2004-10/28〜2005/3/27

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由木夜 袴々さんの体験 3/25日

私は不登校歴1年と6ヶ月になる、中3になるか、留年するか迫られている中学2年生です。
学校に行けなくなったのは部活での小さな出来事が原因でした。
小学校の時に仲が良かった友達とクラスが離れてしまい、部活だけでも…!と
AやWが入部すると言った「卓球部」に一緒に入部する事にしました。
自分のクラスでは1人にならないように、必死で作り笑いをして過ごしていました。
バスの席も1人にされ、それでも1人の方が良いんだと、言い聞かせていました。
新しいグループでも色々と問題がつきずに、私は自分が悪いんだと家に帰っては
自分の部屋に隠ってボロボロ泣いていました。不安で不安で怖かった私は
一緒に食べるんだと思っていた給食も皆クラスの子と食べるから…と
断られてしまい、ポッカリと心に穴が空いた気がしました。
そんな私には1人で違う部活に入る勇気がなかったのです。
最初は何処も先輩がついて教えてくれますよね?
私の部活も先輩が1人ずつにつき基本から教えてくれることになりました。
が、基本の形が私は出来ませんでした。
背中を猫背の私はまっすぐにしても、すぐにまた曲げてしまい、なかなか出来ない。
先輩は毎日イライラしていました。そんな時に、背中をまっぐにして踵をあげろ。と
言われ、「出来ない…」ボソッと小声で言うと「じゃあ、やめな」と出て行ってしまったのです。
「はい、やめさせて頂きます」とは涙を我慢するのが精一杯で言えませんでした。
次の日から私は部活に行かなくなりました。行こうとすると足がガクガクと震え
顧問の先生に頼んで卒業するまで部活を休ませて貰うことにしたんです。
予想していた通り、WやA達の目は変わりました。先輩達が卒業した後、部活に復帰しましたが
「先輩泣いてたんだからね!」とW達に責められ、毎日私だけの態度が違いました。
部活に私の居場所はありませんでした。毎日1人でオロオロ。オロオロ。
帰りも早に帰ってしまい、部活を休んでいたときと同じように、1人でとぼとぼ帰っていました。
部活も休んでいた私には誰も基本などは教えてくれず、戦っても負けてばかり。
アンタのせいで負けたじゃない!と口では言わないが目が私を責めていて、それが負担でした。
教室でも肌が黒いと男子達に陰口を言われ、クラスにすら、私の居場所はありませんでした。
9月にある体育祭での競技でも、やりたくない「持久走」に勝手に決められ
私はだんだんと学校に行きたくなくなっていました。それでもどうにか夏休みまで登校。
が、夏休みでも部活は放してはくれず、毎日朝から部活。部活の毎日…。
教えてもくれないくせに、そのやり方は違うと文句ばかり。仲が良かったはずの友達が
あの日の出来事で一瞬にして、私の敵へと変わりました。だんだんとストレスが溜まり、
私は夏休み最後の日、学校に行きたくないと大泣きし、その日から私は【不登校】になりました。
最初は親は許してくれずに、蹴って無理矢理学校へ連れていこうともしました。
それでも行けなかった私はイトコの家で少し過ごして、イトコのお母さんが母に
今までのことを私の事を代わりに話してくれました。
どうしても、母に言えなかった私の話をイトコのお母さんが真剣に聞いてくれました。
それなら…と「行きたくないなら行かなくても良い」と母に許しを貰いました。
それからは、カウンセリング室に月・木だけ通っていました。
11時頃に先生と一緒に中学へ向かい、皆が授業中の間に帰る、そんな感じでした。
給食だけは、教頭先生が許してくれずに、皆が食べているときに一緒に食べなくてはなりませんでした。
が、食は進まず、帰ってからやっと食べれる。そんな状態でした。
不登校になり10ヶ月経ったとき、夜に寝れないことが増えてきました。食事も全くとれない。
小学校の時からアームカットとは知らずにやっていた“切る”という行為が酷くなっていました。
サイトで調べれば鬱度66%。私は病院に通いたいと、近くの病院に通うことにしました。
が、自分勝手なことばかりで、私の事を分かってはくれない。悪化していると感じた私は
カウンセリングの先生に紹介してもらい、その病院へ通う事にしました。
やはり鬱病だと診断され、たくさんの量の薬も処方されました。
それでも大量の薬を飲み自殺未遂をしたり、トイレが出来なくなり、薬が怖くて飲めなくなりと急に
薬をやめる等、危ない行為を繰り返していると、外来では無理だと言われ、
入院してくれと違う病院を紹介されてしまいました。ですが、先生が一番最初の先生の
ような人だったので、こっちに通うことを私は拒みました。
母は行って、薬もちゃんと飲めと私に言っています。無理矢理病院に連れて行かれましたが
信頼している先生に無理だと言われて、信頼していない先生の所へ通っても治らない!と
病院を拒み、薬も全く飲もうとはしませんでした。そんな中で
夜寝れずにPCで朝を迎える。コレが私の生活になっていました。ところが、ある日。
父が殴って怒鳴ってきたのです。学校に行け!PCをやめろ!…その他色々。
それから私は父が嫌いです。この人は何も分かってくれていないんだ!!と思うと
口を聞きたいとも思えません。避けていると、次は避けるなと母に愚痴っています。
母も毎日怒鳴っていて、私は親とすら上手くはいっていません。
施設に入れないと駄目だとも父は言っていました。捨てられたんだと私は思いました。
そのせいでアームカットはリストカットへと代わり毎日腕を切って、また切ってを繰り返していました。
その為、おばあちゃん、イトコのお母さんが、こっちに居ればいいよ。
と今はイトコの家で居候生活をしています。
不登校になって1年6ヶ月が経つ今も、私は学校に行くことが出来ません。
病院にも止められてしまっているせいもあります。友達とは連絡は取っていません。
アドレスが変わったのに、友達は教えてはくれなかったんです。友達ってちっぽけです。
私はきっと人との運が良いとは言えません。信頼できる人なんて居ないのかもしれません。
そんな私は今日も居場所を探し求めて不登校生歴を刻み続けています。



注 留年は校長裁量で出来ることは出来ますが、学校教育法などの上位法の子どもの権利条約
のアクセス権の侵害などになる可能性が大です。また、近年では、年間日本に本人が望まない留年一例あるか無いかであり、これも、弁護士などに相談すれば多くは解決していると聞きます。
 宮川


 泉さんの体験 3/20日

 こんばんは。今私は高校一年生です。私は保育園のころから、保育園に行くことすら嫌でした。小学校になってから、学校を頻繁に仮病で休み、中学になって不登校になりました。あ、ちなみに。今は一年間で、2日程度しか学校を休んでません。ごく「普通」のことが「普通」にできる高校生になることができました。よく、周りから見る、「明るいチーム」の一人になって、毎日バカみたいに友達とはしゃいだり、カラオケに行ったりしてますよ(笑)。毎日朝は友達と自転車で競争することから始まり、また友達と自転車で競争して、学校から帰っていきます。趣味は乗馬で、あとは書道とか、絵をかくこととか。最近では、運動神経が良い事もわかりました。なんで今更そんなこと知ったのかって言うと、今まで学校サボって、運動大会もマラソン大会も出たことなかったから。つまり、不登校だったんです。今年、初めてマラソン大会に出て、上位にくいこんで、初めて運動神経が良いって気づいて。新たな発見です。さて。不登校って、マジで大変。今でも時々、悩んだりする。一時引きこもりの時期があって、全く部屋から出ない生活もしたし、自殺だって6回以上はして、結果、薬が飲めない体質になった。中学のとき不登校になって、親は心配したよ。「まさかうちの子が」ってさ。でも基本的にママがオープンな人で、いろんなとこ連れまわして、いっぱい遊んで、いろんなこと知った。お香も習った。そしたら、いろんな叔母さんとかと出会えて、すごく皆温かくて、嬉しくて。人の温かみとかを、学校に行かない分、知った。母さんは、「家にいるんだったら、洗濯物干しときなさい」って口癖みたいに言ってたよ。なんでかって言うと、外に出ると、太陽の光を浴びるでしょ?だから、少し元気になるんさ。風とか気持ちがいいし、気分転換になったりするから。自転車こぐのが好きだったから、毎日学校休んで、隣町まで遊びに行ったりした。でも、でも。そんな、不登校って簡単なことじゃないんさ。ジムに通っても、そこで「不登校です」って笑って言ったときの相手の表情。「あ、悪いこと聞いちゃった」って顔。なんか、言ってるこっちの方が辛いし。本当は、誰にもかまって欲しくない自分とか、自分は一人なんだって決め付けてる自分とか。被害者になってる自分。カラに閉じこもってる自分。いろんな自分がいて、それが吹き出て、不登校って形になっちゃった。妹が生まれたとき、すごく嫌で、親に抱かれてる妹見るたびに殺したいって思った。だって、それまで私はお姫様だった。なのに、それを取られて。親にいくらそれを知って欲しくっても、わかってくれなくて。愛してくれてたのに、その愛にさえ満足いかなくて。中学にあがってから、一人の不登校の女の子に会った。同学年で、今の親友。世間で言う、親友ってもんがどの程度の信頼関係のものかは知らないけど、少なくとも、お互いの「沈黙」が心地良いものだっていうのが私が考える親友。彼女は、独立した子で、見た目はお水の商売してそうなおねぇ系。その子の紹介で、ビジョン心理学に出会えた。ビジョン心理学は宗教でもなんでもないし、ただ、「癒し」をするための心理学で。それをしていくうちに、「親にかまってもらえない」だの、「愛してくれたことなんかないじゃないの」だの、「なんで妹なんか産んだのよ」だの、「誰も私を助けてくれない」だの。出てくる出てくる、不満が。つい咄嗟に出てくる「あ、ごめん」。日本人の悪い傾向。ごめんって、本当に心から謝ってるわけ?っていうのを、こないだ自分でシェアしたよ。全てのマイナスは、自分ではなくて、エゴが囁いてるんだ。だから、ネガティブな考えは、全てエゴが耳元で囁いてるんだ。皆、そのことには気づかないで普段生活してる。いくら罵倒されようが、不登校が悪いわけじゃない。不登校で、私は親友を、いろんな人とのかかわり方という術を得られたし、いろんなものを見れた。不登校が、全てマイナスという考えを持つ人はたくさんいる。新聞でも、どこかのお偉いさんが、「不登校者なんて、この世にいらない」なんて宣言した人もいるし。不登校の子は、なんにも悪くない。その親が、いけないんだ。って、責めるのはよくないけど、だいたい9割は親が悪い。ただ、子供は親にわかって欲しくって、不登校って形で親に表しているのに、それを解ってくれないのがほとんどで、親もどうしていいか身動きも取れずに、ストレスが溜まって、殻に閉じこもるって感じ。世間にはいろんな人がいる。つくづく、不登校になって遊ぶようになってから、知った。叔父さんにわざわざゲームセンターに連れ出されて、「お前なんで不登校になったんだよ」って聞き出されたときには、腹が立った。
元々私はマイナス思考だから、物事をいいように考えられない。だから、いつも物事を悪い方へ持っていっちゃうんだ。そうすることで、自分を追い込んで、自分を傷つけて、殺して。現実は、そういった内面で起こってることそのままを映すから、物事がうまくいっているかっていうと、そうじゃない。で。最後に。ここ最近、自分の持ってる感情の揺らぎっていうのかな、癒さなきゃいけない課題は、「孤独」。最近親友といても疲れるんさ。明るいチームと離れて、その子たちから、「きもい」とか言われてるらしい。でも、それって自分が自分のことを「きもい」って思ってるから言われてることで、しかもチームから孤立してるっていうのは、昔したことをまたしてるってこと。不登校になってるとき、私は孤独だった。本当は孤独じゃない。いろんなチームに、パズルだとしたら空きがあって、自分が入れるのに、入れないと思って、最後は独りだって勘違いしてる状態。人間っていうのは、同じことを繰り返して人生を送ってる。それが同じ状況じゃないにしろ、内面で起こってることは全く同じ。だから、私はそのドツボにはまらないように、シェアして新しい自分をまた手に入れなきゃいけない。そうそう、最近読んだ本で、「ホォトンベルトの真相」ってやつあるんだけど、それによると、2012年、世界は変容するらしいよ。確かに、今、世界各地で、いろんな大きな自然災害が起きてる。ついこないだまで、浅間山も危ないって。おかしいよ。北極の軸が、何メートルもずれてきて、いつ地球の軸が狂うかわからない状態だって。イギリスとかアメリカじゃあもう地下帝国は作りあがってるみたいだけど、それはあくまで自然災害から逃れることが目的なだけで、ホォトンベルトが起きたときには、そんなの関係なくなる。ホォトンベルトが起きたとき、人間の細胞が燃えて、地球がレンジ状態になって、死ぬ人もいるって。そして、今の10代の子が、生き残るんだって。あとは、その子たちを導いていくような人々が。だから、今の10代の子達は感受性が豊かだから、不登校の子達が増えてるっていう話もある。ある星が、周期的に地球に訪れるとき、ホォトンベルトが起きる。その周期が、2012年。ナサも、フォトンベルトについては否定してない。確かそれが約3000年ごとだと思ったんだけど。ネビルって星。過去に、マヤ文明のとき、ネビルが近づいてきて、人々に変容が起こって、男だか女だかどっちかが全滅しちゃって、ネビルからどっちかの姿をしたものが降り立って、子供がまた作られるようになったって。それが実際、マヤ文明のときの石版に描かれてるって。本にその石版のが乗ってた。だから、人間の中には、地球に存在しないDNAが何十種類もあるんだって、最近わかったんだって。ホォトンベルトを認めてないのは、日本の天文学者だけ。うーむ。興味のある人は、見てくださいな。でわ。

千路さんの体験3/7日

千路と言います。いま高校1年です。私は学校がとっても楽しくありません。クラスメートに嫌がらせ、悪口を言われてきたからです。理由は全く分かりません。11月になってから突然。本当に傷つきました。今思い出してもつらいし「もう死んでも良いや。」とも思いました。
正直私のクラスは居心地が悪く、なんというか思いやれない人が多いです。自分と合わない人がいるのは仕方ないのに、それだけの理由でなぜ他人の文句が出てしまうのでしょう??私はその人たちの文句を言ったこともないし、そもそもあまり話した記憶もありません。
でも、もしかしたら「いじめ」ってこんな状況から始まるのかな、と考えさせられました。
私は今でもその人たちと一緒のクラスにいることが気持ち悪いし、一刻も早くクラス替えをして欲しい気持ちでいっぱいです。
 

MIさんの体験 2/24日

はじめまして!現在高3(もうすぐ卒業)のMIです。私の体験記を話したいと思います。私は中1〜中3の4月までいじめに遭いました。最初は小6の時クラスが一緒だった男子から「お前キモイんじゃ〜こっち来るなや」ということを言われたのが始まりでした。その時一番の心の支えとなったのは中学のときに初めて仲良くなった子でした。彼女は私がいじめられてても私から離れるkとはありませんでした。いじめはだんだんエスカレートしていきクラスの数人の男子からもいじめられるようになりました。私は耐えるのがとてもつらくなりました。そんな時友達が「担任の先生に言いに行こう。私付いて行ってあげるから。」と言ってくれたのです。私は先生に言ったら「チクッタ」と言われると思っていたのでずっと我慢していました。でもその子に言われて勇気を出して言いにいきました。先生は熱心に私の話を聴いてくれいじめた男子に何度も注意をしとうとう私のことを心配して家にまで何回か来てくれました。そのせいかいじめは大方なくなりました。しかしそれはほんの一ヶ月もありませんでした。また再度私への悪口ははじまりました。結局いじめがなくなることはなく二年生になりました。二年のときはいじめられていた男子とは別になりまたいいスタートをきれるかと思っていました。しかし二学期くらいからまた同じようないじめに遭いました。二年のときできた友達も私がいじめられていることに気づきだんだん遠ざかっていきました。このときも担任に相談しましたが全く無意味という感じでした。私自身一年より酷くないからがまんがまんという感じでいました。そして3年生。一年のときいじめられた男子とまた一緒になりました。そいつは相変わらず私のことをキモイと言ってきました。私はもう我慢できなくなり親と一緒に担任へこのままいじめが続くようなら学校を転校すると言いました。担任はすぐに行動に走りいじめはなんとか終わりました。
当時(最初にいじめに遭った時)親には自分がいじめられていることを言っていませんでした。ある時担任から電話がかかってきてその時初めて親は私がいじめられていることを知ったわけですがなぜこのことを最初に親にはなせなっかたのか今思えば親に心配かけたくないと思っていたからだと思います。その後は親にも相談するようになりましたが親の答えはいつもこうでした。「気にせずほっとけばいい」でもいじめられていた私にとって気にするなといわれてもついつい気にしていました。登校拒否したいと言っても学校行かなかったら入試に不利と言われて結局病気の時以外は学校に行ってました。あの当時保健室登校がなかったのでそうせざるを得なかったのですが・・・しかし今になって言えることは行きたくなかったら行かなくていいんです。だって自分はちっとも悪くないんですから。無理してるといつかそのギャップがくると思うので・・
あれから6年。今いじめはうけてませんが未だ人と接するのが怖いです。なんか言われるんじゃないかって思ったり・・・
長々と書きましたがいじめをうけている人に言いたいです。あなたは決して悪くない。悪いのはいじめてるやつなんです。決して自分が悪いなんて思わないで。

ロンさんの体験2/21日
初めましてこんにちは。私は今、中学1年生です。
まだ私はいじめといういじめにはあってはいないのですが、
“いじめられる”ということを先生方から聞きました。
聞いたときは最初何が何だかわからなくて大変ショックを受けました。
しかもその理由が私がつけているリップクリームが原因だったのです。
私の中学校ではスカートがひざより短かかったり、
紺足をはくと先輩に嫌みを言われたりいじめられたります。
そのような点では私は気をつけていました。
それなのに私がいじめられる・・・。正直私は“何で?”と思いました。
唇が乾燥するのでただリップをつけているだけなのに、
いじめられるのはおかしいと思いました。
もちろん他にもリップをつけている人は大勢います。
もっとはでなことをしている人もいます。
それなのにこのなるべく目立たないようにしている私が、
いじめられようとされているのです。
お思い返せば返すほど、泣きたくなりました。
最近では帰り道に待ち伏せされていたりと、精神的にも辛くなってきました。
しかし私の隣の家にたまたま幼い頃から仲良しだった、
一つ上の女の先輩がいます。
その人に相談したところ“それじゃぁ何があっても私が守ってあげる”
と言われました。とっても嬉しかったです。
今ではこの仲良しの先輩のことばを胸に頑張って学校へ行っています。
これからも“私は何も悪いことはしていない”と胸を張って、
生き生きと学校へ通いたいと思います。

長々とすみませんでした。ここまで読んでいただいた方々、
本当にありがとうございました。



くっきぃ☆さんの体験1/31日

私は5年生です。給食のことで不登校になりました。11月にはいってから急に食管の中のものを全部配ってそれを時間が休み時間になっても全部食べなさいと言われたので、小さいころからご飯をあまり食べなかった私には、とてもつらかったです。今は前と同じようになったのですが、どうしてもまた全部食べなさい。といわれるかと思います。学校のトイレで少し吐いたこともありました。のどにふたがしまってるみたいで、食べてものどを通りません。それは今でもあります。でも今は、家でゆっくり休んでいます。

しゅうさんの体験2005/ 1/26日

中学のころ私はいじめられていました。入学してはじめてできたできた友達にいじめられました。親友だと思っていたのに。私は悔しくてそいつの自転車をパンクさせていやがらせをしました。数日後そのことがばれて以前にも増して孤立、陰口がひどくなり精神的に限界にきていました。ある寒い日、私はいつものように休み時間を一人で机に座り授業が始まるのを待っていました。いじめをしていた人達が私がなにかをするときにコメント?みたいなものを入れてくるから。例えばトイレから帰ると「おっ!あいつまた自転車パンクさせてきたんじゃね〜」「閻魔(悪口)がこっち見た!」等言われるから休み時間はずっと座って授業を待っていました。授業中盤、腹痛でトイレに行こうか考えました。授業中に行くと目立つし、またあいつらになにか言われると思って我慢することにした。休み時間になるとなんだか具合が良くなってきたのでトイレに行かないで次の授業を受けることにした。休み時間は極力動きたくないから。授業が始まりすぐ腹痛が始まりました。今トイレに行くと先生に「何故休み時間に行かないんだ?」と言われるから中盤まで我慢しようと決めた。授業中盤になると腹痛が消えてきたので行くか行かないか迷ってしまいました。これが最後のチャンスだったのに。授業終盤、今までにないくらいの激痛が腹を襲い我慢も限界に…。なんとか休み時間まで我慢した私はすぐにトイレに向かいました。近くのトイレならクラスを出て十秒で行けたのですがそこは不良のたまり場になっていたためそこを避けて一つ上の階の遠く誰も利用しないトイレを選びました。腹を押さえ人の間を抜けてトイレに向かう時再び腹痛が。一瞬私の体が痛みで動かなくなり止まりました。そのとき、誰かとぶつかってしまった。私の緊張が解かれ我慢していたものは出てしまいました。私はすぐトイレへ向かいましたがすでに半分以上は出てしまい廊下に撒き散らされていたそうです。私はトイレで次の授業が始まって誰もいなくなるまで待ちました。落ち着きを取り戻した私は職員室に行き早退をしました。家に帰ると私は明日からのことを考えました。今まで以上にひどいことになるのは分かっていたから。数日学校を休み、なんとか学校に行く決心をしました。上靴の中には画鋲。机の中には「うんこもらし」と書かれた紙。周りでジロジロ笑いながらこっちを見ている。休んでいる間に何をされるかをずっと考えていたので予想通りの展開でした。それから数日するといじめはエスカレートして休み時間はトイレに連れていかれうんこをもらすまで毎日腹を殴られました。上級生も混ざり学校全体でいじめの標的にされました。毎日朝から帰りまで殴られました。それでも私は休まず学校に行きました。常に復讐することを考えていたからだ。毎日殴られながら殺す標的を選んでいた。全員を殺すのは無理だ。きっと殺す前に捕まってしまうからだ。良くても二、三人。一人はいじめの主犯格Y。こいつだけは許せない。次はH。1番楽しそうに俺を殴り1番しつこい奴だ。みんな嫌ってるようだし…殺してやる。最後はKだ。この三人を殺す計画を一年かけて考えた。ストーカーみたいなことをして個人の情報も手に入れ確実に一人になる時を見つけ殺す準備をしました。まずはY。帰り道一人になるポイントに先回りをして顔を隠し包丁を手にYを待った。Yを待っている間いろんなことを考えた。三人を殺したあと自分は死ぬべきだろうか?殺した遺族のために働き一生を費やすか?…殺すのを止めるか?そんなことを考えているとき、Yは来た。周りには誰もいない。どうする?やるか?すでにYはすぐそこに。私はYの前に出てすぐに殴りYは倒れた。倒れたYを殴り、蹴り。いつもはあんなに強気なYが泣きながらうずくまっている。私はそんなYを見てなんだかかわいそうに感じました。殺すのをやめて動けなくなったYをそのままにし家に帰りました。次の日Yはいつも以上に私を殴りました。それでもあの泣き顔を思い出すとなんだか復讐する気にならなくなりました。いつも以上に殴るYとそれに便乗して殴るH。周りはそれを見てひいていた様子でした。その日から殴るのはYかHになりました。他のいじめもだんだん飽きてきたのか前よりひどくなくなり、中三になると受験で忙しくなりなにもされなくなりたした。高校はなるべく遠いところにしたので私をしる人はあまりいなく普通の生活を送ることができました。私のいじめ体験談はこれで終わります。


龍架さんの体験2004/12/13日

初めまして。私は今中二の龍架っていいます。
私は自分でも思うのですが、身長が結構高いほう
だと思います。
私はソレには事実だったし、1部の男子からは
「巨人や、巨人ー」とずっと言われてきました。
それに加えて、女子の1部グループからも
隣を通ったときに
「巨人邪魔やしー」
とかいわれ、一緒にいた人も笑っていました。
私はそのとき、
(何故、身長が高いだけでそこまで言われなくてはならないのか)と思いました。
身長が高いのが何故そんなに悪口の的になるのかがわかりませんでした。
それに前に出た女子の1部のグループから面と向かって
「ぅゎ、キモー」
といわれました。
そのときは気にしないふりをしていたのですが、とても泣きたくなりました。
別に身長が高くても他の人に迷惑をかけていないのだから、
ほっといてほしいと思いました。
 
今では1部の男子からの言葉はなくなりました。
でも、女子の悪口はとまりません。
まだ、男子の言葉だけでもなくなったから、
私は今の学校生活を頑張れている気がします。
 
長い長い文で失礼しました。


 夏美(なみ)さんの体験 12/7日
わたしのいじめ体験はまず無視からはじまりました。
中2になり、わたしは転校し、新しい学校生活が始まったわけですが、
はじめはクラスのみんなが「転入生」という理由で声をかけてきてくれました。それ
がある日・・・ 突然後方から「キモッ!ストーカーじゃん!」と叫ばれました。も
ちろん私は注目の的です。それからわたしはひどいいじめを受けました。黒板に「夏
美は豚の子」「死人」「リスカの天才」「しんしょーの子をつくり、おろした」など
とかかれたりしました・・・。そしてある日クラスのリーダー的存在の子が(以後A
子)何人かの仲間を引き連れてこういいました。「あんたさきわたしの悪口いったで
しょ。」と。もちろん私はいってません。もちろん私は否定。するとA子の仲間が消
しゴム、チョークなどを投げつけてきました。「ウソつくんじゃねぇよ!」といいな
がら。そしてA子は「私傷ついたぁ。だから慰謝料よこしな!一万円。」といってき
ました。私は「そんなにお金をもってない!」と言いました。するとA子の仲間に再
度ひっぱたかれました。するとA子は「あっ そうかー 子供下ろすのに金使ったも
んね。貧乏人!」といわれました・・・。そんなのが毎日続いています。こんなこと
もありました。学校にある私の持ち物が全部なくなっていたのです。教科書、体育
着、全部です。なんと見つかった場所は汚い鳥小屋です。わたしは泣きしました。ふ
と下をみると、一枚のプリントが落ちていました。なんとその紙には「夏美(豚)い
じめ大作戦」と書いてありました・・・・・・。もう辛いです・・。死にたいです・
・・・。いつおさまるんでしょうか・・・。


静樹さんの体験12/5日

私がいじめにあったのは小6からです。

気づけばクラスの男子から「●●菌」「ろうそく(汗っかきだかららしい)」と呼ばれるようになっていました。
そのたびに「やかましい!」と言い返したりしていましたが、
正直つらかった。教室(3階)のベランダから飛び降りたくなることもしばしばでした。
しかし、まだいじめについてよくわかっておらず、
当然いじめられているという自覚もありません。
ただなんとなく、大人たちにはこのことは言いませんでした。
自分が「菌」扱いされているなんて言えないと思っていたのかもしれません。
そして、ある日母親に漏らしたことでこのいじめは終わりました。
なぜ言う気になったのかは今でもわかりません。
 
小6の終わりのほうは平和だったことも手伝って、
中学校入学当時は希望にあふれていました。
 
なのに。
中学でもいじめにあってしまいました。
誰か私と同じ小学校出身の人が、私のことを話したらしいのです。
男子からのからかいの他に女子からは無視されたり、陰口を言われたりしました。
今回は気づいてすぐに先生に相談しました。
結局いじめは3年間続くのですが、
1年のときの担任はかなり真剣に対応してくれ、
名前を挙げたいじめっ子が電話をかけて謝り、後日改めて直接謝ってきました。
2年になるまでの間ですが、一時的にいじめはほぼなくなりました。
3年のときの担任も本気で心配してくれていたようです。
 
ただ、2年のときの担任は「いじめられるほうが悪い。」と考えていたらしく、
話は聞いてくれるものの、クラスでたまに形式的な説教をしたりするだけ。
この1年間でいじめはおさまるどころか逆にエスカレートし、
何度も自殺を考えました。
先生はそんなつもりはなかったかもしれないけど、私のことを疎ましく思っている雰囲気というか、
空気が伝わってきて、それで余計追い詰められていったようにおもいます。
そういったことに少し敏感になってましたから。
 
私は隣の市の高校に通っています。
推薦で入った今のクラスは
3年間ずっと同じクラスだし、女子は少ないですが
担任もクラスメイトもみんないい人たちです。
それでも、時々思い出してつらくなることがあるし、
いまだにいじめのこと引きずっていると思います。
ふっきれるまで、まだまだかかるのかな・・・。
 
ここまで読んでくれた方、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
 
by 静樹

璃江さんの体験12/4日

初めまして。
私は璃江と言います。
私は今小学五年生なのですが、だいたい小3ぐらいからいじめられています

小3の頃、ある一人の子がきっかけだったのですが・・・・。

その子は例えば、移動教室の時、私とその子の仲間達の間に男子を座らせ、仲間はず
れにしたり
一番嫌いな人誰ー?とか男子に聞かれて私の方を指さしたりしていました。
暴力までは行かずとも、影でコソコソと話をしていたり、私のことを書いた手紙を回
したりしていました。
でも実はそれは黒幕の一人の子だけで、それ以外の子は命令でやらされていたような
のです。こっそりと、璃江のこと嫌いじゃないからね。ごめんね。など言ってくれま
す。それが心の救いでした。みんな本当に私のことを嫌っていたら自殺、というもの
も考えていたかも知れません

でも4年生になったとき、先生が代わったのですがその先生は本当に「いじめ」につ
いて、本当に一緒に悩んでくれたり、考えて対処してくれたりと、とてもいい先生
だったのです。おかげでそのいじめは終わりました。

しかし小五になり、また先生が替わると少しずついじめが出てきたのです。小3のと
きの子(仮にA)もですが、新しくある子のいじめが入ってきたのです。(仮にB)
AとBは仲が悪いので、遊ぶグループは違います。

小3の頃とは違い、いじめられる事もあれば、一緒に遊んでくれたりするのです。
AもBもそうなのですが、遊んでくれるときは私もとても楽しくて、AもBも大好きだ、
と思います。
でも一度いじめになると、とっても嫌な気持ちになります。そのいじめとは、
仲良しグループの子に変なウワサを撒くなどなのですが、
Bの場合は
体育の時に、「璃江はマット上手いんだから一番最初にやってよぉー」と言います。

でも誉めてるんじゃなく、嫌みのように言うのです。
算数でも国語でも、Bより私が出来ると、「璃江っていいよねぇ〜私たちとは脳みそ
がちがうんだよ〜」とか言ってきます。私は本当に嫌です。
言われたからって、ワザト間違えるなんてできないし、仕方ないと思うのにそれを嫌
そうにするのです。
全部あっちの気分次第なのです。いじめられる者の気持ちなんて考えてはくれませ
ん。

自分でいってみたりもしました。
「こんなことでBと喧嘩になるの嫌だよ」
でもBは無視をします。
いじめられたり、遊んでくれたり、私はなんだか嫌になってきます

AもBもいじめるけど、遊んでもくれます。
でも、いくら遊んでくれていても、いじめているという事実はかわらないと思いま
す。
今もそんないじめ、現実に耐えてきています。
今小五、もうすぐ中学生なので、そしたら、いい学校生活を送りたいです。

長々と有り難う御座いました。


あにきさんの体験12/2日
 
ぼくは、いじめにあっています。それは、昨日までいっしょにあそんでいたのに
学校に行くといつも○○の好きな人は〜都会っていじめられます。僕は、気が小さくてことわれなくて泣いてました。自分は、6年で、修学旅行でいっしょの部屋にとまって絶対に言わないと約束した好きな人を言い合った仲だったのに
だけど自分には、絶対に信用できる親友もできてその人といじめてくるやつを逆にやりかいしてやろうと考えています。そいつらは、何をやるときもそいつらといっしょじゃないと裏切り者とか言ってやってきます。ともかくそいつらにかなり迷惑です。
何か方法はありませんか?教えてください。

みぃこさんの体験11/27日

はじめまして。中2の女です。私は最近までいじめにあってました。いじめの発端は、私がとある雑誌を買ったことでした。
私を最初にいじめはじめたHさんとは、いつも一緒に学校へ通っていました。ある日の放課後、私はHさんや友達数名と
雑談をしていました。話の途中に、最初に書いた雑誌の話になって、いつもはその雑誌を買っていない私ですが
興味があったんでその雑誌を買ったことをHさんにはなしました。
すると次の日から私に対する態度が変わったのです。登校中になにも話してくれませんでした。
昼休みには私のフルネームを出して悪口を大声でみんなの前で言ったり、黒板に書いたり、すれ違うたびに
「バーカ」「死ね」などと言ってきたりするようになりました。
数日がたつと、他の友達も上にかいたことなどするようになりました。
私はその当時クラスの級長をやっていたんです。そのことについても「気取ってんじゃねぇ!!!」とか言われました。
私の何がわるいのかわかりませんでした。すごく辛くて悲しかったです。家に帰るといつも泣いてばかりいました。
先生や親に相談したのですが、もちろん気持ちは晴れませんでした。
今はいじめも解決されましたが、Hさんとは今でも怖くて口をきいていませんし、許せません。
でも、私のようにまわりには相談に乗ってくれるひとは誰にでもいるはずです。たとえそれが親や先生じゃないとしても、
このような体験談を打ち明ける場があるのですから。みんなでがんばって乗り越えましょう!!負けてはいけません!!!

アヤさんの体験11/10日
初めまして、現在中3のアヤといいます。
長いけど私の不登校体験を聞いてください。

私が小学2年生の頃 お兄ちゃんが何故か不登校でした。
それでお兄ちゃんは小学校には行かず,
不登校生徒の適応指導教室と言われるところに
通っていて、いつも楽しそうでした。

ある日私はお兄ちゃんが通っている適応指導教室に興味を持ち
ました。
あまり小学生の頃の事は覚えてないんですけど
私はいじめられた訳ではないし普通に友達もいたと思います。
お母さんに「お兄ちゃんが行ってる所に私も行きたい」と
言ったら お母さんは『じゃああっちの先生に話してみるから1
度言ってみれば?』といいましたo
これが私の不登校の始まりです。
その適応指導教室は結構楽しく勉強はあまりしなくてもいいら
しくてすごく居心地がよかったんです。

あの日からずっと適応指導教室に通うようになって
そこで友達もできたりしました。
私は小学3年生に上がり、クラブ活動が始まりました。
学校にも友達が居た私は友達と一緒に美術工作クラブに入りま
した。

私は部活がある木曜日の放課後だけ学校に行ってましたが
だんだんそれが面倒になって放課後さえも学校へは行かなくな
りました。
ずっと適応指導教室に通っていました

6年生になった時、適応指導教室にはあまり小学生はいなくて
中学生が多くて年上の友達しか居なかったんだけど
タメの子が2人入ってきて その子達とも仲良くなりました。

6年の最後の方で適応指導教室の先生に
「○○,中学生になったらどうするんだ?
お前もココの生活長いし,4月には中学生だろう?
節目だしそろそろお前も学校へ戻ったらどうだ?」などと
言われまくりました。私は生半可な返事をして
適当に話を流してました。

そして中学校入学。
入学式には出ませんでした。
中学校では【相談室】と言うのがあります。
教室にはなかなか入れないと言う子が
教室代わりに通う部屋です。
中学ではそこに通えばいいか。と思いました。

入学式のすぐ後に校外学習で
東京ディズニーシーへ行くという行事がありました
班行動で同じ班の子ともすぐ仲良くなれました
でも学校生活は 勉強や校則に縛られ、
適応指導教室に比べると居心地が悪い物でしたo
それで、また私は適応指導教室に戻ってしまいましたo
やっぱりそこは居心地がいいです。

でも中学2年になって,適応指導教室の生活は
私にとっては退屈でした。
長年いる私は行事の度に「あぁまたこれか。」などと思い
すごくつまらなく思いました
それで1学期の頃は学校へも適応指導教室にも行かず
家に引きこもっていましたo

中学2年の2学期…やっぱり家に居るのは退屈なので
適応指導教室にまた通い始めましたo
それで私は、普通の子と比べると遅いけど
おしゃれに興味を持ちました。
眉毛を細くしたり 髪を染めたり(ビビリ染め程度だけど)
適応指導教室の規則を破ってしまいました
それで先生に「お前は長いんだからこーゆう事は分かるだろう?
」と言われ すごくうざったく思いました。
「お前は長いんだから」と言う言葉がすごく嫌いでした。

冬休みに入る前に彼氏ができました。
適応指導教室の子です。その人とは家が近く
一緒に自転車通学して 結構仲良くなりました。
ある日私が告白して 付き合うことになったんです。
彼氏は最初の頃は普通だったんですけど
3学期を向かえる頃になってから見た目的にすごく変わりまし
た。服装は所謂ヤンキー系でものすごぃ腰パンをして
先生に注意されていました
ある日私は先生に呼び出されて
「○○(彼氏)と付き合ってるのか?」と聞かれました
「はいそうです」って答えたら先生の口から次の言葉が出まし
た。「眉毛を剃っていて髪を染めている女のコと、
腰パンをしていて目立つ格好をしている男が
一緒に駅周辺を歩いていたら誰も不登校だとは思わないだろう
」と。
よく意味がわからなかったけど
まあ不登校なら不登校らしくしろと言う事だと思いました
すると「お前は長いんだからそれぐらい分かるだろう?」
また私の嫌いな言葉が出てきました。
それがすごく嫌で嫌で仕方なかったんです。
だから私は中学3年になったら学校へ行こうと思いました。
もう適応指導教室には戻らないと決めました。

4月 私はいきなり教室に入って普通に席に座って
普通に自己紹介をして普通に授業を受けました。
1、2年の頃放課後や行事の時ちょくちょく学校へは来ていた
し,小学校が一緒だった人は大体私の事を知っているんだけど
クラスには私を知らない人が多かったです。
男子に「転入生?」って聞かれたりしたんだけど
いろんな人に手紙をもらって「仲良くしようね!」などと
書いてあって 私は学校でもやって行けると思いました。
でもすぐ私の噂が流れました
【学校来ないで遊んでた】【××君の事が好き】【男好き】
噂っていい事は流れないんですよね…;

他のクラスの人に変な事言われたりしまくって
クラスの人で私を何故かすごい嫌ってる人が居て
私が何かする度に話を大きくして噂を流されたりして
精神的にキツかった。
何より1番キツいのは勉強の事o
小学1年の勉強しかしたことなくて
もちろん授業は付いていけなくてすごく困りました。
9月に運動会があってモチロン普通に出ました
リレーも頑張りましたo
でも運動会が終わった後、打ち上げがあったらしいんだけど
私はハブられて呼ばれませんでした;
それから学校休んでしまって
今は放課後登校です。
10月の末に文化祭があって 合唱コンクールがあって
私も歌の練習をしてみんなと一緒に出ました。
本番前にいきなり私の立ち位置を変える事になって
すこしもめました;
でも文化祭は無事終わって
合唱コンクールは優勝できなかったけど
なんと,打ち上げに呼ばれました!!
しかも私を嫌ってると思ってた人から!
すごくびっくりで嬉しかったです。
でもやっぱり朝から学校へ通うのは無理なんです。

これから受験…。
私は同じ学校の人が誰も行かない
私立へ行こうと思っています。
筆記試験はなくて、面接と作文で合否が決まる所です。
その学校は不登校教育がすごくいいらしいし
私が通っていた適応指導教室を卒業した先輩も
その学校に通っている人が結構います。
規則も緩くて、基本的には
髪染めをしない・いじめは絶対なし・道徳的マナーを守る
の3つです。
中学校ではあまり楽しめなかった
学校生活を高校へ進学し 十分に楽しみたいと思います。
又,人がいやがる事(悪口、ハブり等)は
やられたら相手がどんな気持ちになるのか
自分が1番分かっているんで絶対しないと思います。
いじめを経験した事がある人は
相手の気持ちを分かる人だと思います。 
長々とすいません


里菜さんの体験11/4日

はじめまして、里菜と言います。
私はサイトで皆さんの体験を見て
(この人達も私と同じような体験
をしたんだなぁ・・)
と思いました。
それで思いきって私も投稿しま
す。
私は小学一年の頃からいじめに
あっています。
その頃は男子の一部の人達が私を
いじめて
きたのですがだんだん3年ごろに
なると
今度は男子全員で私をいじめてき
ました。
ある朝、自分の机にツバがありま
した。
(誰がこんなひどい事を・・)と
思って周りを見渡すと
男子が私の方を見てクスクス笑っ
ています。
こういう事が何回かありました。
先生に言ったりしたのですがいっ
こうにやみませんでした。
ある時は男子の一人が私の制服の
中にゴミを入れてきたりしまし
た。
しばらくして私の友達一人が私を
いじめている男子達に加わってい
じめてくるようになりました。
4年生の夏頃でしょうか、登校途
中に後ろにいた
私をいじめている男子の一人が大
声で「里菜(わたし)がキモイと
思う人〜!手ェ挙げて〜!」
と言いました。私が後ろを向くと
他の班(登校班)の人のほとんど
の人が手を挙げていました。
その事を先生に話して注意しても
らいましたが現在も続いていま
す。
最近は女子の一部の人達も私をい
じめているような気もします。

ここまでです。
私の投稿を読んでくれてありがと
うございます。


自分さんの体験11/2日

ある日私の学習ファイルが破けていた・・・自分で破いた記憶もないし、おかしいと思ってきっとなんらかの事情で破けてしまったんだろうと自分のなかでプラスに考えていました・・・けれどまたある日・・・「掲示版に張ってあった写真に顔のところに穴が開いてあった・・・」と朝の学活のときにいわれ私は学活が終わりいそいで自分かどうか見に行きました、、そのときは自分のには無かったきがしたのですが。(もしかしたら現実逃避をしていたのかも)

またある日、先生から原稿依頼で自分の写真を見る機会があったとき・・・自分の写真にペンかなにかで傷がハッキリと付いてありました・・・私は全身が震えだし、居てもたっても居られなくなりました。やはり影でもいじめ・・・誰がやってるのかさえもわかりません・・・この苦しみをまた私の検討できている犯人に同じことをしてやりたいと思っています・・・この私の苦しみを・・・


まゆさんの体験 10/28日
私は不登校です。別に、いじめられてるわけではありません。
確かに、悪口を言われたりもしました。
でも、その悪口を言っていた子は皆の悪口を言っていて、
皆その子から離れていって、その子は一人ぼっちになりました。
このコトが不登校になった理由ではありません。

私の友達(Sちゃん)で、小学の時いじめられていた子が居ました。
その子は天然パーマで、少しおどおどした性格で、
「その子が天然パーマだから」という理由で、
皆その子の悪口を言い始めました。
他のクラスにも広まっていって、
同学年の人全員が悪口を言ったりしていました。
私はその子の悪口なんて言わなかったし、
普通にその子と遊んだりしていました。
しかし、全員に悪口を言われたり無視をされたりして、
Sちゃんは学校に来たくても来れなくなってしまいました。
小学の卒業式も、来るコトが出来ませんでした。

中学の入学式、Sちゃんが来たのです。
私は凄くびっくりしました。「よく来れたな」と思いました。
私とSちゃんと仲のイイ友達(Hちゃん)は、一緒のクラスになりました。
コレでSちゃんも楽しく中学校生活をやっていけるなと思いました。

しかし、小学の時の話を誰かが持ち出して、
たちまち皆に広まって、またいじめ…。
しかも、小学と違ってかなりエスカレート。
廊下をSちゃんが通ると皆避けたり、
女子トイレでグチグチと悪口を言われたり、
男子はSちゃんを突き飛ばそうとしたり、
「Sちゃんの物に触るとばい菌が感染する」と言われたり。
担任は知っていても注意なんてしません。

私とHちゃんは、Sちゃんと一緒に居ました。
でも、やはりSちゃんは耐えられなくなって、休みがちになりました。
Sちゃんが休むと、皆が「ずる休みじゃねぇの?」等馬鹿にしました。
アンタ等がいじめてるから来れないんだろって話です。

ある日Sちゃんが休んだ日、国語の授業がありました。
国語の先生がプリントを配って、Sちゃんの隣の席の男子に
「Sちゃんの机にプリントを入れてあげて」と言いました。
すると、その男子は凄く嫌そうな顔をして、
Sちゃんの椅子を汚い物を扱うかのように
いやいや下げて、机の中にプリントを突っ込みました。
それを見ていた先生は、もの凄く怒りました。
その先生は、Sちゃんがいじめられているコトを全く知りませんでした。
授業は中止、皆説教をされました。
そして、その日の放課後紙に自分達が今まで
Sちゃんにどんな態度をとってきたのか、書かされました。

次の日、皆昨日の説教のコトもあって、
Sちゃんの悪口をあまり言いませんでした。
私は「やっとやめてくれたのかな」と思いました。
しかし、次の日にはまたいつもと元通り。
それどころか、今までの悪口がエスカレートして、
「国語の先生ムカツク」という悪口まで言っていました。

私は、見ていて凄く嫌になりました。
「いじめなんてしてて楽しいの?」と思いました。
Sちゃんの悪口を言っている子が、私には
普通に話しかけてきたりして、凄く頭にきました。
男子も「Sと付き合わない方が良い」とか、
何も知らないくせに言ってきたりしました。

私は、教室に居ても楽しいと感じませんでした。
気付けば、入学してから間もない時は皆
仲良くしていたのに、今はグループで固まっていて。
私とHちゃん以外は皆ほとんど悪口を言っていたので、
私はHちゃんと二人(たまに他の友達1〜2人)で一緒に居ました。
男子の軽いボディタッチなども凄く頭に来て、
友達が話しかけてくるのもウザったくなってきました。

凄くつらくて、学校付属のカウンセラーに相談しに行きました。
先生は「少し心が疲れている。休んだ方が良い」と言ってくれて、
その日は早退しました。そして、一週間学校を休みました。
それから学校へ行きました。しかし、やはり悪口は
続いていて、Sちゃんの部活の友達も
「Sちゃんが来なくてよかったー。」とか言っていて。
毎日聞こえる「Sちゃんの悪口」に、もう耐えられなくなってしまいました。

私は教室に行けなくなり、特別教室に通うようになりました。
最初は特別教室の先生は暖かく迎えてくれたのですが、
しばらく通い続けると「教室に行け」と言いました。
私は教室に行く気になんかなれなくて、
特別教室に行っていました。すると、先生は
「ココは貴方の教室じゃあないんだよ」と強い口調で言い、
私は特別教室にも行けなくなってしまい、
ついに不登校になってしまいました。

私が毎日「頭が痛い」とか「お腹が痛い」とか言って
学校に行かないので、親はもの凄く怒りました。
理由を話そうにも話せず、私は毎日泣いていました。
ある日、特別教室の先生が私の家に来ました。
そして、私の部屋へ入ってきて「学校へ行け」と言うのです。
私はずっと布団に包まって泣いていました。
しばらくすると、先生は「今日は帰るけどまた来る」と言い帰りました。

二.三ヶ月休んで、私はいやいや学校へ行きました。
すると、皆は驚いたような顔をしましたが、私を迎えてくれました。
それからしばらくは通っていましたが、私は
先輩にいじめられたりもして、また不登校になってしまいました。

終業式は、何とか行きました。
Sちゃんも来て、凄く嬉しかった。
夏休みの宿題を貰って、「次の学期では頑張ろう」と思い、
夏休みの宿題を全て終わらせました。しかし、
始業式に行けなくて、結局休んだまま。

今もずっと休んでいます。親もあきらめたのか、
あまり言わなくなってきました。
(一度父にめちゃくちゃ怒られてなきましたが;)
最近、学校へ行けない理由を話しました。
でも、やっぱり「義務教育」だからと言われました…。

私は学校へ行っている時に比べて、痩せました。
というか、やつれてしまったのかも知れません^^;
少し前くらいに、クリニックに通い始めました。
クリニックの先生にいろいろと話を聞いてもらって、
少し心も落ち着いてきて、最近は食欲も出てきました。

中2になって一回も行っていないので、
親に「お前はどうするんだい」と怒られますが、
学校に足が向きません。
高校は、行く所はもう決めました。
地元の高校ではなく、都会の高校へ行くコトに決めました。
校則も緩く自由のある高校で、いじめもなくて
凄く楽しい学校らしいので、この前は見学に行ってきました。

高校は決めましたが、このまま3年に
なっても休んでるわけにはいきませんよね…。
こんな私は、どうすればいいのでしょうか…。
ちなみに、Sちゃんは特別教室に通っています。
(私には「教室へ行け」と怒りましたが、
Sちゃんには何も言わないらしいらしいです;)

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