭」が崩壊しつつあるということ。サラリーマンの 父親は朝早く会社に行き、帰るのは遅い。母親もパートで不在。電子レンジとテレビが親代わりという家庭も増えている。 「社会」はというと、地域の大人は、ハッキリと社会規範を示すことができない。 このような家庭、社会がいうことはひとつ。「学校が子どもたちを教育すればよい」。まかせっきりにしているのが、現状のように 見える。 ところが、その学校も崩壊しつつあるというのだ。そうなれば、学校はもはや、子どもの「収容所」「隔離所」にすぎなくなってしま う。 現実に、都市部では女子中高生の間で「プチ家出」が増えている。その少女へ、従来のように「家に帰りなさい。学校はどうしたの」 と言いにくくなっている。家庭での性的虐待から逃げているのかもしれず、クラスメートや教師から陰湿なイジメを受けているかもしれ ないからだ。 たかが虐待、イジメと思ってはいけない。耐えるより、家出の方がマシの場合があるのだ。家出ができる子はまだいい。できない子は、 引きこもる。 では希望はあるのか。「ある」と言いたい。それは、イジメや不登校当事者たちの闘いである。その希望については、次回に述べよう と思う。 (小説家(おぐらおさむ) 扉を開けて] 12/12 選択肢 奥田かおりさん -------------------------------------------------------------------------------- 長年米国に滞在していてわかったことだが、日本の学校教育と比べて、米国の方が選択肢が多い気がする。 例えば日本には学区があり、私立の学校へ行く場合を除けば、ほとんどの子どもは自宅近くの学校に通う。もちろん米国にも学区はあ るが、日本ほど厳しくない。 保護者が「この学校は子どもに合わない」と思えば、教育委員会に届けを出し、すぐにカウンセラーに話を聞いてもらうことが出来る 私はそんな保護者や子どもの話を聞いて、どこの学校がよいか、ほかにどんな教育機関があるかを紹介することが多い。 大学も非常に柔軟で、初めに行った大学が気に入らなければ、簡単に転校できる。元々通っていた大学で取得した単位も、そのまま通 用する。 私もこちらで三つの大学に通い、自分のやりたいことが実現できそうなカリキュラムを探してきた。もし日本にずっといたら、それは 全くかなわなかったかもしれない。 子どもの中には、やりたいことが山ほどある子もいれば、そうではない子もいる。やりたいことがあっても、学校がいやになり、私の ように行きたくなくなる子もいる。 だが、そんな子どもは学ぶことをやめたいと思っているわけではない。その時々で、興味あるものが変わっていく。教育者は子どもた ちの好奇心を引き出せるよう、選択肢をたくさん示すべきである。 麦の根はそんな選択肢の一つになりつつある。不登校の子どもたちが、気軽に通える場所づくり……困難だが、ぜひがんばってほしい。 (ソーシャルワーカー=米国在住) 11/19 [扉を開けて] 学校嫌い 奥田かおりさん -------------------------------------------------------------------------------- 私は小学校1年から学校が嫌いだった。嫌いだったが、中学まで通って卒業証書を手にした。高校にも入学したが、行く気がなくな って中退。向学心はあった。だが「なぜ学校で勉強しなくてはいけないのだろう」とよく思った。 学校が嫌いな理由はなんとなくわかっていた。「先生は自分のやりたいことを聞いてくれない。どこの大学に行きたいのかだけ聞い てくる」 そんなとき、父が出張に出かけ、「自由の国」と話していた米国の風習や学校教育を思い出した。自由という言葉にあこがれた。退学 を機に米国の高校に留学することを決め、自分で手続きをとった。 渡米してから、初めは言葉や文化の違いに戸惑った。だが授業は、コンピューターやタイプの実用的な科目まで幅広く学べた。校則も あまり厳しくない。学校に対する印象が変わり、毎日通うようになった。 進学の相談にものってくれたが、偏差値はなく、行きたい学校があれば願書を送ってみればという生徒にチャンスを与えてくれる指導 だった。 日本の学校は、自分の意見を聞いてくれる大人がいなかった。子どもたちの声を聞いてあげるカウンセラーになりたい。そんな思いか ら、カウンセリングの教育が進んでいる米国で勉強を続けることにした。今では、学校でカウンセラーとして働いている。 麦の根のことは、インターネットで知った。彼らのホームページを見ると、勇気づけられる。「子どもの声を聞くカウンセラーになる 。いつか日本に帰って、学校にとらわれない教育の場をつくるんだ」と、今の職業に就いている理由を再認識できる。 (ソーシャルワーカー=米国在住) (10/4) 11/7 鳥取での講義 戸田有一さん -------------------------------------------------------------------------------- 私の大学の講義に、麦の根代表の宮川正文さんをゲストに招いた。いじめや不登校、非行など教育臨床的な課題の現状と 対策に関する講義だ。 前週の講師は、精神面の障害をもちながら教壇に立ち、カウンセリングもする若い先生だった。女子生徒の「リストカッ ト」への対処など、強烈な話題は学生を圧倒した。 さて、講義になった。宮川さんはまず、冷えた缶ビールを大きな机に置いた。「飲みながらで、いいスか?」。学生はど んな反応を示すか。2人で事前にあれこれ想定していたが何の反応もなく、やや拍子抜けした。 だが、宮川さんが波乱万丈の経験を語り始めると、階段教室の200人は吸い付けられるように壇上の青年を凝視した。最 後に「質問はありますか?」と宮川さん。質問が無い場合に備え、私はいくつか用意していたが、矢継ぎ早に手を挙げる学生 の間をマイクを持って走り回る羽目になった。 大人数の講義で、あんなに質問が出たことはない。講義後も、特別に用意した討論用ホームページで話し合いが続いていた。 宮川さんは、大教室で学生集団と相対したのではなく、おそらく学生一人ひとりと向き合ったのだろう。 「自分に、こんなに人を引き込む話ができるか」。そう自問せざるをえなかった。 (鳥取大学教育地域科学部付属教育実践総合センター助教授) (9/6 扉を開けて] バランス感覚 戸田有一さん -------------------------------------------------------------------------------- 麦の根代表の宮川正文さんとの出会いは、ちょっと変わっている。正確には、最初に出会ったのは私ではなく、指導していた大学院生 だった。 その院生は当時、修士論文執筆の準備として、インターネットで不登校の関連ホームページ(HP)へのリンク集を作っていた。99 年当時、約200の関連HPの中でも、「麦の根」のは異彩を放っていた。私は、院生に送られた会報を見て購読を始めた。 意外だったのは、会報を郵送する茶封筒だ。よく言えば、「手作業」の味。極めて達筆なのか、それとも単に急いだためか、配達の苦 労がしのばれる字体。おしゃれで立派なHPと、のり付けが曲がっている封筒のアンバランス。今となれば、あれこれ仕事を一人で抱え 込み、寝る間も削って、がむしゃらにがんばっていた宮川さんの姿が想像できる。事務仕事をするアルバイトを頼む余裕がないという懐 事情もあったのかもしれない。 研究室には毎日、通し番号やあて名シール付きの郵便物が何通も届くが、麦の根の通信には、それらにはない勢いと「人間味」がある。 それが宮川さんの強烈な個性と、はにかんだ笑顔と重なる。 そんな部分が、麦の根や、その仲間たちを単なる「ハイテク集団」にしないバランス感覚かもしれない。いや、それが麦の根流なのだ ろう。 (鳥取大学教育地域科学部付属教育実践総合センター助教授) (8/30 学校って? 藤井文子さん -------------------------------------------------------------------------------- 不登校の人たちなどが運営するパソコン教室「電脳塾」に参加している。県立高校1年の私は不登校ではないが、色々な人と交流して みたいという気持ちがあった。 当初は不登校への暗いイメージもあって、なかなかなじめなかった。しかも、一人ひとりがパソコンで遊んだり、知識を得たりするだ けで「交流」とは程遠かった。 しかし、「麦の根」のチャットと出会って様子が変わった。ふだんは自分を出さない人が多いが、文字を通じて個性がひしひしと伝わ る。魚の知識が豊富だったり、パソコンに精通した人がいたり、外国に詳しい人もいる。 チャットをきっかけに、電脳塾内で会話も生まれた。考え方や生き方への意見も飛び出し、一人ひとりの心の中に相手に対する見方が 芽生えているのだと思う。 こうして「不登校経験だけで、その人を判断してはいけない」ことを知った。私自身は、学校について真剣に考えるようになった。 「友人と学びながら成長していく場」が学校だと思っていたのに、いまだに答えは見つからない。電脳塾でも同じことができると気づい たからだ。 不登校の人たちには、むしろ学校より電脳塾の方が自分を出せる。きっと答えは見つからない方がいいかもしれない。麦の根の活動を 通じて、人と接することの大切さを学んでいると思う。どんな交流に発展するのか楽しみだ。 (麦の根スタッフ) (8/23) 扉を開けて] 電脳塾 上村香野子さん -------------------------------------------------------------------------------- 富山YMCAの土曜日はにぎやかだ。子供の英会話教室、大検や大学受験のクラス、そして一番大きな一室で、ひときわにぎやかな パソコンスクール「電脳塾」が開かれている。 麦の根が塾開設の助成金を申請すると聞いたとき、「楽しそう」と企画に乗った。でも、助成金がとれたと聞くと複雑だった。期待が ある半面、だれを中心に運営するのか、毎週教える人が出席できるのか、と不安や課題は尽きず、麦の根と何度もミーティングを重ねた。 開講から9カ月。当初、麦の根代表の宮川正文君は「不登校経験者は、毎回出席しなくてはいけないという決め事が苦手だ」と言って いた。だが、宮川君はほぼ毎回出席するし、他のメンバーもよく顔をだす。密に連絡をとりあって、まだ一度も休んだことはない。これ には正直びっくりした。だれが担当するとか出席するとか、細かいルールはないけれど、自然な形で続いている。 通ってくる子供たちは年齢も環境もバラバラ。不登校の子もいれば、そうでない子もいる。毎回来る子もいれば、思い出したように顔 を出す子もいる。インターネットをしたり、おしゃべりしたり、お菓子を食べたりと、思い思いに楽しんでいる。始まりと終わりの時間 以外にルールはない。来たい時に来て休みたい時に休む。肩の力が抜ける時間が「電脳塾」の中にある。 (富山YMCA) (7/5) 扉を開けて] 電脳塾 宮川正文さん -------------------------------------------------------------------------------- 麦の根で活動する仲間たちの進路は、やがて就職や進学へと分かれていく。花にも遅咲きがある。心の内を見つめ続けている者もいる。 だが、やる気はあっても、不登校などを理由に希望する仕事に就けないことがある。再び失敗した青少年たちの挫折は、決して小さく ない。私も仕事探しでは苦労した。これまでの自信や経験も、結局は学歴にかなわないというむなしささえ感じた。 仕事を探している不登校OBも多いが、希望する職場は、不況でなかなか見つからない。そのうち「自分たちで働く場や仕事を作れば いい」と気づいた。「枠にはまりたくない」と言いながらも、私は何らかの組織で働くのが当然と考えていた。 そこで麦の根の有志メンバーで、1カ月かけて計画を練った。資金は米国の財団が出してくれた。こうして、昨年10月に「電脳塾」 が始まった。麦の根の特技や実績を生かし、不登校者たちの居場所にしようとの考えもあった。 希望があれば、その場でパソコンの技術を教え、謝礼程度の報酬を受け取る。YMCAの協力で、交通の便がよいJR富山駅前に仕事 場を開くこともできた。 麦の根が何を目指すところかも明らかになった。不登校体験者同士の語らいは訪れる子供たちを励まし、自信を深める足がかりになる だろう。試行錯誤の連続だが、電脳塾の試みは続いている。 (麦の根代表)6/14 行政から 寺脇研さん -------------------------------------------------------------------------------- 朝、出勤してパソコンを開くと、まず「麦の根」に関するメールを見るのが、わたしの日課だ。麦の根代表 の宮川正文くんの活動ぶりを知るのはもちろん、それにかかわる様々な立場の人たちの意見を読むのが楽しみ だ。また、「教育行政」という仕事をしていく上で、参考にさせていただいてもいる。 行政の対象は、あらゆる人だ。学校へ行っている子どもたちだけのことを考えていればいい、のではない。 役所にいると、学校の情報はさかんに入ってくる半面、学校を離れた情報は届きにくい。その意味で、麦の根 は学校外からの貴重な「情報源」なのだ。 宮川くんたちが、文部省(当時)を訪ねて来た話は、4月19日付の本欄で紹介された通りだ。しかし、ひ とつの副産物がある。応対に当たった職員と宮川くんが意気投合し、2人は友人になった。 その職員Sくんも、平たんに学びの道を歩んできたわけではない。高卒後、地元の民間企業に就職したが、 ある事情で退職を余儀なくされた。一念発起して上京、新聞販売店に住み込んで働きながら、専門学校に通い 、国家公務員試験に合格した。官庁マンはみんな、「苦労知らずの順風満帆人生」なのではない。Sくんのよ うな存在も確かにある。 教育行政は、麦の根と共鳴できる生き方も交えながら進めている一面もある。 (文部科学省大臣官房審議官) (5/31)
理由 -------------------------------------------------------------------------------- 突然、相手を好きになる。 そんなことはないだろうか?理由を聞かれても、ただ「好きだ」としか言えない。しつこく理由を問う人 が、やぼに見えてしまう。だが、時間がたつにつれ、「目が好き」とか「話が魅力的だ」とか、理路整然と 話せるようになる。それは冷静になれた時だ。 不登校は、そんな恋と似ている。突然、学校に行きたくないと思ってしまうのだ。私も不登校になったが、 自分でも理由が分からなかった。体が勝手に学校を拒否したというのか、発作的に「行きたくない」と言って いた。 不登校でも、大人は必ず理由を求める。いじめや体罰、あるいは校則が原因だと言わなければ、休むことを 認めてくれず、単なる怠けや甘えと見られてしまう。 私は、決して怠け心が理由ではなかった。なぜなら当時は「登校は義務だ」と信じていた(実際は、親は子 供に教育を受けさせる義務があり、子供は教育を受ける権利があるに過ぎないが……)。エリートコースを歩 むのが夢だった。大学へ進み、大企業に勤めるための手段として、学校を見ていた。 子供が理由を言えずに「学校へ行きたくない」と言い出したら、しばらくそっと見守っていただけないだろ うか。「恋は医者でも治せない」と承知している大人なら、理由を聞くような「やぼ」にならないでほしい。 理由はやがて語れるようになるのだから。 (麦の根代表) (5/10)麦の根の活動では、3カ月に1度くらいは泊まりに出かける。そこで、何人かは初めてつらい本音を明かし、 朝まで語りこむ。メンバーの交流はおのずと深まる。 パソコンのホームページをつくり、悩み相談の掲示板も設けた。全国から、毎日のようにメールや掲示板へ の書き込みがあり、不登校経験者や専門家が、体験や知識をもとに答えている。 こうした活動で、もっと何かできないか、僕らをもっと知ってほしい、という思いが強くなった。 ある時、メンバーたちでイベントを企画する中で「文部官僚の寺脇研さんを呼ぼう」という話になった。 寺脇さんは「学校に来ない権利も保障されていい」などと発言していたからだ。つては全くない。だが電話 やメールで連絡を取り、何とか会ってもらえた。F君と私が上京し、約束の時間を超えて話し込み、「富山行 き」の快諾を取り付けた。 イベントは約130人が参加するほどの盛況で、今に続く文部科学省の人たちとの交流が始まったのは大き な収穫だった。 麦の根の活動自体はたわいのないことだ。しかし、好きなことを好きなときにする。参加を強制しない。そ して、急がないこと。こうした姿勢や考えは、今の学校では少ない。 たわいのない活動の積み重ねが、子どもたちが失った自信を取り戻したり、新しい行動につなげたりするき っかけになると信じている。 (麦の根代表) (4/19)●子らに必要な「有害」な話 高山龍太郎さん「麦の根」では、夏の夕方ともなると、二十歳以上の人がビールを飲み出すことがある。もちろん、未成年 に酒を飲ませはしないが、その輪に子どもたちも加わって話を聞いている。ほろ酔い加減になると、みな冗舌 になり、恋愛から天下国家まで、多様なことが話される。時には、世間で「有害」とされる事柄が話題となる こともある。 子どもの前で酒を飲み、「有害」な話をすることには異論もあろう。しかし、子どもたちは大人になるまで に、いわゆる「悪」に慣れておかなければならない。どんなことにも善と悪の両面がある。大人たちは、酒の 害悪を知りつつも、明日への活力として酒を飲む。 大人になるために必要なのは、悪に魅入られる危険と折り合いをつけて人生を楽しむ知恵である。その知恵 を手に入れて初めて、子どもたちは行動範囲を広げることができる。 だが、こうした知恵の伝達が、近年、難しくなっているように思う。子どもの主要な人間関係は、親・教師 ・友人だ。子どもの養育に責任を負う親や教師は立場上、悪に近づく子どもを見過ごすわけにはいかない。学 年で輪切りにされ、友人の大半が同じ年齢では、持っている知恵も五十歩百歩である。 親・先生と友人との間を媒介する中間的な集団が必要だ。かつては、ガキ大将に率いられた異なる年齢の集 団がすき間を埋めていた。ガキ大将は、自ら率先して悪事を働きながらも、仲間に危険が迫れば強引に安全な 場所へ引き戻していた。 「麦の根」の活動は、ある意味で、こうした異年齢集団を再構築する試みといえよう。今の社会に必要なの は、少し年上の先輩から、悪を飼いならす知恵を学ぶ仕組みである。「悪」を悪として遠ざけるだけでは、自 分の可能性を狭める不自由な生き方しかできない。 (富山大学経済学部講師) (3/29)
●バランス 高山龍太郎さん 不登校になった女の子の話から感じたのは、世間の狭さだった。学校と家庭でほぼ完結している。そして、 家庭が多くを学校に依存する結果、学校的な価値観が生活の隅々にまで行き渡っている。 こうした状況では、学校でつまずくと行き場がなくなる。彼女も登校を促す母親との確執から自室に閉じ こもらざるを得ない時期があった。 学校に行くことに苦痛を感じる時、「なぜ学校に行くのか」を問い直す必要に迫られる。それが当たり前 とする世界からいったん離れる必要がある。 物事をよく観察するには、対象との適度な距離が不可欠だが、現状では学校と異なる価値観に触れること は難しい。麦の根は、そうした数少ない場の一つだ。麦の根の立場は「学校に行くのも人生ならば、行かな いのも人生」となろう。決して学校を否定するものではない。 麦の根メンバーには、東京の専門学校に進学して、新たな道を歩み始めた者もいる。大事なのは、自分の 人生をどう生きるかであって、学校は手段に過ぎないということだ。役に立たなければ行く必要はない。た だし、その判断の結果は、自分で責任をとらなければならない。 「第三者だから気楽なことが言えるのだ」と言われるかもしれない。確かに、判断力の未熟な子どもにす べてを決定させることは、子どもの権利の尊重という美名に隠れた養育の放棄となりかねない。 責任ある者は、その責任ゆえに不自由さもある。学校を出ないと仕事に就きにくい現在、親などの責任あ る立場の人間が「学校に行かなくて良い」と言えば、子どもは見捨てられたと感じるかもしれない。 だからこそ、麦の根のような第三者が学校に行かない選択肢を示すことに意義がある。両者のバランスが あって、初めて子どもは安心して自分の生き方を問い直すことができるのだろう。 (富山大学経済学部講師) (3/16)
電網 高山龍太郎さん 京都で過ごした大学時代、知り合いの中学生の女の子が不登校になった。彼女から何度か電話をもらい、 愚痴の聞き役にもなった。「どうしてこんないい子が学校に行けなくなって苦しむのだろう」。戸惑いを覚 えた。 彼女は勉強も運動もでき、周囲への気配りも欠かさない。そんな優しい子が、親や周りの人に理解されず、 自室に閉じこもらざるを得ない状況に追いつめられてしまった。 不登校の知識がなかった私は、話の内容に圧倒されるばかりで、重苦しい空気を変えようと、冗談を言うの が精いっぱいだった。 二年前に富山に来てからも、その一件は心のどこかに引っかかっていた。それから二カ月ほどたったある 日、富山の不登校について情報を集めようと、インターネットで検索してみた。その中に「麦の根」があった。 アクセスしてみると、「不登校をしている子どもたちが、様々な人たちとのコミュニケーションを目指し て、独力で開設した」といった自己紹介文がある。正直驚いた。「不登校は引きこもる」という勝手なイメ ージを抱いていたからだ。 「麦の根」を訪れる子は社交的ではない。無口だったり、ぎこちない会話を無理に続けたり。だが、自ら 不登校の経験があるリーダーの宮川正文君が、そうした子をうまくフォローしている。 彼らは決して人嫌いなわけではない。自分を受け入れてくれる、新しい人間関係を求めている。ただ、これ まで受けてきた否定的な評価のために、新しい人間関係に憶病なだけだ。 「麦の根」は、インターネットを一つのきっかけに、そんな警戒心を和らげ、新しい人との出会いの場を提 供している。 (富山大学経済学部講師) # # 今回は、「麦の根」副代表を務める高山さんに担当していただきました。 (3/1)
●混乱 宮川正文さん 「麦の根」は発足当初から混乱の連続だった。仲間が徐々に集まるようになり、パソコンも用意したが、 ホームページの作成やインターネットを使った取り組みは先に進まない。運営費もなく、パソコンに精通す る人もいなかったからだ。「どうしたら良いんだろう」と悩むばかりだった。 当時、私は「麦の根」に参加していなかった。パソコンに抵抗があり、外から成り行きを見守っていた。 そのころの私は、石川県の不登校団体と親交を深めたり、中退経験者の親を対象としたイベントを開いたり といった独自の活動をしていた。 それを知った「麦の根」のメンバーは、私を仲間に入れたがった。少しでも実績のある人が参加すること で、資金援助や活動の幅が広がるだろう、と見込んだようだった。「迷惑はかけない、責任は自分たちで持 つ」と言うので、私も快く参加することにした。 だが、メンバーの予想は外れた。私は多くの親や先生を前に、「学校には行きたい人が行けばいい」「時 と場合によっては家に閉じこもることもやむを得ない」などと、嫌われるような話をしていた。そのため、 私が参加したことで、逆に周囲の目は険しくなり、カンパもほとんど集まらなくなってしまった。 責任を感じた私は、本格的に「麦の根」の運営にかかわることを決意した。インターネットの運営費は数人 の仲間で出し合い、月一度の会報を発行するなどして財政面を補う。パソコンに詳しい人に講師役を頼み、マ スコミにも働きかけて広く参加者を募った。 そうした苦労が実を結び、一九九八年六月、「麦の根」はインターネットを開始した。その二カ月後にはホ ームページも立ち上げ、参加者も順調に集まりだした。「麦の根」の活動がようやく軌道に乗りだしたことで、 少しずつ活気づいていった。 (麦の根代表) (2/15) 3/31 ●自立 宮川正文さん 「麦の根」は、学校に登校できずにいる人や、その経験者といった「当事者」たちでつくられた団体だ。 設立は一九九七年十二月。実は、麦の根ができるまでには、いくつかの曲折があった。親から自立すること 。それが、最大の狙いだった。 当時、不登校の子供を持つ親が「麦の会」というグループをつくっていた。悩みや体験を共有する場とし て、月曜日から金曜日まで富山市内で会合を開いていたが、あるNPOの団体からパソコンを一台寄付する という話が舞い込んだ。 しかし、親たちの多くは「パソコンは危険でいかがわしい」と抵抗を示し、使いこなす技術もなかった。 会合には十代、二十代の不登校経験者たちも集まるようになっていた。麦の会の代表者が「面白そうだか ら、あなたたちが使ってみたら」と、パソコンを譲ってくれることになった。 彼らも「面白いからやってみよう」と、パソコンに興味を持ち、乗り気になった。「ホームページを作り たい」「インターネットで旅やゲーム、進学に関する情報を見たい」。どんどん夢が膨らんでいった。 だが、パソコンに対する親たちの視線は依然として温かいものではなく、インターネットも「学校復帰・ 就職」の手段と考えているようだった。それに、親子の関係はどうしても「指導する側」と「指導される側」 になってしまい、若者たちは世代のズレを感じ始めていた。 「この際、親の力を借りず、資金面でも独立して、若者だけの会を立ち上げたらどうか」。仲間の一人の 提案に、みんなはすぐに賛成した。 不登校などに悩んでいた若者が、自らの居場所となる「麦の根」を、自ら作り出す。この全国的にも珍し い取り組みは、一台のパソコンがきっかけだったのである。 (麦の根代表) (2/1)
扉を開けて ●不登校 宮川正文 不登校や学校を中退した人、そして、その経験者たちが集まり、自由に考えを述べる。私が代表を務める 「麦の根」は、そんな団体だ。インターネットで、全国の同様団体とも交流している。 私も不登校だった。中学一年生の時で、それから十三年がたつ。すでに不登校といえる年齢ではない。アル バイトで生計を立てるフリーターをしているが、「ちゃんと働くべきだ」と言われる。そうした意見も分かる。 私の不登校経験は古い。今は、大学検定といった高校中退者のためのサポートシステムも広く知られている。 都会に行けばフリースペースや、不登校児のための学校もたくさんある。昔とは環境が大きく変わった。 だが、不登校児や中退者が抱える悩みや問題は、変わらない部分が多い。 「麦の根」の仲間や、インターネットで知った若者たちと話していると、不登校だったころの自分と重なる。 「学校へ行けない僕は駄目な人間だ」。私も、そんな考えにとらわれていた。富山には、まだ不登校児たちが 気軽に集まれる場所は少ない。行政の指導教室もすべての子に適応するとは限らず、だからといって、親や地 域の人が居場所を提供してくれるわけでもない。 自分たちで居場所をつくる必要があった。互いの不登校やアルバイト経験が、現在苦しんでいる若者に役立 つこともある。そんな思いで仲間たちと活動している。 今回からしばらく、私がなぜ不登校をしたのか、落ち込んだ状態からどうやって居場所を作るに至ったのか を、麦の根の取り組みとともに、仲間の証言を取り入れながら語っていきたい。 (麦の根代表) (1/18) 宮川トップページへ戻る