いじめ体験8 2006/11/14〜2008/12/18


NO20 なるみさんの体験
12/18

先日投稿しましたなるみです。2回目の投稿です。今日は小学校低学年に受けたいじめについてお話しいたします。
 
 私が通っていた小学校は、全校児童が100人に満たない小規模な学校であり、隣の児童館から上がってくる児童がほとんどで、私のように別の保育園に通っていた子供は少しだけでした。私は通っていた保育園が違うという理由でいじめられていました。同級生からも上級生からも、学年が上がれば下級生からもいじめられました。1年生の時は同級生A(男子)から「みるな〇〇」と私のフルネームを逆から読まれて騒がれました。勿論、同級生は皆面白そうに笑っていて、上級生もAに「なるみちゃんの嫌がることはやめなさい」と言う人はいませんでした。また、同級生B(男子)と3歳年上の男子上級生Cからは先生方や他の児童らの目の届かない所に連れて行かれて、嫌らしい話ですが、下半身を裸にさせられて股間をべろべろとなめられました。私はそのことが気持ち悪いし、また嫌なことをされるのではないかと不安になり泣き出しました。するとCから私の顔に唾を吹き付けられました。気持ち悪いし不安だったので私は号泣しましたが、泣いても私達がいる所は先生方の目の届かない所なので誰も助けてくれませんでした。私は女として生まれましたが、父に似て毛深く、顔では眉毛が太くつながっています。そのため上級生から「なるみちゃんはつながり眉毛やぁ」と言われていじめられ、深く傷ついて泣いて帰ったこともあります。

 先生方は見て見ぬふりだったので更に傷つきました。2年生になると、年子の弟が入学しました。上級生Cが私と同級生Bをつれまわすことはほとんどなくなりましたが、同級生Aが私のフルネームを逆から言うことは続いていました。また、ある日の帰りの会の時、Aが勝手な被害妄想で「今日の授業中、なるみさんが僕の失敗を大笑いしたのでとても嫌でした」と言いました。私は大笑いしてないので「私は笑ってません」と言いましたがAは「はぁ?笑ったくせに」と言いました。担任の先生は、私が泣きながら「本当に私は笑ってません」と言っているのにAを注意されませんでした。2年生の夏の日のことです。教室の後ろに、学校の周辺の地図が貼ってあり、それにはアゲハチョウの絵が描いてありました。同級生D()がふざけて近くにあった虫とり網をそのアゲハチョウの絵にかぶせたので私は笑いました。するとDは「笑うな」と言ってきたんです。私が「笑うと悪い?」と聞いたらDは「間違えたから笑うのは悪いわ」と言いました。Dはふざけていたのに。日記にその日のDとのトラブルのことを書いたら「悪いと言われたら謝りなさい」と先生は書かれ、私は悪者扱いされている感じでした。私は近所の2歳年上の女子Eからもいじめられました。Eは私の家に来ると必ず何かを盗みました。私が大切にしていたレターセットを全て盗まれたり、母の財布を盗まれたこともありました。私がEに「外で遊ぼう」と言ってもEは私の家に上がり込んでいました。その頃の私は、Eのほうが年上なので遊んでもらっていると思っていたため、親にはEからのいじめについて打ち明けることが出来ませんでした。学校でも先生に相談出来なかったので、Eからのいじめは大人は知りません。恐らく今でも知らないでしょう。

 私は学校やクラスメイトが大嫌いで、とても怖かったです。給食の時間がいつもつらかったです。私は小学生の頃まで年齢の割には身体が小さくて食が細く、食事も標準の量は私にとってとても多くて給食の時間に配られる量は食べきれないことが毎日のように続きました。だけど先生やクラスメイトからは残さず食べるように言われ続け、給食の時間が怖くなり、学校が怖くなりました。給食が怖くて学校に行けなかった日もありました。また学校では同級生A()と同級生D()とのトラブルもありました。宿題で分からない問題があり、Dに「ここはかけ算でいい?」と聞きに行ったら「今なるみちゃんは私の答え見たやろう」と言い出したのです。私は泣きそうになりながら「見てないよ」と言ったのですがDは「嘘ばっかり。見たでしょう」と言って口論になりました。私達がもめていることに気付いたAはDから話を聞き「これはなるみちゃんが悪い」と言ったのです。私はDの答えなんて見てないのに、悲しかったです。

 またある日のことでした。いきなりDと同級生F()が私に向かって「なるタリアン」と言ったので、私は悲しくなって泣きました。冬のある日、昼休みに本を返しに図書室に行ってから運動場に行くとクラスメイトが私を待たずに鬼ごっこをして遊んでいたので、私が「勝手にせんでよ」と言うとAとFから「それはなるみちゃんが遅く来るから悪いよ」と文句を言われました。2年生ももうすぐ終わる頃のある日の放課後、私が絵を描こうとしてクレヨンを出したら同級生G()が勝手に私のクレヨンを取って逃げました。話が前後しますが、私は2年生の6月から剣道を習いはじめました。しかし小柄な私は力が弱く、試合では必ず負けていました。習い始めたことが嬉しくて学校で先生やクラスメイトに剣道を習い始めたことを話してしまったため、クラスメイトから「なるみちゃんは剣道をしているクセにひ弱だ!」と言われていました。

 3年生になっても私は相変わらずの少食で、配られた給食の量が私にとっては多すぎて時間内に食べ終わることが出来ませんでした。いつも給食の時間を過ぎても食べ終わらないし残すこともしょっちゅうで、担任の先生は怒って「なるみはいつも食べ終わるのが給食の時間過ぎやし、残すこともしょっちゅう。お前は一生懸命食べてるのか!?」と言われました。食べきれる量にしてくれないのに叱られるなんて、悲しかったです。昼休みもつらかったです。ある日の昼休み、教室でババ抜きをして遊んでいた時のことです。私がトランプを切って配ったところまではよかったのですが、私は間違ってじゃんけんもしないで相手のカードを引いてしまったのです。その様子をたまたま見ていたGが「なるみちゃん卑怯やわ〜。私が正しいゲームの仕方を教えてやるから2人とも後ろ向いて」と言って私のカードにジョーカーをわざと入れて、私達がゲームを始めるとGは私のカードを見て相手の子に「このカード取りなよ。勝てるから」と指示しました。耐えかねた私がGに「そっちのほうが卑怯」と言うとGは「なるみちゃんが勝手にカードを引くから悪いのよ」と言って笑いました。

 もうすぐ夏休みが始まるという日の放課後、教室に荷物を置いて運動場でバスを待って遊んでいた時、Gが私の習字道具セットの紐、絵の具セットの紐、水泳バッグの紐、水泳バッグの中の下着や水着などを切ったんです。その時はGが切ったということは知りませんでしたが、数日後にクラスメイトから聞きました。Gは教室に誰もいない時に切ったみたいです。切られたのは私だけではなかったので、担任の先生は一応この事件のことは知っていらっしゃったと思いますが、Gを叱ることはされず、ただ「いじめられるほうが弱いから悪い」みたいなことをおっしゃいました。冬の寒い日のことです。廊下を歩いていた私をDが持ち上げたので私は「やめて!」と言いました。するとDは手を放し、私は頭から落ちて顔をぶつけ、口と鼻から血が出ました。こんなふうに、小学校でも怪我をさせられたことがあります。私が何も悪いことしてないのにいきなり「ねえ、なるブー」と嫌な呼び方をされたこともあります。嫌な呼び方をされたことを先生に言って注意してもらいましたが、私のことをなるブーと呼ぶのはやめてくれませんでした。

 家でも、相変わらずの家族関係でした。親の思い通りの成績じゃなかったら母から暴力をふるわれ父から「お前は最悪な人間」などと暴言を吐かれ、祖父母と父からは毎日のように母の悪口を聞かされていました。我が家の大人は自分に甘く他人に厳しい人間で、私が宿題に時間がかかると「ダメな人間、のろま」と言い、剣道の試合で負けて帰ってきたら「お前は練習を怠けている」と言いました。両親こそ時間にルーズなのに私が学校に遅れそうになると父は「時間を守れん奴は最悪な人間」と言いました。また、芸能人などが出てくるテレビは一切見せてもらえませんでした。両親は、自分達が子供の頃は皆が見てるテレビ番組を見てたくせに。だから私は学校でいつも周りの話についていけず、独りぼっちでした。私が病気になると、両親からはいつもいつも怠け者扱いされました。祖父母からは「甘えたくて、好き好んで病気になる」と言われました。私は決して怠けたり好き好んで病気になったのではありません。なのに家族は皆私を否定する。つらかったです。だから私はわずか小学校3年生、8歳にして死にたいと思いました。

 今でも家族は私の鬱病について、私を否定する考え方しか持ってないので生きるのが嫌で嫌でたまりません。死にたいくらいつらいです。この麦の根に投稿されている方々よりは私の体験は大したことないかもしれませんが、私はつらくてつらくてたまりません。長くなりましたが、私のいじめ体験談でした。最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。


NO19 なるみさんの体験
12/1

皆さん、こんにちは。初めて投稿します。なるみと申します。現在私は大学4年生、22歳になったばかりです。私のいじめ体験談を話したいと思います。私は保育園の年中組から高校1年生までの12年間、家や学校でいじめられていました。そのため、私は今鬱病になり精神科を受診しています。病気のため、友人関係がうまくいかず、就活が進んでいません。今日はまず、保育園でのいじめについてお話しします。

私が通っていた保育園は、私以外のほとんどが保育園と道路を挟んで反対側の小学校に上がる子供達でした。私は卒園後に上がる小学校が皆と違うという理由で毎日いじめられていました。“この水はなるみちゃんが触ったから汚い!”と言われたり、腕を曲がらない方向に曲げられたり、転んで擦り剥いた傷口に砂をかけられたり、発表会の劇の役を決める時は私と同じ役を嫌がられたり、いきなり“なるみちゃんだけあっちに行って”と言われたり、何もしていないのに突き飛ばされたりしていました。毎日毎日、こんないじめの繰り返しでした。あまりにひどくいじめられるので、私は保育園に着くと毎朝泣いて「行きたくない」と言っていました。ところが親は無理矢理連れて行きました。先生方は私が毎朝泣いているのにいじめへの対処はしませんでした。

家では、勿論、いじめられている私をかばってくれる人などいません。私は第一子として生まれたため、いじめられてもひたすら我慢しなければならない存在です。弟が泣いて帰って来たら抱いてあげるという、不公平な家庭です。家の中では、私が保育園に通っている時期には既に、大人の思い通りの行動でなければ母から暴力をふるわれ、父から暴言を吐かれていました。夫婦仲や嫁姑の仲が悪く、いつも祖父母からは母の悪口を聞かされ、私は小学生になる前から“ダメな母親から生まれたダメな人間”と思うようになりました。長くなりましたが、簡単に言うと以上が私が保育園の時に受けたいじめ体験談です。また書きます。


NO18 9/9 昔の女子高生さんの体験

高校時代クラスに柔道部員がいました。体は小さく三年生になっても中学生みたいでした。柔道部員に似つかない彼をクラスの男子達は事あるたびに殴りつけいじめてました。殴っても睨みつけてくるだけでそれが面白く小さい彼を殴りつけてました。彼が部活を引退してから彼の態度が変わりました。今まで殴っていた男子全員を殴りつけていきましたよ。殺意の眼をして自分がされた事と同じようにしてましたよ。何人か入院した者もいました。彼に報復されるのが怖くって学校を休む者もいました。休んだ者の家まで彼は入ったらしいです。まさかこんな事になるなんてと誰も思いませんでした。人は見かけで判断するものではありません。必ず報復してきますから。
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暴力は、解決手段にはならず、より力での制圧や、犯罪になり自分が
加害者になってしまう場合があります。相談したり、避難するとか、法的な
解決手段が多用にあります。どうか、真似のなさらないようにと思います。
麦の根 宮川


NO17 4/29     シンさんの体験 (NO14もご参照ください)

こんにちは。
以前も投稿した者ですが、今回も思うところがありまして書かせていただきたいと思います。
いじめはあくまで社会問題のひとつと認知されていますが、立派な犯罪とも呼べると思います。
今日、近所で買い物をしていると僕が卒業した中学のジャージを着た学生達が近くにいて、僕は逃げるようにその場を離れてしまいました。卒業からもうすぐ十年になりますが、学生服やジャージを着た子達を見ると、緊張してどうしようもありません。会社の嫌な先輩の近くにいるよりとっても辛いです。別にその子達が僕に何かをしてくるわけでも、僕に注意を向けているわけでもありませんが、ただ近くにいると昔のようなことをされる気がしておかしくなりそうです。
僕は中学生の頃も暴力を振るわれたりというひどいものではありませんでしたが、言葉によるからかいはたくさん受けました。僕が大人しくてどこか変わっている子だから面白がられていたようですが、
されている本人には本当にたまったものではありません。
名前もロクに知らない子までが僕の家を知っていて、家の前を通りながら馬鹿にするような事を言って去っていくなんてこともありました。
信じられないくらい卑劣です。
学校だけじゃなく人のプライベートまで汚す人達ですから。
いじめは犯罪です。
大人になって昔の事だし、と全てを許せるわけではありません。社会に対する恐怖心や不信感、偏見、被害妄想という歪んだ意識を人に植え付けます。
人間の人格を破壊する立派な犯罪です。
なにかの拍子に思い出したり、被害妄想を膨らませたりして、モノを壊してしまいそうになります。
いじめは立派な犯罪です。

すみません、これから書くものは読む人間によって犯罪を助長してしまうものになってしまうかもしれません。
僕はあえてたくさんの人に読んでいただきたいと思っていますが、麦の根さんで危険だと判断したら掲載しないでください。
少年を犯罪を犯す子供達がいます。
だいたいが自分勝手な考えに他人を巻き込むというケースですが、なかには例外もあると思います。
中学時代の僕も少年犯罪者の予備軍に近かったです。
友達の影響でカッターナイフを持ち歩いたり、ショルダーバッグに木刀をしのばせて登下校したり。
別に不良グループにいたのではありません。自分を馬鹿にする人達が憎くて仕方がなかったからです。僕は学校全体が敵のようでした。同級生の子達がいろいろ噂をひろめていたのだと思いますが、
下級生にも僕を馬鹿にする子達がいました。部活でも根性の悪い女子の後輩から馬鹿にされたりしましたし、男子の後輩も僕を先輩だという目では見ていませんでした。
僕がしっかりできなかったからいけないのもありますが、後輩にも馬鹿にされるというのがどれだけ屈辱的だからお分かりでしょうか?家に帰ってもいろんな被害妄想に悩まされたりして、憎しみや怒りを糧に生きているような生活でした。
本当にナイフや木刀をふりかざしてた事は一度もありません。
卒業前くらいには持つことをやめました。
大半の人は僕がそんなものを持ち歩いているなんて思ってもみなかったと思います。
いじめられっ子が凶器を持つというは必ずしも憎い相手を傷つけるためとは限りません。辛くて仕方がない憎悪の中で自分を保つためのお守りでもあり、そういったモノにしか救いを見出せない子供もなかにはいるのです。当時の僕には漫画の中に登場する凶悪な犯罪者が英雄のように思えていました。
僕は少年犯罪を肯定しません。
頭の中で復讐するのと現実に復讐するのは世界がまったく違う事を知っていたから。
ですがやってしまった事を後悔する子供達の気持ちは分かります。
復讐こそ正義だと信じたくなる気持ちは分かります。
ですが実際にやってしまったらそういった黒くて熱い感情は自分を置き去りにどこかへいってしまい、取り残された自分が罪悪感に苦しむでしょう。
僕は少年犯罪を肯定しませんが、罪を犯した子供を頭ごなしに加害者と非難したくはありません。
罪を犯した子供をそうなるまでに追い込んだ周囲こそが真に加害者で、罪を犯した子供こそが真に被害者だと考えます。
世間は人の事情や気持ちを知ろうともしません。
ただぱっと見た様子だけで加害者と被害者を判断し、大人たちは責任逃れをし、マスコミは大衆の興味をひくような報道ばかりします。
とても嫌な社会です。
先日、お笑い番組の過激な演出がいじめの見本になっている、という発言を聞きました。

僕はそれに思わず声をあげて共感しました。
水をかぶせたり、痛い目にあわせたり、恥をかかせたり。
ああいったものはつまり、弱者をいたぶるのは楽しいという本能を利用していると思います。
観ているとつい笑いがこぼれてしまいますが、冷静に考えればああいったものが一番にイジメを助長しているのだと思います。
僕が高校生の頃にも暴走族のメンバーを名乗ったクラスメイトがいたずら電話をかけてきましたが、そういった影響が強く感じられます。
今になって思えば、脅迫電話をかけられたと警察に通報すればよかったと後悔しています。

僕は少年犯罪を肯定しませんし、賛美もしません。
ただ傍観者である社会に彼らの理解を求めたいと思います。
誰が真に加害者で、誰が真に被害者なのか。
罪を犯す子供達のすべてが自分勝手な人間ではないことを。


そらさんの体験 4/6日NO16

私は小学校、中学校といじめの被害にあいました。
特にひどかったのが小学校6年です。
小学校5年のときに転校してきて、浮いた存在だったのは確かですが、なじめなかっ
たのもあります。それから、6年に同じメンバーで繰り上がり、担任だけが変わった
だけでした。それからというもの、男子生徒の1人が、「〜菌(ばい菌)」と校歌の
替え歌で歌い始めたのがきっかけでした。そのときは自分だとは気づかなかったので
すが、国語の俳句(短歌)の時間で、「1句つくりましょう」という課題が出まし
た。そのときに、机の端っこに「〜菌」という内容の句を書いていた記憶がありま
す。それからというもの、近所の生徒から始まり、クラス全員、学年全員、下級生そ
ういうあだ名が広まり、「きたネェよ」などといわれ続けました。

特に同じクラスにいる人から、音楽室の内側から鍵をかけられ、入れないようにされ
たり、体育の授業でもグループを組めといわれると、絶対1人でした。どこかの班に
入ると、その半全員が嫌な顔してたのを覚えてます。休憩時間になると、「死ね」、
「来るな〜菌」,「自分はかわいいと思ってるかもしれないけど、かわいくねぇよ」
といわれたり、私物、机、いすはばい菌と同じ扱いで、触ると汚いものがついたとい
う感じで、他人になすりつけるというのがありました。学級会でも、ボソッと「ク
ズ」といわれたこともあります。
卒業間近のときに、「あと○日で卒業」というカレンダーみたいなのを作りました。
それを日直が読んでいくのですが、ある男子生徒が、私のをふてくされて読んだとき
に、担任が「○○くん、かわいい。もう1回読んで」とアンコールを出したのにも信
じられなかったです。
それともう1つ、担任で腹が立ったことがあります。当時PTA役員だったうちの母
親が学校に来たとき、誰もいないところに呼び出して、「お宅の娘さんは授業中、い
つもぼんやりしてますね。それと勉強もまったく出来てないようで困りました」みた
いなことを密告したのです。(ある本を見たのですが、いじめられてる子は、また何
かされるのかわからず、ビクビクしているので、勉強に身が入らず、ボーっとしてし
まうと。いう内容で見ました。その担任は一体大学で何を勉強してきたのでしょうか
?それも見抜けなかったのでしょうか?それと、授業している間何を見てきたので
しょうか?正直言うと、私はその担任をいまだに、嫌な担任だと思っています。)

そのおかげで私は、今でも心に傷を負っていますし、人を信用できないところがあり
ます。
人をいじめてる皆さん、いじめられている人のことをわかってください。どんだけつ
らいか、学校に行けなくなったら誰の責任なのかを。



カノンさんの体験 NO15 2/21日

はじめまして☆現在22歳のカノンと申します。
長くなりますが、私の体験を話します。

私が最初にいじめられていると自覚したのは、幼稚園の頃でした。
幼い頃から極度の人見知りで、コミュニケーションを取れなかったので、いつも一人で遊んでいました。
おまけに周りからどうみても変わった子だったので、明らかに皆の中で浮いた存在でした。
とにかく同じ年代の子どもと話すことが苦手で、遊んでいる子の輪に入ることはまるで、外国人の会話に加わろうとするかのような苦痛を伴いました。

そんな私は変な子扱いされ、先生が同級生の一人に(みんなで分けてねと)くれたお菓子を分けるときに私だけもらえなかったり、水をかけられたり、長かった髪の毛を引っぱられたりしました。
私はその時から、自分を「みにくいアヒルの子」に重ね合わせ、耐え難い疎外感を味わいながらも、その物語の様に、最後には救われることを信じて、それだけを支えにしていました。

しかし、小学生になった私には、もっともっと酷いいじめが待っていたのです。
小学校でのいじめは、登校班から始まりました。
まず、2つ上の上級生に毎日言葉で脅され、その当時不正咬合だった私に喋り方がおかしい、障害者などといわれました。私が気が弱くておとなしいのをいい事に、登校途中の畑に捨ててあった腐ったきゅうりで頭を叩かれました。

その時はさすがにキレて先生と親にいいつけ、一旦いじめは止んだかのように思われました。
しかし、それはほんのつかの間でした。いつの間にかいじめをする人は、班の人ほとんど全員になっていました。毎日登校中に、ドブの水をかけられ、持ち物を取られ、泣かないで登校できた日は奇跡でした。
中でもショックだったのは、班長が「○○(私の本名)キライな人手ぇあげて」といい、全員が暗黙の了解のごとく手をあげたことでした。

この班は登校のときだけでしたが、下校のときは別のメンバーからもっと酷い目に遭わされました。
下校は、同級生の女子がまとまって下校班をつくります。
その女の子達は、学校にいる時は私と仲良くするくせに、下校時になると寄ってたかっていじめてくるのです。置いてけぼりは当たり前、服を脱がされることもありました。おかげで体育が嫌いでした。

小学校は1学年が各1クラスという小さな学校なので、いじめはそこからやがてクラス全体だけにとどまらず、学年を超えて飛び火しました。

上級生にも、同級生にも、そして下級生にさえも、「気持ち悪い」「変なヤツ」「嫌われ者」「精神病院行け」「汚い」「消えろ」「触るな」…一体どれだけの数の罵声を浴びせられた事だったか。私は、自分を本当に嫌われ者で要らない子だと思い込みました。

いじめは言葉だけではありませんでした。何故か殴る、蹴るをさせる。掃除用具入れに閉じ込められる。図工で作った作品を壊される…人間不信になるのも無理ありません。小学校の時の記憶は辛すぎて半分以上消えてしまいました。

そして、そんなことは先生は気付いたとしても、家族にはいえませんでした。なぜならば、私は自分が嫌われ者で皆にとって邪魔なものだということを家族に知られることが恥ずかしく、不名誉だったからです。
子どもが「人気者こそがいい子」と考えるのは当然だと思います。それくらい、人に愛され、認められることに敏感です。私は勉強とピアノが得意な子でしたが、いくら勉強やピアノが出来ても人に愛されない子はいい子ではなかった。家族は勉強の出来る優等生の私を見ているから、余計に不名誉な子にはなれず、家族の前では人気者のフリをしようとしていました。

そうしてコミュニケーションを取る機会も、思いやりや人の温かさも学ぶ機会も奪われ、人に対する不信感と対人恐怖を植え付けられた私は、当然の如く中学校でも苦労しました。
まず、上手く友達が作れない。どうやって会話の受け答えをしたら良いのか分からない。だから会話が成り立たない。

更に悪いことに、流行のテレビ番組を見たり、オシャレに興味を持ったりしはじめる子が圧倒的に多い中で、私はそういうものに興味がなく、小説を書いたりピアノを弾いたりすることに熱心で、流行に疎い子でした。その為、「芸能人を全く知らない」「着ている服がダサい」「遅れてる」とバカにされました。
無視されたり、仲間はずれもしょっちゅうでした。中2のときは、後輩に勝手にラブレターを出され、その所為で変な噂で有名になってしまいました。
中学校は、小学校の同級生が全員同じ中学に進学しました。小学生の時、私をいじめていたのは、女子だけでなく、男子も沢山いました。その男子達も、中学生になって恋人を作りました。
私はそいつらを殺してやりたくなりました。どうしてそんな事ができるのでしょう?
どうして、私のことをいじめておいて、その私がいるところで、好きな女の子には優しくできるのでしょう?
同じ女の子なのに。いじめていい女の子と守るべき女の子が居る。
そのあからさまな差別愛に私は恋愛を偽善と考え、嫌悪するようになりました。
死ぬほど悔しかった。恋愛なんてなくなれと思った。間に入って引き裂きたかった。

悔しいから、高校デビューを決めました。
絶対に、いじめた奴らよりも綺麗になって、成功して、幸せになってやるんだ、と決めました。
私はその頃・・・中学2年の終わり頃から、自分で詞を書き、曲を作るようになっていました。今思えば、それが私をいじめから救い出していたに違いなかったと思います。
沢山の詞を書いて、曲を書いて、歌はかなり下手だったけど、歌って、そうしているうちに、私は思いました。
「プロのシンガー・ソングライターになってあいつらに地団太を踏ませてやるんだ!!」

その時から、私は変わった。異常なくらいの向上心が燃え始めた。
高校生になった私は、少しずつだけど、決意どおり高校デビューをしていきました。
お金がなくて、服はあまり買えないけれど、もうダサいなんて言わせないように、ファッションの研究をして、化粧も始めてみました。綺麗になるように、ダイエットもしました。髪も伸ばしました。
歌が上手くなるように、合唱部に入りました。クラスで人気者になれるように、どう笑いを取るかも常に考えました。

そうしたらどうでしょう。私は見事になかなか人気を集めるようになり、高1で始めて彼氏ができました。
更には文化祭でのミスコンテストでも優勝していました。

しかし、サクセスストーリーもそう簡単ではないようです。歌が上手くなりたくて入った合唱部では、周りに馴染めず、また自信のない私が出てきました。それでも私は、「もう絶対いじめられることはない」と自分に言い聞かせていました。裏を返せば、それは再びいじめられることが怖かったからです。
その防壁は、部活中に壊れてしまいました。先生は、私に「周りから浮いている。みんなともっと上手くやりなさい」と言いました。それが私を深く傷つけました。

何も分かっちゃもらえないんだ。結局私は何処へいっても、一人になってしまうのだ、と。いじめの後遺症が、二次災害を引き起こしたのです。明るく振舞いながら、私は孤独を背負っていました。

中学まで、唯一信頼できる存在だった先生。それが、信じられない先生も居るということ、更には大人って結局は長いものには巻かれろで、口では自分らしくというけれど、最終的には上手く世渡りをして無難に保身をしながら生きていく術を子どもに教えようとする人種なのだと知ったことで、私は頑なに心を閉ざしてしまいました。

大人になんかなるものか。
しかしその反逆心が、私を音楽へと向かわせました。中学の時は、復讐をしたくて目指したシンガー・ソングライター。しかし、それは復讐から、メッセージを届けたいという想いに変わりました。
そして、今、まだアマチュアではありますが、自分の言葉を歌に乗せて、歌っています。


ここまでを読んでくださった方は、私を強い子だったとお思いになるかもしれません。強い子だったから、いじめを乗り越えられたのだと。

だけど、私は強い子ではありません。自分の苦しみを、自分で何とかできることなど殆どなかった、時には大嫌いな刃物で自分にキズをつけた、死ぬことも考えた、決して強くありません。

そんな私がいじめを乗り越えられたのは、やはり音楽があったからです。表現することで、私は救われていたのだと思います。どこか本当の自分を出せるところがあることは大きな救いだと私は思います。
大変長くなってしまってごめんなさい。


NO14 2/12     シンさんの体験

もう高校を卒業して数年になりますが、ときおりこうしてイジメについての訴えをしたくなります。僕は高校時代、それほど極端なものではありませんでしたが、イジメを受けました。からかわれたという程度のものもありましたが、相手が本気で嫌がっていて、それを承知でしかも楽しんでやっているとあれば立派ないじめでしょう。
・なかば無理やりにジャンケンをさせて、こっちが負けると肩を思いっきり殴る(肩パンチというらしい)。
・人の弁当や飲み物にいたずらしたりタカったりする。
・僕は物を貸せと言うくせに、自分は僕にだけ物を貸さない。
・中学時代の事をいろいろと調べ上げて馬鹿にする。
・中学時代の事を部活の仲間やクラスメイトに言いふらす(調べている子とは別の子)。

・有名な暴走族のワルを名乗って、「喧嘩売ってんのか?」と脅迫電話をかけてくる。

・ヤクザみたいに脅して人の持ち物を学校に持ってこさせる。
・机に「死ね」と落書きされる。
・目の前で悪口を言われる(精神年齢が低い、お前にマージャンなんてやらせる価値はないなど)
・物を投げつけてくる。
・文句を言ったり気に食わないと蹴ったり殴ったりしてくる。
・(昔は結構暗かったから)人がアルバイトに就けない事を馬鹿にする。
・修学旅行で風呂に入っているところをデジカメで撮る。
・人の携帯電話を床に叩きつける。
・自分でもできる雑用をわざわざ押し付ける(断ると、気持ち悪いからこっちを見るな、など悪口を言う)
・人の泣き顔を携帯電話のカメラで撮る。
ここにあるのはクラスメイトから受けた事だけです。
担任や他の教師かもいろんな扱いを受けました。
・やっとアルバイトに就けると「よくお前がアルバイトにつけたな」と職員室で言われる。
・(免許を取って)「お前の車に乗るなんて自殺行為だ」と言われる。
・自分で行けばいいのに校外や学食に買い物に行かされる。
・休み時間、人がクラスが嫌だから職員室に顔を出していると「ねえ、なんで職員室に来るの?おかしいと思われてるよ」と言われる。
こんな感じです。
人間、よっぽど嫌な目にあうとなかなか忘れられないものらしく、卒業後も高校での出来事を嫌でも思い出して苛立ったり不愉快になったりしました。最近はあまりそういう事もなくなりましたが、同窓会の誘いがあっても行きたくありません。彼らも成人し、社会に出ていろんな事を学び、そのなかでイジメに対する罪悪感を学ぶかもしれません。しかし、僕は彼らにそういった風にはなって欲しいとはあまり願いません。僕はたくさんの嫌な思いをさせられ、謝りもされませんでした。やるだけやって「あー、楽しかった」といった顔で卒業していった人間に道徳や常識を説いて欲しくはありません。いつか自分達に子供ができてイジメにあったら、それこそ顔を真っ赤にしていじめた子を怒鳴り散らすでしょう。だけど彼らにはそんな資格はないと思います。この投稿をするための条件にも中傷はご遠慮くださいと書かれいるのにすみませんが、ひとつだけ許してもらえるなら、言わせてもらいたい事があります。
彼らには大人なんてならないで昔のままでいて欲しいです。自分達が楽しむために人を故意に傷つけて楽しむ人間が世間で良い人なんて呼ばれるのが僕には我慢なりません。好きなだけ人を傷つけて社会から嫌われ、孤立してしまえばいい。仲間や恋人のために真心を持てるのにどうして弱い人間にもそれを持てない?僕にはそういう人間達を偽善だと吐き捨てたくて仕方がありません。
すみません、だいぶ言いたい事を言いました。
僕からはたいしたアドバイスはできません。
僕はただ耐え忍んでいました。
先生に相談する、友達に相談するという事はしてきましたし、それで解決できた件もあります。
それもあまり多くはありません。
ただ、できるなら身近に心を開ける友達を見つけることだと思います。
僕は4クラスのうちでたまたまガラの悪い人達ばかりのクラスに振り分けられ、3年間クラス替えも叶わずに過ごしました。
「お前、このクラスで友達って誰ー?」とからかわれた事もあります。
それほど仲がいいわけではありませんでしたが話せるこの名前をあげました。
「こいつに友達だと思われてかわいそうだなー」と別の子に悪口も言われました。
僕の場合は本当に味方がいませんでした。
敵でも味方でもなく中立な子もいましたが、味方ではありませんでした。
ひとつ大事な事を思い出しました。
無理に誰かと仲良くなって、友達になってもらおうなんてしなくていいと思います。
大切なのは自分が自然と心を開けるような人間達に出会える努力をしてゆくことだと思います。
イジメを回避できなくても、支えてくれる人がいるのは大切なことです。
人と同じようにものがこなせなくても、人と違ったキャラクターをしていても、人の中で孤立してしまっても。
それはその人がわるいわけではありません。
いじめられる人間が悪いなんて、それはいじめる人間のエゴです。
「俺達のようになれないお前が悪い」というなら逆に自分達がその子と同じようになれるのか。
不器用な人間を思いやれない人間のエゴに耳を貸すことはありません。
それが学校の先生でも、どこかの偉い社長でも、クラスの人気者でも。
人に好かれているからと言って、その人が真に善人だとは限りません。
自分が正しいと思ったら、自分がいけないと責めてはいけません。

すみません、長々と書きすぎました。
できるなら、この投稿をたくさんの人達によんでいただけたらと願います。


あきさんの体験 NO13 1/10

僕は、小5の時に転校してからいじめられるようになりました。転校した2日後から毎日のように、6,7人くらいに殴られたり、飛び蹴りされたりした。また、人間ピラミッド(どんどん上に人が乗ってくる)の下敷きにされたり、昼休みにはみんなで僕を追いかけてきて、捕まったら暴力だった。女子にも「きもい」と言われ蹴
られた。そのような日々で毎日のように泣かされた。先生にも言ったが、注意した時はやめるけど、すぐに始まった。毎日リンチのようだった。

小6になり、クラス替えがあり、いじめてくる人とは別のクラスになったが、新しいクラスの人に、殴られ青あざができたこともあったが、友達ができて幸せだった。


中1になると、他の学区からの人も入ってきた。そこでまた、いじめにあうとは思ってもいなかった。それはみんながなれてきた2学期頃から始まった。移動教室のとき、教室に行くと中の人が先生が来るまで扉を開けてくれなかったり、筆箱を盗まれることもあった。そして水泳の着替えの時に、バスタオルを取られ、見られた
くないところを見られたり、水中でものぞかれたりした。このときも小6の時ほどではないが友達が同じクラスにいたのが救いだった。


中2になってからが最悪だった。6月頃からいじめは始まった。2人から何もしていないのに、殴られたり、蹴られたり、黒板消しをつけられたり、チョークの落書きで制服が汚れるのは毎日だった。つねってきたりもして、首や腕はいつも怪我している状態だった。ゴミ箱に僕のかばんが入っていたり、廊下にあったり、トイレ
にあったり、教科書や筆箱でサッカーされたりもした。教科書はぼろぼろだった。机の引き出しにものを入れていたら、いつも出され放置されていた。雑巾投げられたり、机に落書き、黒板に悪口を書かれた。「おまえは露出狂だ」とか「ドMだ」と言われ続けた。移動教室のときは全部荷物を持たされたり、昼休みは「パンとって
こい!」のパシリもあった。休み時間はベランダに閉じ込められ、水をかけられたりした。まわりもそれを見て楽しんでいるようだった。
結局このクラスで作れなかった。

中3になると、いじめてきた人とは別のクラスになり、友達もいっぱいできた。
やっぱり、友達は大事だと思った。

長々とすみませんでした。



RSさんの体験 NO12 12/12

僕の不登校経験は中学2年の頃に始まります。周りの環境に馴染めなかったというのもあるでしょうか。自分自身の気持ちとしては何もかもが面白くなくて、無気力から始まり、昔からからかわれやすいタイプだったということもあり、それが発展していった感じでイジメという形になってしまいました。内容としてはそれほど酷い
ものではなかったと思います。容姿のことを言われたり、邪魔にされたりなどで、暴力というものはあまりありませんでした。勉強も当時はつまらなかったし、部活も自分のやりたいものがなくてとりあえずで入った部だったのでやる気もなかったので不登校になるまではただ、何となくで学校にも通ってたような気がします。今と
なっては中学の3年間のうちの半分ほどしか学校には行ってなかったので思い出というのもあまり記憶にありません。

あの時からもう10年以上経つけど、今ではあの時こうしてればよかったという後悔だけの人生で虚しい限りです。今は働いていますが、それまでの約10年間は、友達はもちろん恋人など、深い人間関係は何もなく空っぽの状態で生きてきました。親はこれからだよとは言いますが、当時の嫌な記憶もあり人と関わることは今でも怖
いです。

働いていても他人と共に生きてこなかった自分は身体は大人でも心と頭は中学生のときで止まってるんだと思います。きっと嫌なことや辛いことからすぐ逃げてしまった罰なんでしょう。


リコさんの体験 11/18日 NO11

二回目の投稿の、リコです。

現在は文化祭が終わり、部活などに力を入れてます。
Tとは無事元の中に戻りました。一時絶交になっていたのは、いじめ主犯核のBとCの
勝手な解釈でした。現在は仲良くしてます。

ですが、以前Tを自分のモノにしたいAとそれに加担する口の軽い人たちのせいで
部活でしか仲良くできません。依然教室では私は浮いています。
私のことを嫌いな男子は、私と同じ委員会になった時、「うっわ最悪〜〜!」「マジありえねぇし」
「移動しようぜ、移動」「最悪だぁ〜」などといわれ、教科係(2人組)を決める時、私は音楽係を
選択しましたが、最後ギリギリまで誰も音楽係に手を上げませんでした。
最終的に決まったのはクラスでウザいと嫌われている男子に決まり、他の人も
「あの係お似合いだね〜」と冷やかしてました。

何か私が少しでも目立つことをするたびに、裏で陰口を言われるし
グループを作るときも皆わたしを避けてます。

性格がそのいじめグループにとって癪に障るような性格なので、もうどうしようもないので
先生に相談をちょくちょくしながらすごしてます。

長々と駄文すいません。


注 ↓にあるNO7の記事も参照ください。 麦の根 宮川


nanaさんの体験 11/13日 NO10
私は現在はイジメもなく普通に中学生活を楽しんでいます。
しかし過去には先生からのイジメを受け自殺を考え今でもその時の心の傷があり病院にも通っています。
私のイジメが始まったのは小学校1年生の頃でした。
その頃は先生からではなく生徒からでした。
下校時に田んぼに落とされたり水筒で殴られたりしました。
しかし私にはそんな事されるような理由がありませんでした。
ただなぜか先生達が私が何を話しても無視しているのがおかしいなと思っていました。
しかしそのままイジメがあって当たり前になってきて私はそのまま小学校6年生になっていました。
この頃はクラスになじめず学校に行くのが嫌でわざと遅れていったりしていました。
そんなときにある先生に誘われて入った学級がありました。
それが部落差別地区にだけある学級でした。
その学級自体は楽しくって毎週楽しみにしていました。
しかし私がいじめを受けていた人がほとんどの地区だったんです。
それでも私は差別することも無くただ楽しみとして通いました。
しかしその学級で私の地区を悪く言うおばさんがいました。
昔差別されたとみんなの前で言われスゴク辛い思いをしました。
その直後に足を蹴られ学校の目の前で血を流しているのに先生に無視されついに私は学校にイジメの事実を伝えました。
しかしその時にその地区の名前を出すことによって差別だと言われました。
その日の放課後から人権担当の先生に暴言をはかれるようになりました。
「差別者」「犯罪者」「お前みたいなのがおるから差別がなくならない」「いなくなったらいいのに」
そういわれて過ごしました。
卒業まで後2週間と迫った日に私は屋上に足をかけました。
自殺をしようと思ったのです。
しかしその時たまたま近くにいた教頭先生に止められました。
それからが私の地獄でした。
あのときは生きていることが精一杯だったのですが中学になり落ち着いてくると
対人恐怖症になっている自分がいました。
今では先生の大きな声でパニックを起こし教室でみんなと同じように授業を受け
られません。
いじめはその時だけでなくその後もずっと苦しめるんです。
私の場合児童からと先生からの両方のいじめであり又差別も同時に受けました。
今やっとインターネットを通して話せるようになったのは実は顧問の先生のおか
げです。
先生にいじめられ先生が恐くなりでも結局救ってくれたのは先生でした。
今でも恐いです。
生きてることが不安になります。
でも今生き抜いて必ず私の受けた差別をなくす。
他の差別もなくす。
そんな気持ちで頑張っています。


絢香(仮名)さんの体験 10/20 NO9
私は、現在中2の14歳の絢香(仮名)です。
小学校3年生の3学期〜小学校6年生の1学期までヤラレ続けました。
内容は、暴力、悪口、陰口、物を壊すでした。
小学校4年生の時の担任は「こんな奴、担任失格!!じゃなくて、人間失格!!担任以前の問題!!」って奴が私の当時担任でした。
その担任は私が失敗をすると、クラスの全員に「絢香が、失敗した〜!!」と言うと、担任も乗ってくるんです。
私が被害者なのに私が注意されることなんて、日常茶飯事でした。
もう耐えれなくなった、私は学校に行くのを止めました。
そのせいで、私は8ヶ月も不登校になってしまい、ずっと同じ姿勢を繰り返す毎日だったせいか、今の身長は148cmしかありません。

小学校4年生の1月に別の小学校に転校しました。
でも、そんな幸せはすぐに壊されてしまいました。
小学校5年生の担任がとても無能な人だったからです。
内容は4年生の時と同じ。
無くなったきっかけは、6年生の時の日記の宿題でした。
6年生の担任の先生が「絢香さん、こまっていることがあるなら書いてください。あなたの力になりましょう。」
最初は、「この先生も形だけなのかな・・・」と半信半疑でした。
だけど、それは本当ことになりました。
その先生は「中学校に言ってもこんな幼稚なことはさせない!!」という強い志を持った人だったからです。
今までのことはなんだったんだ。と思うようなできどこでした。
今では、私の大切な友達がいて、その人達と色々な所に遊びに行ったり、祭りに行ったり、CDショップでCDを買ったり、プリクラを撮ったりして、毎日が楽しいです。

以上、長文すみませんでした。



ぴょんさんの体験 9/28日 NO8

はじめまして。28才の主婦のれいぴょんといいます。
私は、小学5、6年生の時にクラスのほとんどの男子からいじめられました。

上履きに砂が目一杯入っていたり、長期欠席していて久しぶりに登校したら、椅子の上に画鋲が置いてありました。
図工の授業の時は、金づちを投げ付けられたり、死んだゴキブリを投げ付けられもしました。

体育の授業の時は、バスケットボールが私にパスされると、「触るな!ボールが腐るだろ!」と言われました。

「お前と目が合うと目が腐る」とか、「ばい菌がうつるから近寄るな!」「一回死ね」等酷い事も言われました。

女子達は私をかばうと次の標的にされると思い助けてくれませんでした。担任の女教師にも助けを求めたけど、「あなたは強いから大丈夫よ!」とバカげた事を言われました。辛いから相談したのに、結局女教師も女子達と同じで、何もしてはくれませんでした。

卒業して15年以上経つけど、いじめの傷は一生消えません。いじめをした男子達も絶対許せません。名前も顔も私は覚えています。
卒業するときに、一言でも謝ってくれたら許したかもしれないけど、謝りもせず卒業していきました。

今、いじめをしている人はすぐに謝って、もうやめて下さい!いじめをした人に一生怨まれて生きていく事になりますよ。
私は人に怨まれて生きていきたくないから、いじめはしませんでした。

先生方は、いじめにあって悩んでいる生徒がいたら、ちゃんと話を聞いてあげて下さい!いじめられる子に問題があるなんて、決して思わないで下さい。いじめをする子が一番悪いんだから。

いじめられて悩んでいる人は、決して死ぬなんて事はしないで!!あなたが死んだら、沢山の人が悲しむんです。人は生きるために生まれてきたんだから!

私はいじめを絶対に許さない!いじめをした人もいじめをただ傍観していた人も!!

長文乱文をお許し下さい


リコさんの体験 9/21日 NO7


はじめまして。中学二年のリコです。

中学一年の秋頃から、仲のよくないグループからちょくちょく悪口を言われていて
その頃はまだ気にも留めない程度でしたが、二年生になりクラス替えで、私の事
を嫌いな人達と運悪く一緒のクラスになってしまいました。

それから、友人と仲良くしていましたが、話したりするのは部活の時だけで、クラスでは
声をかけてくれる人もいなくて、声をかけてもなかなか話してくれなかったりするのが続きました。
友人と話したくても、いじめ主犯格のA(女)が私のことを大嫌いらしく、一年生の時から私の
悪口を言っていた一人で、私がその友人T(女)と話していると、すぐに私とTを引き裂きに来る
のです。Aは私だけを嫌ってきて、私以外にはいい顔をするのです。

そして夏休みはTと他県に行ったり、一緒に行動していたのですが、夏休みがあけて数日後に
いきなり誰も話してくれなくなりました。
そして数週間後、いじめ主犯格のB(女)とC(女)が「Tが『付きまとわないで!』って言ってたよ」
と言ってきたんです。

私は「どうせAが言ったんだろう」と軽く流しましたが、それがAの逆鱗に触れたらしく、その日から
陰で悪口が言われるのはもちろん、Tも部活の同じクラスの子も、誰もが完全に口を聞かなく
なってしまいました。

私はTが直接私に言いにくると信じていたので、まずそれにショックを受けました。
そして、それから悪口も又エスカレートして、勝手にある教科の感想カードをいじめ主犯格グルー
プの人達のなかで回され、「死ねばいいじゃん」「キモイしー」などと真横でいわれたりしています。
一応担任には話しましたが、まだ一回しか話してないので具体的には何もしてくれません。

Tに裏切られたことから、前から人間不信になってましたが、もう完全に人を前のように信頼できな
くなってしまいました。

まず、原点からずれてしまってすいません。最後まで読んで頂きありがとう御座います。

こんなの他の人に比べたら足元にも及ばないかもしれませんね。。ごめんなさい・・・。



リーさんの体験 NO6   8/25日

私は、今小学5年生です。4年の、10月頃からいじめにあっていました。
初めてきずいたのは、海洋センターのときです。
1泊2日の海洋センター楽しもうと思って行きました。
それが、1日目、カッターというヨットに乗る前のことです。
T君と、M君が話しているのを聞いてしまったのです。
T「おいM、お前OP最悪やなぁ」OPというのは、
二人乗りの、小さいヨットです。
くじ引きで4人で同じヨットに乗ります。
男2 女2なので、二人ずつ順番に乗っていきます。
だけど、私のところは、女が一人少ないので、
くじ引きで、たまたま、3にんのとこになりました。
M君ともう一人の子は、障害のある男の子です。
そのこは先生と乗らなきゃいけないので、私は、Mくんとになりました。
会話に戻ります。M「えっ?何が?」
T「えっ?だって、K・・・ちがうわ。Mさんと同じやもん」
M「Mさん?」T「えっ?お前知らんの?常識やぞ。バスで、○○の前に座ってた
人」M「あぁ・・・」
私のことでした。
T「めっちゃ臭いからMさん。」M「ふぅん・・・」という会話でした。私は隣にい
ました。私にきずかなかったのでしょう
悲しくて。確かに私は、お風呂で体をいい加減に洗う日もありました。そういう風に
言われてるなんて凄いショックでした。
そして、その日は、OPでなく、カッターに乗る日だったのです。カッターに乗るの
は、後半で、そのあいだ自由でした。皆砂浜で遊んでいました。
でも、私は悲しみとショックでいっぱいで、ずっとないていました。友達二人が、
「どうしたの?」ってずっと、
聞いてくれてたけど、どうしても、理由をいえませんでした。保険の先生に一人の友
達が、「泣いてる」と
言ってくれたそうで、保険の先生がずっと、慰めてくれていました。理由はいえな
かったけど・・・
そしてカッターに乗るときになりました。隣の人はKくんで、
「大丈夫。」とじぶんを安心させて、乗りました。
K君は私が隣に乗ると凄く嫌そうな顔をして後ろを見ました。後ろには、O君がい
て、目で会話していました。
そして、夜キャンプファイヤーを、しました。
背の順で並んでました。私の横は、保険の先生に言ってくれた一人の友達、Yちゃん
で、反対の横は、M君です。前等、近くにいる人は、T君、S君、N君などです。
すると、私の前の列のその三人が、ずっと、鼻をつまんでいるのです。私は分からな
いふりをして、Yちゃんと話していました。すると、N君が、鼻をつまんで、私の方
を見て、M君の方によるように手を動かしました。
私は仕方なく少しM君の方に寄ると、M君の方を見て、みんなが笑っていました。
M君まで、私をどかすような動作で手を振っていました。
もう、私はこの場に居られないと思い、Yちゃんにしんどいと言いました。また、保
険の先生に言ってくれて輪から出て休んでいました。みんなが、踊ったりしてる中、
Yちゃんは、手を振ってくれたり、Kちゃんは、寒そうだからと、上着を持ってきて
くれたり、Oちゃんは、大丈夫?
とわざわざ言いにきてくれたり。でも、鼻をつまんでた、
男子たちは、自分らのせいとも知らず、暢気に踊ってました。唯一、横のM君と、そ
の横のOくんだけ、たまに
こっちを見てくれた居ました。その後私は保険の先生と、部屋へ戻り、寝ていまし
た。
海洋センターから帰って、学校でも、いじめはつずきました。ばい菌扱いされて本当
に辛かったです。
でも、私の周りに友達だけは、ずっと、居てくれました。
私は、しょっちゅうしんどくなり、学校を休んだり、
はや引きしたり、遅刻していました。
それから、長い間たって、先生は私の異変にきずいたようです。そして、授業のとき
いじめの話をしたとき、
先生が「これでみんなスッキリしましたか?」と言ったとき、
私は、全然スッキリしていませんでした。
すると、O君が、「○○が不安そうな顔してる」と言ってくれたんです。そのあと、
先生に呼ばれて、
本当のことを話しました。そして、いじめてたみんなからも謝ってもらいました。で
も、やっぱりそれっぽいことはありましたが、ずいぶんとマシになりました。
5年になってから、いじめはありませんでした。
が、少しのこと。ちょっとしたことでも、過去にそういうことが
あると気になってしまいます。
今も凄く気になっている事があります。
今は夏休みですが、学校が始まるのが怖いと思っています。でも、正直に言うと、先
生が一度怒っただけで、
こんなにも変わるのかなぁって思っています。
他のクラスの人にも広まってるかもしれないし、
去年の謝った人の中にも、反省してないように見える人もいます。だから、中学が怖
いです。
中学で広められたらもっと怖いいじめになるんじゃないか
って心配です。
けど、私は頑張って生きる!そう心に誓いました。
それと、いじめられて初めてきずいたこともありました。
いじめられている人が、こんなにも苦しいなんて考えたこともありませんでした。
私はこれから、絶対にいじめはしないと思います。
そういう意味では成長したのかな?って思います。

今、いじめられている人へ
絶対死ぬ」なんて考えないで下さい。
悲しむ人は沢山居ます。あなたの命はたった一つですよ。大切にしてください。
いじめは、いつかきっと終わります。
誰かに打ち明けてみてください。
きっとあなたの力になってくれるでしょう。
あなたは、一人じゃありません!


澪さんの体験 NO5 7/1日

はじめまして。
澪といいます。
今は中学2年生です。
私は今、学校でイジメにあっています。
女子は、私に近づこうとしません。
ぶつかってしまったときも、私が触ったところを手で払う動作をします。
男子はもっと酷いです。
いつも机を離されるし、私かが廊下を歩くときは、いつもおおげさな身振りでよけたりします。
もし、ぶつかったら、「うわー、俺、死んだー」とか言われます。
席替えで隣になったら、「最悪ー」といわれます。
休み時間は、クラスの男子が、他の男子のシャープペンや教科書を私に近づけてきます。

授業で自習の時は、消しゴムや草の実を投げなれたりします。
1年生の最後の弁当の日は、1人で食べました。
親に相談しても、「自意識過剰」と言われます。
もう誰も信じられません。
学校に行きたくないです。



ろぼさんの体験 NO4  5/17日

はじめまして。ろぼです。私は、中1の時にいじめにあいました。きっかけは吹奏楽部の楽器決めから。私の学校では4、5人にグループを分けられ、それぞれ各教室にある楽器を吹き、簡単なテストをしては違う教室に行き、楽器を吹くという事をしました。私は楽器の才能がなく、音すら出ない楽器もありました。私のヘタクソっぷりに前にいた2人が馬鹿にするょうに笑ってきました。その日から、私への嫌がらせが始まりました。
すれ違いざまに「死ね」とか「キモイ」「〇〇はー(私の名字)………(←内緒話)」など言ってきたり、また、言ってたりしました。最初は気にしていなかったけど、毎日その2人から言われていると、不安になっていき、友達に相談しました。そうしたら「今度そいつがそういう事いってきたらあたしが睨んでやるよ!」安心した…味方がいると不安もなくなってきました。
けど、味方を付けるも、悪口はエスカレートし、他のパートの人に私の噂?(何かは知りませんが)が回り、夏休みの練習の時、昼食を一緒に食べにきたのか私と同じパートの人の友達ら(以下Aパート)が来ました。私は違うパートのところへ行って昼食を食べました。食べ終わり自分のパートの場所へ戻ると来ていたAパートが一斉に帰り始めました。私は「?…偶然か」と思いました。次の日も次の日も私が帰ってくると同時に、みんな帰り始めました。私はまた不安になりいつも一緒に食べているパートの人にその事を言いました。「じゃ、食べ終わったら、速攻で弁当置いてきて、またこっちにきなょ!」その人の言うとおり、弁当を置きに行きました。やはりみんな一斉に帰って行きます。けどまた戻るからそこから離れょうとした途端、「んだよ!ふざけんなよ」「うぜー」と言う声が後ろから聞こえて来ました。またお弁当を広げたり、食べ始める音がしました。とてもショックでした。「やっぱりワザとだったんだ…」心の中で思いました。それから数日─。Bパートが顔を合わせるたびに「キモイ」「うわ、マジキモイんだけど」とか理由もなく言ってくるようになって
、次々他のパートが私への態度が変わりました。
小学校の時に仲が良かった人にも言われました。精神的にしんどくなってきて、顧問の先生に言ったら、すぐに対処してくれて、きっかけの2人に何故そういう事を言うんだ?と言ってくれました。しかしその2人は「そんなこと言っていませんよ。私たちは芸能人の〇〇(私の名字)が嫌いでそういう事言っていました。そういえば〇〇さんは大丈夫ですか?」
と、言っていたそうだ……そう伝えられ悔しい思いでいっぱいだった。それからは悪口がなくなった。でも楽器もヘタクソだし、他のパートとの関係はギクシャクしていたから部活を止め、違う部活に入った。優しい先輩や友達に迎えられ今は部活が楽しいです。
現在中2です。また最近悪口をたまに言われますが、無視してなんとかやり過ごしています。結局悪口の原因はわからないままになってしまったのが心残りですが…。
長々とごめんなさい。他の人のを比べたらこれはいじめの内に入らないかもしれませんね…。軽いですね…では。


 NO3 子供からウザがられている中年オヤジさんの体験 12/8日

今から40年以上前のことです。片親で家が貧乏で身なりも悪く、運動は何をやって
もダメ、小学校のクラスでは当然のことのようにいじめの対象でした。
汚い、クサイ、そして私の身体的にコンプレックスを抱いていた部分までを、突き刺
すような言葉で投げつけてきました。いじめって、いまも昔もやることって変わらな
いんですよね。
何度となく、そんな同級生を刺し殺してしまう夢を見たことかわかりません。
6年生のある日の給食の時間のことでした、担任の先生が毎月の給食費が払えない私
を皆の前に呼び出し、「お前は、皆が払っている給食費で食べているんだぞ!」
そのときの光景は、昨日の事のように今も私の心に甦ります。苛められても何とかや
り過ごしていた私は初めて、窓際に立たされながら、悔しくて涙を流し続けました。
教師の怒りに任せた言葉は、何十年経っても私を痛め続け、深い傷となっています。
そのときの事は、今も親には話していません。今度は親を傷つけるからです。
そんな状況でも、ひとつだけ私を支えたことがありました。あんなに私をいじめたク
ラスメイトが、そのことを何一つ私に対してイジメの道具としなかったことです。
先生が私に投げつけた言葉がいかに酷いものだったか、子供たちが一番わかってくれ
たのだろうと思います。その後は誰一人私をいじめるようなことはありませんでし
た。
今、私も家庭を持ち、その頃からの夢だった建築の設計の仕事をしています。

同じ年頃の子供がいる私は、皆さんのことが心配です。
でも、諦めないでください。あなたのことを見続けている人が必ずいることを。
夢を見つけてください、見つからなくてもいつまでも探し続けてください。あなたの
一番の力になってくれるはずです。

                        子供からウザがられている中年オヤジより


NO62 こずえさんの体験 11/19

こずえです。
私は、現在、42歳の×1ですが、私が小学校1年から中学校3年までの9年間という間、ずーっと、いじめに合っていました。私の場合、1対クラス全員です。
私の何が皆に対して気にいらなかったのか、いまだにわかりません。
誰も私の近くに寄ってこなかったです。「清水の半径1メートル以内に近ずいたら菌が移るからな」。。って、給食の時間は、パンの上に牛乳をかけられたりも
していました。私と話した子は、私と話した・・・と、言うだけでその子まで皆から「お前も清水の菌が移ったから近寄るな」って、言われて消毒する儀式
をしてもとに戻れる・・みたいな感じになってました。団体行動のときは最悪でした。だから小学校も中学校の時も修学旅行が一番嫌でした。・・し、せっかくの
修学旅行の思い出もないです。だから、私の9年間の思い出は空白になってます。たぶん、そのことが今の私に影響はあると思います。
今でも私は、この世に生まれて来たのは間違いだったんじゃないかと思いながら、子供のためだけに頑張ってるみたいなものです。
一度、小学校の同窓会の案内がきたときに、欠席で送り返したあとで理由を聞く電話がきたときに、「私が行っても楽しくないと思うし、」、、て、言ったら、
「昔のことは昔のこだからさぁ」だって、すーごく、腹が立ったけど、あっ、いじめるほうは、そんなもんなんだ・・って、思った。
でも、いじめられた方は、一生、心に残るんだよ。だから、それが辛くて自分がいなくなってしまいたい・・・って、思う人も出てくるんだよ。
私も死ぬまでこの思いは、消えないと思う。今は自分の子供にはどっちの立場にもなってほしくないと思ってるので神経質になりすぎるくらい慎重になってます。
そのことは、いじめる子にもっと、わかってもらいたいです。
 


NO61 カナさんの体験 11/14

初めて投稿させていただきます。カナと申します。
現在、高校3年です。
 
私が初めていじめにあったのは中学2年のときでした。
学年のいわゆる不良のような女子グループからのいじめでした。
彼女らは私が彼女らの横を通りすぎたる際に笑ったり、「うわ〜きも〜い」などといった行為をしてきました。
私も始めのうち、私はなんにもしていないのだから気にしないようにしていました。
しかし、数日が過ぎても彼女らは私に対する態度を改めませんでした。
そんなとき、私を助けてくれたのは友達でした。
私の学校には『相談カウンセラー』という方が常に学校にいたのですが、その方の所に私を連れていってくれた上、一緒に相談をしてくれました。私は自分のされていることを相談しているうちにたまらず泣き出してしまいました。
そんな私にカウンセラーさんは「よく頑張ってね」と言ってくれました。
この一言で私は我慢していたことが無駄でなかったと思いました。
その後、カウンセラーさんはすぐに学年主任や担任に状況を説明し、先生達はいじめをしていた彼女らを呼び出しました。
その後、彼女らは私達(この後わかったことなのですが、私の他にも数名の生徒が同じようないじめにあっていたのです)に謝罪しました。私はいじめに勝つことが出来ました。これもカウンセラーさんのおかげだと思いました。
 
ですが、実はこれにはもうひとつ話があるのです。
それは、私の母の話です。
私がカウンセラーさんに相談した日の夕方、私の家にいじめがあったということを伝える電話が学校からありました。
母はその話を聞くとすぐにそのいじめをした女子グループすべての子の電話番号を学校から聞き、自らその子らの家に抗議の電話をしました。
なかでも、主犯格の子の家には自ら伺い、もう金輪際このようなことがないようにと親子両方に伝えてくれました。そして、私には学校宛に今後このようなことがないように指導していただくようにという内容の手紙を託しました。
私はこのときほど、母に感謝したことはありません。
私は母を大切にしていきたいと思います。
 
そして、私は高校に入り、またいじめにあいました。
去年、私は影でクラスの男子(一部)からムーというあだ名をつけられました。
(これは私の名前とは一切関連がありません)
彼等は私が何かをするたび(例えば、授業で発言したりなど)に笑ったり、「ムーがなんか言ってる」などといったりしました。
そんな私を慰めてくれたのは英語のある先生でした。先生は私のことをよく気遣ってくれました。先生のおかげもあり、少し、いじめは緩和しました。
その後学年が代わり、主犯格だった男子とは別のクラスになり、滅多に顔も合わせなくなりましたが、やはり、顔を合わせるたびに笑ってきたりしますがもう気にしないようにしています。それは、あと数ヶ月で高校を卒業するまでの辛抱だからこそです。
 
もし、これがあと1年だったら私もさすがに耐え切れません。
こんなとき、私が思い出すのは中学校のカウンセラーさんのことです。
カウンセラーさんは教師ではないため、学校という組織には縛られていないため生徒がいじめにあった場合、すぐに行動にうつしてくれます。
このようなカウンセラーさんの存在は生徒にとって本当に重要だと高校になってから改めて思い知らされました。
 
もっと多くの学校が私の中学のようにカウンセラーさんが常にいられるような環境をもってもらいたいと切実に思っております。
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。
 
 


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